織元は、ダム建設に純粋に命を懸けている。なぜそれほど命懸けになるかは詳しく描かれていない。しかし、この小説が、足掛け8年に及ぶ補償交渉が1956年(昭和31年)に妥結した福島県只見川田子倉ダム補償事件をモデルにしていることを考えると彼の立場は理解できる。この頃の日本人は、戦争の痛手から必死に回復しようとしていた。織元も日本の復興のためには電力が必要であるとの信念でダム開発に取り組んでいる。言わば「公」の価値を体現する男だ。(城山三郎『黄金峡』講談社文庫、2010) おはようございます。福島県は只見町にある只見駅から歩いて5分くらいのところに「ふるさと館田子倉」があります。田子倉ダム建設に伴い、…