写真家。30余年にわたってたまたま通りかかった人を呼び止めて撮り続け、1987年『王たちの肖像』(矢立出版)でデビュー、1996年『や・ちまた』(みすず書房)でヒットを飛ばす。奇岩怪石の如き異貌・異相のポートレイトが多いが、当人の弁によれば「好きな人をカッコよく撮っている」といい、アラーキーによれば「彼の写真には礼節がある」という。その名声は海外にも及び、映画監督のアンジェイ・ワイダも絶賛している。 関連語 リスト::写真家
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&field-author=%E5%BC%98%E9%9B%84%2C%20%E9%AC%BC%E6%B5%B7/249-1735687-6765131
鬼海弘雄さんのエッセイ集と僕のハッセルブッラドカメラ(500C/M) 昨年(2020年)10月19日未明、写真家の鬼海弘雄さんが他界された。鬼海弘雄さんについては、東京・浅草寺で撮られた独特なポートレイトが有名である。僕が鬼海さんに興味を持ったのは、ハッセルブラッドで写真を撮り始めるようになってからであった。それまでは、あのポートレイトの良さがよく分からなかったが、6×6で写真を撮り、現像して手焼きをしてみると、その素晴らしい構図や、なぜ一般のおじいさんやおばあさんなどがテーマになっているかが少し分かるようになってきた。また、最近薬師寺の境内で撮影していて思ったのだが、鬼海さんがいつも背景にし…
気温21C°、湿度59%、風速4 m/sの那覇市。 公園で『精神医療のゆらぎとひらめき』横田泉(日本評論社)を読む。
勲章が欲しい人、賞の欲しがる人たちは、自分が亡くなったら、新聞はどの ように報じてくれるだろうかと気がかりに思ったりすることがあるようです。 そういうのに惑わされるのが嫌な人は、亡くなったことをずっと伏せるとい うこともあったようです。当方が知る有名な例としては歴史学者の上原専録さん がいますが、著名な方でありましたのに、亡くなったことが表にでたのは、三年 半もたってからでありました。 国葬に準じるような葬儀で送られる人もいれば、著名であってもひっそりと亡 くなる方もありです。 昨日に出先で新聞を見ていましたら、訃報欄に鬼海弘雄さんの名前がありまし た。当方が自宅で購読の全国紙ではみかけません…
鬼海弘雄 さん 写真家。 1945年(昭和20年)、生まれ。2020年(令和2年)10月19日、死去。 訃報 鬼海弘雄氏が死去 写真家 :日本経済新聞 写真家の鬼海弘雄氏死去:時事ドットコム 写真家の鬼海弘雄さん死去 75歳、「PERSONA」 | 共同通信 津野米咲 さん 女性のロックバンドグループ「赤い公園」のメンバー。作曲家。 2020年(令和2年)10月18日、死亡が確認された。 訃報 女性ロックバンドグループ「赤い公園」 津野米咲さん 死去 | おくやみ | NHKニュース 津野米咲さん死去 ロックバンド「赤い公園」メンバー:朝日新聞デジタル 女性ロックバンド「赤い公園」津野米咲さん…
昨晩のトランペッター近藤等則氏の死去のニュースにも驚いたが、個人的には今日の午後のこの一報にはさらに驚かされた。また素晴らしい才能がこの世を去ってしまったか。75歳…。NHKは巨人の岩隈投手が今季限りでの引退を表明…そんなもんはしっかり報道するくせに、芸術や美術に関する事にホント疎いというか、何処にアンテナ張ってんだよ…。こんな凄い人が、こんないい作品残した人が亡くなったというのに…ひとっ言とも触れない。静岡のアレじゃないが、それこそ「NHKの教養レベルが露見」と言っても過言ではない。確かに彼は素晴らしいピッチャー〝 だった 〟とは思うが、そんなのもう昔の話でどうしても今更感が否めない。ファン…
