正徳1年6月19日。妻籠の次のみどの(三留野)と野尻の間で播磨の一柳土佐守が痰に血がまじり気分がすぐれなかった。ようやく中津川まで行き、逗留した。尾張の供番が御嵩まで代わる代わる詰めたが、堪えきれず願い出た。7月1日に桜井作之右衛門が行き、供番を引き取った。6日に養生の願いを申され、また江戸へと向かった。作ノ右衛門は7日に名古屋へ戻った。金持ちであったのでかなり金を使って、宿は悦んだ。桂昌院様の法事があり、千村数馬が代香に行くと云々。