徳川家康の側室で「お万の方」と呼ばれる人物は2名います。 一人は結城秀康の生母、長勝院(於古茶(おこちゃ)、小督局)で、もともとは築山御前の奥女中であって、浜松時代に秀康を生んだ人物です。北ノ庄の城主となった秀康のもとで、1620年に亡くなっています。 もう一人は、家康が年老いてからの側室で、駿府で育った紀州徳川家の徳川頼宣、水戸徳川家の徳川頼房の生母であり、養珠院と呼ばれる人物です。養珠院の血筋は、徳川幕府の後半、吉宗以降、重要になることから、側室のなかでも特に重要な存在となっています。1653年に江戸の紀州藩邸で亡くなりました。 JR静岡駅にも近い静岡市葵区沓谷の蓮永寺(日蓮宗)は、家康が…