文政2年。一両年、朝顔がとても流行し、いろいろな花・葉の異なる品種ができる。人が好むようになると草木もまた珍品が生まれるのは不思議なことである。5月25日、玉屋町聞安寺で会が催される。珍花・珍葉と不思議な品を飾る。6月4日にも会が催される。そのほか所々で会が催されると。3年ばかりすると全くすたれてしまい、朝顔を作るものは稀となった。
文政2年。今年春から阿弥陀寺裏門(石切町、行当り)は通り抜けできた。元来このようにしたのは宝物などを少しは多く収めることができるとの目論見であった。しかし、たいして変わらず、ただ通り抜けができるだけであったので、2、3年すると裏門を閉じた。
文政2年。この夏、ある噂でもちきりとなる。その図は左様で、いろんな話があった。(朱書き頭注)「矢場にて人魚の細工物を売る」。名は神社姫という。竜宮からの使いであった。長さは2丈(1丈は約3メートル)ほどで、腹は赤く紅の様であった。今年4月4日、九州肥前の国浜あたりにあがり、同国八兵衛というものが生捕にすると。神社姫がこう言った。私は竜宮の使いである。今年から7年間は豊年である。しかし、コロリという病が流行する。私の姿の図を見れば、この病は退散する。これが神のお告げだと。
文政2年。江戸の保己検校は群書類聚を全編完成し、また続編を編纂しようとする。そのため国の珍書を探そうと名古屋へもやって来て、熱田の日本紀を一見し(ざっと見る)、大須の古書を吟味し、この寺の珍書は大半を写したと。先月より筆工が多く集まって写した日もあった。寺社方の下役も出席して方丈(住持の居所)で模写を行った。このほか、河村氏の蔵書や枇杷島青物問屋市兵衛所持の蔵書も写したと。