正徳1年10月5日。建中寺へは名代を送る。供の五十人衆などが韓人の用務で不足したためか。韓人は起へ4つ頃(午前10時)になって到着し、昼過ぎに出発する。性高院へ下官などが昼頃から段々到着する。中官も申(午後3時)前から段々とまず到着する。荷物を置く場所は前々より決めた場所に従わなかった。自ら抱えて本堂の椽へ上がり、あるいは轎(籠)を置くところなどに積み置いた。通事(通訳)は遅れて到着したので役に立たない養子であった。戌8刻(午後8時半過ぎ)、三使が到着する。正使が門に入る際には鉄砲を放つ。式台の下で立って待ち受けていた韓人は書翰(ママ)轎より三使が入るたびに音楽を奏でる。文左衛門の親はこれを見…