――モダニズム的な自己を否定してプロレタリア芸術に行くんじゃなくて、モダニズムを全部含めて、一切の自己を、まるごと活かして入って行く。そういうタイプができてるんだね。 亀井 戦後の新しいことだね。だから、昔だったら、花田清輝君とか安部公房君とか野間宏君なんか、とても共産主義者とは言えなかった。 […] ――それはつまり、ぼくらの世代の人間は何を書くんでも、常に自己から出発しなければならないでしょう、どんな場合も何か自己から出発するからね。ちがった自己を出す場合もあるけれども、何か根本に自己からの出発ということがあるから、ぼくらは安心するんで、同時にそれが古さになるんだけどね。三島(由紀夫)君な…