元禄12年7月1日。枇杷島の水は4合5勺となる。文左衛門は卯(午前5時)過ぎから建中寺に巳刻(午前9時)まで詰めていたが、その間は風雨は激しかった。囲いなども吹き飛ばされる。今年の知行所の麦の値段.免番は1石1斗5升と替える。文左衛門は3升を免じてを取る。野崎村は2升を免じる。近頃、座頭が博奕を打ち、あちこちの検校(盲人の官職名)へ御預けとなる。合わせて9人であった。その後、許される。