JR総連元役員の四茂野修は次のように書いた。 「事故の起きた原因を究明し、再び同じ事故を起こさない働き方を、労働者が自らの手で追究すること」、「そこには、自然と人間との物質代謝を媒介する人間労働を、資本の命令という枠組みから解き放ち、自らつくりだす意識的な活動へ転換するという大きな夢が孕まれている」(四茂野修『評伝・松崎明』新時代社、二〇二〇年刊、三七四頁)、と。 この考察には、当局者によって、事故が起きた原因を、列車を運転した自分の精神の弛みにされることへの乗務労働者の憤怒と苦悩、これへの思いがない。再び同じ事故を起こさない働き方を、労働者が自らの手で追究したとしても、そのような働き方はない…