10月に、脚本家の山田太一先生と写真家の鬼海弘雄氏のトークショーが行われた。 鬼海弘雄氏はインドなど海外でも撮られているそうだが、浅草で見つけたさまざまな人物を、壁をバックに40年に渡って撮っている連作がある。そのシリーズが今年、『世間のひと』(ちくま文庫)として1冊にまとまった。400枚以上の写真が収録された『世間のひと』はひとりひとりにキャプションも付いていて、それもちょっと面白い。浅草出身の山田先生は、鬼海氏の仕事に注目しておられたそうで『世間のひと』にも推薦文を寄せている。
朝=玄米のトマトリゾット/昼=調布の醤油ラーメン/夜=エノキと胡瓜の胡麻和え、大根とベーコンと油揚げの煮物、インドネシア風の野菜炒め、玄米 自宅の2階の仕事部屋、ちょっと前まではワークショップで使っていたけど、コロナ禍になってからここ2年余りは配信専用になってしまった。最近、本棚の位置を変えたことで、大きな壁面ができたので、ペンキを塗ることにした。用意した色は深みのある「グリーン」、BLACK多めの落ち着いた「赤」、それに「オフホワイト」。壁の一面は思い切って赤に塗ってみた。が、なんとも赤、白、グリーンの壁ができてフランス国旗、いやイタリア国旗みたいになってしまった。ちょっと攻め過ぎたかな。赤…
朝=ホットサンド、トマトスープ/夜=小松菜とウィンナーのニンニク炒め、豚肉のキムチ炒め、玄米、卵スープ/夜食=いちごとアイス 4月28日から5月11日まで、有楽町にあるエプサイトギャラリーで本田光写真展「うきま」が開催される(11時〜17時/日曜日休館)。 それに合わせて、本田さんに2B Channnelライブに出てもらった。本田さんは、エプサイトギャラリーのアワードでグランプリを受賞しての展示になる。賞金30万円が出て様々なサポートが受けられる。以前、僕の日記やライブでも「エプサイトは狙い目」と話しているが、通常のアワードにありがちの、展示後に受賞を決めるというやり方ではなく、公募後に受賞が…
法輪寺遠景 法隆寺から法輪寺へ向かう際に必ずここを通る参道。法輪寺南門と三重塔を遠くから眺めることができるワンシーン。木々に三重塔の足元が少し隠れてしまうが、肉眼ではシルエットがとても美しく感じる場所である。 法輪寺は、三井の里にあり(「みいのさと」と呼び、聖徳太子が飛鳥の里より三つの井戸をこの地に移したところから起こったと伝えられている)、聖徳太子の子である山背大兄王が創建したとも伝えられている寺院である。飛鳥時代の仏像が多く残されており見応えがある。昭和50年(1975)再建の飛鳥様式の法輪寺三重塔については、以前の記事で紹介したが、昭和19年(1944)7月に落雷で焼失した。仏舎利や塔内…
3月、なんだか地に足がつかないまま過ぎていったような気がする。日記はそれなりにつけていたのに、記憶をたどってみたときに霞がかかっているみたいだ。この感覚が私は嫌い。自分が生きていることを忘れたくない。記録。 本 長野まゆみ『野ばら』 自分が絵を描ける人間だったら良かった、と思いながらずっと読んでいた。中村明日美子の絵で読みたい。夜行性の子どもたちに言葉をあたえたのが長野まゆみという人だ、というようなことが解説に書いてあって、それがよかった。 小川洋子『海』 2022/3/15 - 地上のまなざし セーレン・キェルケゴール『死に至る病』鈴木祐丞訳 2022/3/20 - 地上のまなざし 小野不由…
