宝永7年4月29日。近頃、あちこちで狼が現れる。人を食い殺し、傷つけることがとても多い。昨日朝鮮人が来朝する。先年は道筋の宿や橋、道路のことを東海道の宮までお尋ねがあったが、今回は名古屋、西美濃、江州などの国主・領主へお尋ね書付が届いた。本多弾正少弻・仙石丹波守・荻原近江守・大久保大隅守4人の名が記してあった。書付と絵図で差し出すようにと。
宝永7年4月28日。公儀巡見衆使番梶四郎兵衛・小姓組田中一郎右衛門・書院番川口茂左衛門3人は近頃知多に滞在していたが、この朝鳴海を出発し、当町(今の東区)を通る。町奉行は犬堂(犬御堂)へ出向き、そこから大曽根あたりへ行き、待っていた。国奉行の供応で吸物などが出る。京町を東へ向かい、大曽根から猪子石を通り、長久手を見廻る。仮屋敷ができており、荒井に泊まる。翌29日は犬山に泊まる。5月1日は曼陀羅寺、昼休みの後、佐屋へに向か、桑名へ海を渡る。