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高麗

(地理)
こま

高麗

(地理)
こま

高麗駅 西武鉄道(池袋線)

埼玉県日高市武蔵台に存在する、西武鉄道の駅。→ 高麗駅

曼珠沙華で有名な巾着田の最寄り駅でもあり、曼珠沙華の開花ピークの時には多くの人が訪れ、飯能〜高麗間という、通常ない設定の臨時列車も走る。
また、曼珠沙華の見ごろにあわせて期間限定での特急「ちちぶ」の臨時停車も行われる。
「高麗」という地名は朝鮮半島からの渡来人が居住した地域であることを示す。
これに因んで、駅前には朝鮮の習俗である将軍標が建てられている。


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高麗

(地理)
こうらい

1.高句麗の別名。この場合、日本では「こま」と呼ぶ。

2.朝鮮半島に有った国(918年〜1392年)
唐滅亡後、朝鮮半島の政情は不安定となり、新羅では反乱が多発するなど不安定な状態であった。そのうち、新羅の王族である、弓裔の立てた後高句麗(894年〜918年)と、百済の在地勢力を糾合した後百済(892年〜936年)が台頭し、後三国時代に入る。

後高句麗の将であった、王建は、後高句麗を乗っ取り高麗を建国(918年)、935年新羅を滅ぼし、936年には後百済を滅ぼし、朝鮮半島は再統一される。

首都は、開京。

仏教を国教とし高麗仏教の文化が花開いた。
この時代の文化としては高麗仏教の鐘楼、印刷仏典(大蔵経)、高麗青磁などが有名。

政治は、文臣(文班)と武臣(武班)を官僚とする両班ヤンパン)制度を導入。しかしながら、文臣と武臣の対立が続き、一時期、武班による政権が続く(崔氏政権など)。その後、モンゴル軍の侵略が始まり(1231年)、断続的に繰り返される。1259年降伏。これによって武班勢力は完全に押さえ込まれる。しかし、一部の武臣達はモンゴル支配に抵抗し、この抵抗は1270年まで続く。(三別抄の反乱)

また、元寇に参加し、二度日本へ侵略するが失敗(1274年 文永の役、1281年 弘安の役)する。この時期、高麗王の廃嫡権は元朝が握っていた。
元末期になると、倭寇(前期倭寇)と中国の紅巾軍の進入により弱体化し、王朝は求心力を失う。代わりに地方の両班勢力が台頭し、1392年李桂成(李氏朝鮮の太祖)によって滅亡する。

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