節分の豆まきは、元々は、大晦日の夜に 宮中で行われた、疫鬼を追い払う 「追儺」(ついな)という儀式でした。 「なやらい」「鬼やらい」とも言いました。 古代Chinaから伝えられ、 日本では陰陽道の行事として伝えられ、 文武天皇の慶雲3(706)年に、 諸国に疫病が流行したので、 土牛(牛の土偶)を作って 大内裏の周囲、十二の門に配置し、 大寒前夜から節分当夜まで、 「大儺」(おおやらい)をしたのが初見だそうです。 土牛は、方位によって青・赤・白・黒・黄に 色分けしたそうです。 宮中で行われた「追儺」では、 陰陽師が祭文(さいもん)を読み上げ、 「疫病の鬼」に扮した舎人(とねり)を、 鬼を追う人…