午前九時半過ぎに目を覚ます。好きな声優の音楽に眠気を拭ってもらいながら、布団の中で一日の予定を組み立てる。布団を出たら、洗濯機をまわして、コーヒーを淹れて、朝食をとろう。それから身支度をして、そうしているうちに洗濯が終わるだろうから、洗濯物を干して、正午には出かける。こうやって時間の使い方をあらかじめ決めることが億劫な日もすくなくないし、決めたところでそのとおりに動けることもなかなかないのだけど、やることを決めてしまえば、いちいち思考することに疲れなくてすむからいい。家を出るところまではほぼ計画どおりに動けた。 図書館に寄って、読み終えたものを返却して、文庫をあらたにいくつか借りてから、専門書…
このたび制作した大山行男さんの写真集「The Creation 生命の曼荼羅」。 www.kazetabi.jp 発送作業も一段落し、届いた方から、メッセージをいただいています。幸いなことに、今のところ、不満の声は届いていません。 私は、これまで同じ印刷方法で、自分の「Sacred world 日本の古層」を二回、発行しましたが、他の写真家でのチャレンジは初めてだし、カラー印刷は初めてだったので、少しは心配していました。ただ、印刷は、モノクロの方が難しく、モノクロである程度は納得できるものだったので、カラーは大丈夫だろうとは思ってはいましたが。 (モノクロは、白黒だけで表現するので、白黒の濃淡…
1月初旬、渋谷に雪が降った。 仕事で通うようになってまだ1年もしていない渋谷だが、目的のない熱気と冷たい気配が寄せ集まった普段の渋谷の景色がとても新鮮に見えた。かじかむ手でシャッターを切った。 週末、いつものように保土ヶ谷から横浜への散歩。 一旦、相鉄線の天王町駅を目指して、そこから松原商店街を目的もなく北上するルーチン。 それにしても、このあたりは公園が多い。 横浜駅に近づくにつれて建物が高くなっていく、そのグラデーションに惹かれているのかもしれない。 鬼海弘雄氏の「靴底の減りかた」を年明けから少しずつ読みすすめる。 まるで文章でスナップするよう。 こんなに気取らずに繊細で生き生きとした文章…
朝 チーズとベーコンの玄米フィットチーネ 夜 ポークカレー、玄米、茹で卵、茹でキャベツ 東京の感染者数1万人突破。嬉しくない。さすがに外に出る気がしないので、妻のカレー作りの手伝い。スパイスと玉ねぎを炒める係。目が痛い。カレーは我が家の必須アイテムで、お客さんが来る時にもよく出している。 何もやることないならYoutube動画でも作ればいいのだが、α7Ⅳをいじっているうちに時間が過ぎる。動画もそうだけど、写真の写りがいい。今までのソニー機とは明らかに違う。スタンダードでちゃんと色が出るし、ナチュラル。キヤノンほどではないが、撮って出しに耐えられる。昨年α9Ⅱと7RⅢを借りて撮影した時は、色とコ…
数ヶ月前に、講談社がアマゾンと直接取引を行うことを発表し、業界に驚きが走った。これまでにも講談社発行の本をアマゾンで買うことはできていたので、業界関係者でなければ、さほど驚きとはならないニュースだ。 しかし、これまで講談社をはじめ大手出版社は、アマゾンで販売していた本でさえトーハンとか日販という書籍取次会社経由で本を流していた。つまり、書籍取次会社は、本を右から左に流すことでコミッションをとり、それにくわえてアマゾンもコミッションをとるというナンセンスな流通形態だった。 話は変わるけれど、日本の物価が長年上昇していないことがよく話題になる。その理由として、専門家が色々なことを喋っているが、あま…
