宝永3年6月17日。未刻(午後1時)、恒河左五兵衛門外で相原政之右衛門召仕の覚内が切り殺される。相手は中条主水殿同心今泉新右衛門の若党伊藤作太夫という者であった。浜田宅左衛門のところへ立ち退く。政之右衛門頭への口上書には、昼頃新町へ小麦殻を買いに覚内を遣わしたところ、八ツ(午後2時)頃に召仕の下女かるが物売りを呼びに門外へ出てみると近所で人が切り殺されたと言って走り込んできた。政之右衛門が急いで出かけると、左五兵衛門外で覚内が切り殺されていた。相手が誰だか分らなかったが、脇差は抜かずに海野庄太夫のところにあった。仲間の男女に聞いたところでは覚内に日ごろから怪しいところはなかった。覚内の在所は羽…