O先生は簡潔明瞭に答えた。 「いや、キリスト教の限界ではなく、支配です」 私は、目の前が真っ暗になった。 後から考えると、それは太陽の光に照らされて、真っ暗になったのかもしれない。 けれど、その時には、本当に真っ暗だった。 もし、神と人間との親子関係も限界ではなく、支配なら、神を父と呼んで済ますような逃れ道ももはやないことになるのだ。 もはや、私はどんな形でもキリスト教の中にとどまることはできない、支配から完全に逃れたいならば。 もちろん、今、考えると、そうではないキリスト教との関わりが、宗教との関わりがあるのかもしれない。 そう、他の人にはあるのかもしれない、それは否定はできない。 けれども…