この記事によると、鬼海さんは29歳の時、「撮る人間と撮られる人間の関係をもう一度考え直したい」と言っていて、50年近くも前にそんなことを真剣に考えていたんだと、今更ながら驚かされる。 写真が自己主張の手軽な手段となり、自己承認欲や虚栄心のために被写体を自分に都合よく利用しているだけの写真が溢れかえった現代において、鬼海さんが50年前に真剣に考えていたことは、写真における人間の尊厳を取り戻すためにも、今こそ大事なこと。 年末に必ず集まるメンバーの中に、3年前までは鬼海さんがいた。2年前の年末は、鬼海さんは、赤十字病院に入院していたので見舞いに行った。 そして去年は、鬼海さんを弔う酒になった。 今…
モノクロ・スナップの洪水に呑まれる。90年代、ゼロ年代、2010年代の世界8都市で撮られた膨大なモノクロ写真は何を見せたのか。「ミラー」、鏡とは何だったのか。熱を持ったモノクロの中へ飛び込む。 それは東西冷戦の「主義」の時代、そして写真文法表現の時代から、より直接具体的な問題の降りかかる「現在」へと移り変わってきたことを表わしていた。 【会期】R3.10/29~12/26
先日の「『彼は早稲田で死んだ』を読んで」には大きな反響があった。当時、早稲田以外の大学でも暴力支配があり、その記憶を書き送ってくれた人もいる。 また、私の大学時代の友人から連絡があり、「革マルから暴力を受けていないなどとブログに書いているが、お前は塩酸をかけられたのを忘れたのか」と言ってきた。 彼によると、一緒に革マルに対峙していたとき、革マルが液体の入ったビンを投げてきたという。「お前に液体がかかって、おれはお前の陰になっていて少ししかかからなかったが、コートに穴があいた」とのこと。その記憶は鮮烈ではっきり覚えているという。 そういわれると、「塩酸」という言葉にひっかかるものがあり、何かそれ…
朝 キャベツと燻製牡蠣の玄米パスタ 夜 コロッケ、カリフラワーのサラダ、玄米チャーハン、エノキのお汁 来週からルデコウィーク。月曜日と火曜日を搬入日にしているので会期は24日水曜日から28日日曜日まで。毎年毎年この時期になると自分の個展よりもずっと緊張するというか、気になってしょうがない。そのせいなのか夢見が悪い。カメラをなくすとか、大事な物をなくす夢を立て続けに見て、夜中に嫌な気持ちで目が覚めた。しばらく眠れなかったが、気がつくと夢の中にいた。 夢の中でお店でお茶を飲んでいると「さとるさーん」と窓から鬼海弘雄さんが入ってきた。ものすごく元気で僕の横にどっかりと座った。それがものすごくリアルで…
はじめにお知らせです。 朝日新聞の記事からテーマをひろって書くネットコラム【高世仁のニュース・パンフォーカス】のNo.20「勇敢なジャーナリストにノーベル平和賞」を公開しました。 今年のノーベル平和賞は、報道の自由がきびしく抑圧されているロシアとフィリピンのジャーナリストの2人だった。私はどちらの国も取材した経験があり、2人に個人的な思い入れもあって感慨深かった。思い起こせば、ロシアもフィリピンも30年前には自由を謳歌していた。自由は意外に脆弱なものかもしれない。 www.tsunagi-media.jp ご関心あればお読みください。 ・・・・・・・・・ 19日、尊敬する写真家、鬼海弘雄さんが…
2018年秋、鬼海さんと小栗康平さんと一緒に亀岡や京都の紅葉を観て歩いた。 昨日、10月19日で、鬼海弘雄さんが亡くなって1年が経つ。 京都の家の玄関には、鬼海さんから頂いたペルソナの写真2枚が飾られており、うちに来る人のなかには、びっくりして、「自分が一番好きな写真がある!」と叫んだ人もいたし、外国人には、「あなたの祖母か?」と聞かれたりした。 2年前の秋は、闘病中の鬼海さんの写真展が奈良で行われ、その年の3月頃から始めた抗がん剤治療で髪の毛がすっかりなくなり、やつれ果ては身体であるにもかかわらず、トークのためにご家族とやってきて、元気に語る鬼海さんの姿があった。 鬼海さんが自分の病が癌だと…