昨日と後先になったが、このフレーズは福岡・博多弁ではない。時に当方我幼少の砌、生卵なぞは月に一度口にできるかできないかの極貧の生活の中にあった。ご飯は当然麦飯。この麦飯がなくなると来る日も来る日も「ホウトウ」ソバができないところほど饂飩がやホウトウなど小麦粉主体の料理になる。 母親の実家に行くと鶏小屋があって、数十匹の鶏が鶏舎にいた。毎日卵を産む鶏は重宝がられて、。朝、小屋に行くと両手でも抱えきれないくらいの卵を産んでいた。だから卵には事欠かず、夏休みともなると毎日のように食した。 不思議にも小屋を出たニワトリが庭先を歩くのは珍しい光景でもなかった。さて卵を産めなくなった老鶏はどうなるかという…