「日本三大港」になるべく計画された港の跡。 国力増強を最優先課題としていた明治政府は、港湾機能の整備を重視。国土開発の観点から神戸・長崎に並ぶ港として日本初の様式港湾「野蒜築港」が計画された。 仙台百万石を支えた「産業道路」石巻から亘理にいたる北上運河、東名運河及び貞山堀は、北上川と阿武隈川と結び、北から一ノ関・北上・盛岡・仙台・福島・郡山・白河まで、約550kmにわたり、東北の太平洋側の都市を結んでおり、鳴瀬川及び吉田川と河口付近で交差する。 交差する箇所が仙台にも程近いという交通の要所であること、石巻湾に内に波浪が弱いことから大港湾の建設予定地としこの地が選定された。 明治15年、野蒜築港…