宝永4年2月1日。酉半(午後6時)、白壁町角の久松弥一右衛門の奥から火が出る。ちょうど乾(北西)の風が強く吹いており、すぐに成田紋太夫のところへ燃え移る。風は段々とおさまる。成田紋太夫のところでは土蔵に至るまで残らず焼失する。佐々木岡右衛門の長屋、小藤善助のところも残らず焼失する。そこから磯松与右衛門のところへ燃え移り、残らず焼失する。海部伝右衛門の長屋、門・塀なども焼失する。成田長左衛門の勝手東の方も少し焼け、引き崩す。東の塀・門・長屋など残らず焼失する。野呂瀬又右衛門・中嶋宅右衛門・平井六之右衛門のところでは塀覆いを全て引き崩す。丸山伝之助のところでは雪隠・薪部屋・塀覆いを全て引き崩す。亥…