宝永4年8月21日。上田織部は願いにより役を解かれ、寄合となる。座は以前の通りで、足米も500石全て下される。少し前、尾張に戻った際はかなりの威勢であったが、次第にそれも失せていた。嶋松右衛門の弟子の稽古を見たくて御意があったようににおわせたが、どうしたわけか終にこれを見なかった。清浄寺の間地を設けさせたのも織部の仕業と云々。小姓高橋政之助が飛騨守宅でかため(約束、契り)の際に立ち合うはずであったが、不案内と立ち合わなかった。飛州は怒ってこのことを江戸へ訴えたと云々。近頃、名古屋で大村源兵衛二枚手形(奉公人の請状)のことが大いに噂になると。蔵へは出かけなかったと。このため国用人衆に源兵衛はこの…