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119系

(一般)
ひゃくじゅうきゅうけい

 1981年(昭和57年)から製造された、直流近郊型電車の系列。
 当時、「旧型国電の宝庫」として名高かった飯田線であるが、それらの旧型国電の多くが戦前製(80系電車は戦後製)であり、老朽化が進んでいたことから、105系電車をベースとした新性能電車の投入による旧型国電の置き換えがが検討され、その結果、飯田線に投入されたのが、この119系である。
 クモハ119が33両、クハ118が24両、合計57両が製造された。

特徴

  • クモハ119(制御電動車・片運転台)とクハ118(制御車・片運転台)の2系列で構成された1M方式で、1両単位での運用が可能。
  • クモハ119に、走行に必要な機器をすべて搭載し、単車での運行も可能。。
  • 福塩線に投入された105系をベースとしているが、車内はセミクロスシートを採用。
  • 主電動機は103系・105系と同じMT55で、使用線区の速度を考慮し、4個永久直列としている。
  • 勾配線区であることを考慮し、抑速発電ブレーキを装備している点は、105系と異なる。
  • 車体は105系に類似しており、高運転台を採用。ただし、側窓配置は異なる。
  • 台車や電気機器は、廃車発生品や余剰品を極力流用し、製造コストを抑制している。
  • 塗装は水色に白帯を採用。この白帯は塗装工程の省略を目的として、塩化ビニルのテープを使用*1

その後の改造

  • 1986年(昭和61年)11月改正で、東海道本線(静岡地区)に運転されていた「するがシャトル」を増発するため、16両(2両×8本)の119系電車が、冷房改造・塗色変更(白地に赤帯)されて運用された。ただし、1989年(平成元年)3月改正で「するがシャトル」からは撤退し、飯田線に復帰。
  • 1988年(昭和62年)より、飯田線用のクモハ119を両運転化改造し、9両がクモハ119の100番台となる。
  • JR東海発足後、塗装はクリーム色に、オレンジと緑の湘南色の帯に変更。当初は側窓上にもオレンジの帯があった。
  • 1989年(平成元年)より、「するがシャトル」用以外の非冷房車について、インバータ方式の冷房装置を設置する改造を実施。インバータクーラ改造車は5000番台(クモハ119・クハ118とも)に変更。番号は、改造前番号に5000を加算。
  • 1999年(平成11年)より、クモハ119・クハ118の片運転台車について、ワンマン改造を実施。番号は、改造前番号に300を加算し、5300番台を名乗る。クモハ119・クハ118、それぞれ8両ずつ改造*2

事故

119系は、伊那新町駅付近で雨による土砂崩れが起きており、そこに乗り上げたR4編成が脱線転覆事故を起こし、乗務員1名、乗客3名が軽傷を負った。
その後、EF58による牽引で浜松へ回送された。2006年解体。

事故発生後

R4編成が事故廃車された後、5000番台のE3編成がR8編成に改造され、手動ドアが半自動ドア化された。

運用

  • 飯田線全線(豊橋〜辰野間)を活躍の場とするが、中央本線の上諏訪まで乗り入れる列車もある。
  • 投入当初の配属は豊橋機関区で、その後、静岡運転所に転属し、最終配置は大垣車両区。
  • 2011年11月下旬から213系5000番台・313系3000番台の運用が始まって、置き換えが開始され、2012年3月17日をもってすべての編成の定期運用は終わった。
  • 3月31日にE4編成を使用した119ファイナル号が運転され、この運用を最後に浜松へ回送された。

編成

  • 119系は、えちぜん鉄道譲渡分と5300番台(1編成)以外は、解体された。

譲渡

置き換えられた車両のうち、2両編成×3本がえちぜん鉄道に譲渡され、同社7000系となって2013年2月から運用されている。
えちぜん鉄道のコーポレートカラーをまとい、トイレが撤去されたほか、足回りでは制御方式がVVVFインバータ化された。

*1:はがされるイタズラが多発した

*2:クモハ119の両運車もワンマン仕様だが、300は加算されていない

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