自由民主党所属の参議院議員。 当選2回。和歌山県選挙区選出。 1967年2月5日生まれ 東大法学部卒業後、日本経済研究会主任研究員を経て小沢一郎の秘書を務めた。 96年の総選挙では、新進党公認候補として和歌山2区から出馬。次点。 98年の参議院選挙で自由党から和歌山選挙区に出馬し当選。 当選後、自由党→保守党→保守新党→自民党 2002年10月から2004年9月まで国土交通大臣政務官。 政治団体「鶴翔会」代表。 妻は野田聖子衆議院議員。
2018年に、杉田水脈が、「LGBTには生産性がない」という趣旨の問題発言をして、社会的に話題となった。そもそも、杉田水脈や極右の面々が主張していること自体馬鹿げたことで、いちいち反応していたら相手の術中に陥るだけである。この杉田水脈発言で一番得をしたのが、和歌山にある本屋だ。この本屋は、杉田水脈が、月刊誌「新潮45」でこの発言をしたので、新潮社の本を一時的に取り扱い停止するという「パフォーマンス」を取った。売名行為しか考えられないような「パフォーマンス」を大々的に報道したのが、朝日新聞である。この本屋は、地方都市の一介の本屋にもかかわらず、twitterのフォロワー数が8000以上もある。t…
自民党の鶴保庸介参院議員(和歌山選挙区)は23日、昨年6月に統一教会の施設で開かれた会合で演説をしたという週刊誌報道について、事実関係を認めた。演説は自身が立候補した参院選の選挙期間中だった。当時は教団の会合という認識はなかったとし、党に報告していなかったと弁明。「FRIDAYデジタル」が20日、鶴保氏が昨年6月26日に、和歌山市内にある教団施設「和歌山家庭教会」で開かれた会合に出席し、演説したとする記事を配信。記事によると、教団創始者の故・文鮮明氏と現総裁の韓鶴子氏の写真の横で演説したとしており、その様子を映した写真も載せている。統一教会と知らなかったはずがない。ウソの上塗りだ。鶴保氏は23…
ツイート オンブス宮崎理事長(上村成和) @kamimura198095 河野俊嗣宮崎県知事の報道機関に対する情報操作依頼および虚偽情報開示依頼に対して猛省を求める要望書とそれに添付する署名活動を開始したいと思います。 賛同いただける方は。 #拡散希望RTおねがいします #署名活動 #宮崎県知事選 #宮崎県知事 #河野俊嗣 20:17 ぼん @bonetrom 明石市長は、 #少子化対策 など #社会福祉 策の為に土木費を半減したと語った。確かに無駄な土木工事が多いのは、引用記事のマンホールの例の他、歩道の装飾舗装などが目に付く。これらが瞬間的な政治家らの自己満足であることは、それが維持… h…
gsdEvcDdplIdBng RT @siroiwannko1: 自民党 鶴保庸介議員 「参院選公示後の去年6月に統一教会の会合に出席しました、自民党の調査には報告していません、本当に申し訳ない」 その鶴保氏、謝罪後の本会議で、居眠りをしていました #news23 https://t.co/P2LS… わんこ(2023/01/24 06:28:36) tkdifender0804 RT @siroiwannko1: 自民党 鶴保庸介議員 「参院選公示後の去年6月に統一教会の会合に出席しました、自民党の調査には報告していません、本当に申し訳ない」 その鶴保氏、謝罪後の本会議で、居眠りをしていま…
鶴保庸介が、6回目の参議院選挙に当選した。ウルトラ保守王国和歌山では、維新などの政党の立錐の余地もないぐらい、自民党支持者が多いようだ。鶴保庸介と言えば、野田聖子の夫として有名であるが、過去に「週刊ポスト」2016年9月2日号が、大々的なスキャンダルを報じた。野田聖子と離婚した後に18歳年下の女性と出会い結婚したが、捨てるように協議離婚したいきさつを詳細に書いている。2011年に26歳だった女性徒と鶴保庸介は、出会い交際し始める。きっけは、この女性は、メディア関係の仕事をしていて、和歌山県出身の共通の女性を介して知り合う。そして、結婚して、子供が産れる。2か月後、鶴保庸介は、この女性に断りもな…
選挙区 選挙区 政党 氏名 評価 備考 北海道 自民 長谷川岳はせがわがく × 全国たばこ販売政治連盟(組織推薦候補者)自民党たばこ議員連盟自民党たばこ特別委員会 北海道 自民 船橋利実ふなはしとしみつ × 自民党たばこ議員連盟全国たばこ販売政治連盟(組織推薦候補者) 北海道 立民 徳永エリとくながえり × 飲食店は「罰則付きの分煙とするべきである」 北海道 共産 畠山和也はたやまかずや ○ 原則屋内禁煙の罰則付き健康増進法改正について「賛同し進める」「受動喫煙を受けない権利がある」 北海道 NHK 齊藤忠行さいとうただゆき × 喫煙者おちひろゆき候補(新潟県)の「嫌なら無人島に行け」発言にい…
今でこそ反自民の生長の家であるが、1983年までは自民党支持を表明していた。とはいえ、もう40年近くも前の話であり、未だに生長の家と自民党とを等号で結ぶのは悪質なデマであると言わざるを得ない。 ただ、初期の生長の家と初期の自民党との関係が極めて深かったことは事実である。 生長の家初代総裁である谷口雅春先生と自由民主党初代総裁である鳩山一郎首相とは、共に共著を出版するような仲であった。 それでは大聖師・谷口雅春先生がどうして鳩山一郎首相をそこまで支持したのか、というと、それは、鳩山一郎首相が今の自民党とは全く正反対に「天地一切のものと和解せよ」という生長の家の真理と同じ政治を行っていたからである…