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Bing Image Creatorによって作成 :蓑輪博之 はじめに 旧石器時代 縄文時代 弥生時代 古墳時代 飛鳥時代 那羅時代 平安時代 鎌倉時代 室町時代 安土桃山時代 江戸時代 明治時代 大正時代 昭和時代 平成時代 令和時代 星・小石を掴む―手の物理現象 星を掴む 小石を掴む 握力の源泉 物理現象・手根骨の動きの相違点 腰は天地を繋ぐ 天から糸が下りてきて頭上に着き、人間はぶら下がる 腰痛 腰の鉛直軸への角度 腰の鉛直軸への角度が小さくなる運動 バイクや自転車の乗り方 ダイビングの姿勢 ㇲケーㇳボードのㇳリック バイクや自転車を安全に乗る。 地理学における幾何学的側面の医学への関係…
4460号 12月1日(金)夜 さて。12月になった。 暖かかったり、寒かったり、寒暖差は日々あるが、まあ、木枯らしというのは、まだかもしれぬが、12月、初冬らしい気候になってきた。 と、なると、鍋。 やっぱり、ここにこなければいけなかろう。あんこう鍋の[いせ源」。 天保元年(1831年)創業という。江戸後期。今年で、192年。押しも押されぬ、大老舗といってよいだろう。 場所は神田須田町。以前は連雀町。 その昔、今の中央線の始発駅が万世橋にあったため、駅前としてにぎわっていた。また都心部で奇跡的に、東京大空襲で焼け残った地域で、少し前まで、戦前、関東大震災後の街並みが色濃く残っていた。 それで…
私がアーリーリタイア前に何度も読み返していた本。 その二冊目が「Dark Horse」という本だった。 Dark Horse 本屋で平置きされているのを見かけて、手に取ってぱらぱらとめくってみたときに、すぐに、 「この本は買ったほうがいい」 と思った本だった。 私は部屋の荷物はできるだけ少なくしたいというミニマリストのような考えを持っていたので、実際の本はここ何年も買っていない。 買ったのもFP2級を受験するときのテキストが最後で、それも2年ほど前のことだった。 そのようなわけだったから、本屋では買わずに、家に帰ってKindleからすぐに購入した。 ダークホースとは何か そもそもとして「ダーク…
1825年にポルトガルからの独立を達成したブラジル帝国は、その初めから危機的な状況に陥っていた。 独立を勝ち取った初代皇帝ペドロ1世は、自由主義的な思想を持っていた先進的な皇帝であったが、より急進的な自由主義を信奉する議会勢力と対立し、やがてこれに対抗することへの虚しさとポルトガル本国での問題の解決のために、1831年に急遽退位を宣言した。 当時、後継者となった彼の息子ペドロ2世はわずか5歳。 当然すぐさま摂政が立てられるも、その主導権を握り国内はバラバラ、そして独立を求める諸勢力との内乱に陥り、1828年にはウルグアイが独立。 そして1836年現在もなお、ブラジルは内乱と国内の混乱を引きずり…
2022年も新型コロナウィルスの影響が続きたくさんのイベントが中止となりました。今年こそはという思いを込めて1月のイベント情報を届けたいと思います。とはいえすでに中止が決定しているイベントもあるようで、まだまだ新型コロナウィルスの影響は続きますね。 12月から続くイベント 【洞爺湖町】イルミネーショントンネル 【小樽市・余市町】小樽 余市 ゆき物語 【更別村】ときめきイルミネーション 【北斗市】北斗光回廊 新函館北斗駅前イルミネーション 【帯広市】おびひろイルミネーションプロジェクト 【函館市】五稜星の夢(ほしのゆめ)イルミネーション 【函館市】湯の川冬の灯り 【北広島市】エルフィン・イルミネ…
