写真家。30余年にわたってたまたま通りかかった人を呼び止めて撮り続け、1987年『王たちの肖像』(矢立出版)でデビュー、1996年『や・ちまた』(みすず書房)でヒットを飛ばす。奇岩怪石の如き異貌・異相のポートレイトが多いが、当人の弁によれば「好きな人をカッコよく撮っている」といい、アラーキーによれば「彼の写真には礼節がある」という。その名声は海外にも及び、映画監督のアンジェイ・ワイダも絶賛している。 関連語 リスト::写真家
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&field-author=%E5%BC%98%E9%9B%84%2C%20%E9%AC%BC%E6%B5%B7/249-1735687-6765131
統一協会が自民党議員に「政策協定」への署名を要求していた! きのうの朝日新聞のスクープだ。 19日朝刊。朝日のスクープですぐに国会論戦にも使われた 「推薦確認書」という文書で、選挙で支援する見返りに、記載された政策への取り組みを求めるもので、政策協定そのもの。 内容は、憲法改正、安全保障体制の強化/家庭教育支援法、青少年健全育成基本法の制定/LGBT問題、同性婚合法化の慎重な扱い/「日韓トンネル」の実現を推進/国内外の共産主義勢力の攻勢を阻止など。 これだけではなく、「基本理念セミナー」への参加も求めたという。セミナーには泊りがけのものもあり、議員に協会の教え(統一原理)にシンパシーをもたせ、…
鬼海弘雄さんのエッセイ集と僕のハッセルブッラドカメラ(500C/M) 昨年(2020年)10月19日未明、写真家の鬼海弘雄さんが他界された。鬼海弘雄さんについては、東京・浅草寺で撮られた独特なポートレイトが有名である。僕が鬼海さんに興味を持ったのは、ハッセルブラッドで写真を撮り始めるようになってからであった。それまでは、あのポートレイトの良さがよく分からなかったが、6×6で写真を撮り、現像して手焼きをしてみると、その素晴らしい構図や、なぜ一般のおじいさんやおばあさんなどがテーマになっているかが少し分かるようになってきた。また、最近薬師寺の境内で撮影していて思ったのだが、鬼海さんがいつも背景にし…
勲章が欲しい人、賞の欲しがる人たちは、自分が亡くなったら、新聞はどの ように報じてくれるだろうかと気がかりに思ったりすることがあるようです。 そういうのに惑わされるのが嫌な人は、亡くなったことをずっと伏せるとい うこともあったようです。当方が知る有名な例としては歴史学者の上原専録さん がいますが、著名な方でありましたのに、亡くなったことが表にでたのは、三年 半もたってからでありました。 国葬に準じるような葬儀で送られる人もいれば、著名であってもひっそりと亡 くなる方もありです。 昨日に出先で新聞を見ていましたら、訃報欄に鬼海弘雄さんの名前がありまし た。当方が自宅で購読の全国紙ではみかけません…
鬼海弘雄 さん 写真家。 1945年(昭和20年)、生まれ。2020年(令和2年)10月19日、死去。 訃報 鬼海弘雄氏が死去 写真家 :日本経済新聞 写真家の鬼海弘雄氏死去:時事ドットコム 写真家の鬼海弘雄さん死去 75歳、「PERSONA」 | 共同通信 津野米咲 さん 女性のロックバンドグループ「赤い公園」のメンバー。作曲家。 2020年(令和2年)10月18日、死亡が確認された。 訃報 女性ロックバンドグループ「赤い公園」 津野米咲さん 死去 | おくやみ | NHKニュース 津野米咲さん死去 ロックバンド「赤い公園」メンバー:朝日新聞デジタル 女性ロックバンド「赤い公園」津野米咲さん…
昨晩のトランペッター近藤等則氏の死去のニュースにも驚いたが、個人的には今日の午後のこの一報にはさらに驚かされた。また素晴らしい才能がこの世を去ってしまったか。75歳…。NHKは巨人の岩隈投手が今季限りでの引退を表明…そんなもんはしっかり報道するくせに、芸術や美術に関する事にホント疎いというか、何処にアンテナ張ってんだよ…。こんな凄い人が、こんないい作品残した人が亡くなったというのに…ひとっ言とも触れない。静岡のアレじゃないが、それこそ「NHKの教養レベルが露見」と言っても過言ではない。確かに彼は素晴らしいピッチャー〝 だった 〟とは思うが、そんなのもう昔の話でどうしても今更感が否めない。ファン…
10月に、脚本家の山田太一先生と写真家の鬼海弘雄氏のトークショーが行われた。 鬼海弘雄氏はインドなど海外でも撮られているそうだが、浅草で見つけたさまざまな人物を、壁をバックに40年に渡って撮っている連作がある。そのシリーズが今年、『世間のひと』(ちくま文庫)として1冊にまとまった。400枚以上の写真が収録された『世間のひと』はひとりひとりにキャプションも付いていて、それもちょっと面白い。浅草出身の山田先生は、鬼海氏の仕事に注目しておられたそうで『世間のひと』にも推薦文を寄せている。