元禄9年1月2日。薄曇。風が吹く。山上東の高岳院墓所で呉服町徳力仁兵衛借家に住む革屋の弟子が自害する。昨夜自害しており、この朝関円右衛門・同加兵衛が参詣した際に見つけ僧に告げる。酉半(午後6時)、納屋裏祢宜町で火事がある。1町(1町は約100メートル)ほどで小家が50軒焼ける。忠兵衛のところへも火の粉がたくさん飛んできたので、娘子は裸足で伏見町の才兵衛のところへ逃げる。下納屋の裏、江川の端の民家が1軒焼失する。亭主が伊勢詣に出ようとすると夫婦喧嘩となり、叩き合いになったが出かけてしまう。火事のさなかに下向とは神罰と云々。