伊勢原の日向薬師(ひなたやくし)では2種類の御朱印が頂けます。奈良時代に創建されたという伝承を持つ寺院で、重要文化財の宝城坊本堂は17世紀に建てられた頃の美しい姿をそのまま残しています。アクセスはバスに限ります。 日向薬師の優雅な御朱印 御朱印所 御朱印帳 御朱印 薬師如来 丹沢三山 過去に頂いた御朱印 日向薬師の由緒 アクセスはバスに限る 交通 地図 日向薬師の参道 参道入り口 仁王門 日向薬師の森 息をのむ美しさ、宝城坊本堂 梵鐘(重要文化財) 二本杉 宝城坊本堂(重要文化財) 神木のぼり お勧め記事 日向薬師の優雅な御朱印 御朱印所 御朱印は本堂内左手にあります。こちらでは薬師如来と丹沢…
文字霊日記・3393日目 乾(板垣)退助」とは「ダレ」か・・・ ・・・イタガキ死んでも自由は死なぬ・・・? 「乾(板垣)退助」とは「ダレ」か・・・ 「戌亥=戍亥=乾=いぬい=北西」 「伊吹山の神=伊吹おろしの神=白猪の神」に 「ヤマトタケル=日本 武=倭 建=倭男具名」は敗北し 「足萎えて當藝(たぎ)當藝(たぎ)しく三重になった・・・?」 多義 他義 纂廿(拾・十・足・✖) 「ムムムムッ???」・・・「あぁ、アァ、アぁッ!」 ↓↑ 「彦=ひこ・びこ・ひご?=肥後・卑語・比護・庇護・飛語・比語」 比古・毘古・比後 彦=产+彡 立+ノ+彡 亠+丷+厂+彡 山彦=やまびこ=反響音・・・纂経(教・今日…
世田谷城址公園から少し迷ったけれど、やっとたどりついた。 ここが勝光院の入り口か、な。 いやいや、門前はこの道のはるか先のようだ。 勝光院 閑静な住宅地の中にゆったりとのびる参道、静謐な空間。 吉良氏の墓所に伺う前に、まずお寺の方を。 世田谷区指定史跡 吉良氏墓所 所在地 世田谷区桜一丁目二十六番三十五号 延命山勝光院 所有者 世田谷区桜一丁目二十六番三十五号 宗教法人 勝光院 指 定 平成十三年十一月二十八日 吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、三河国吉良荘より起った。世田谷吉良氏はその庶流で、十四世紀後半、治家はるいえの代に世田谷に居館を構えたと伝えられる。室町・戦国期を通じて、吉良氏は足利…
こんにちは、勘矢です。 前回に続き大給松平家について調べたことをまとめました。 1. 府内藩系大給松平家 2. 豊後府内藩主 (1)立藩から西尾を経て亀山へ (2)豊後への転封 (3)豊後府内藩(前期) (4)豊後府内藩(後期) 1. 府内藩系大給松平家 大給松平氏の家祖乗元の曾孫近正ははじめ宗家松平家乗の家老で、幼少の家乗に代わりに小牧長久手の戦いに出陣した。1590年の徳川家の関東移封の際に御家人となり、上野三蔵(群馬県高崎市)で五千五百石を与えられた。1600年の関ヶ原の戦いで伏見城を守って戦死した。 関ヶ原の戦い後、一生は下野板橋(栃木県今市市)一万石を与えられ諸侯に列し、二代成重は1…
2023年10月 函館旅行にて。北海道上磯郡木古内町にある佐女川神社へ行ってきました。 JR・道南いさりび鉄道 木古内駅より徒歩約10分の場所に鎮座しています。駅から向かう途中、木々の中に朱色の屋根が見えたので、それを目印に歩きました。 一の鳥居の二の鳥居の間には灯籠が並んでいて、その中でも龍が彫られた灯籠は目立っていました! - - - - - - - - - - 社殿は高台にあります。朱色の屋根が目立ちますね♪ 創建:1625年御祭神:玉依姫命松前藩の河野加賀守源景広が佐女川の辺りに祠を建て、武運長久を祈願したのが始まり。1831年から行われいている神事「寒中みそぎ祭り」が有名。 1986…
2023年10月に、東近江市に秘仏開扉と高月の「観音の里ふるさとまつり」(毎年10月15日前後の日曜日)があり、それを見るついでに、昨年回れなかった湖西北部の安曇川や新旭町の銅像を巡ってきたので、報告します。 〇中江藤樹 略 <中江藤樹像> 場所:安曇川駅東口(滋賀県高島市安曇川町末広1-1) 竣工:1977年10月 像高: 作者: 撮影時:2023年10月15日 説明:中江藤樹と高島は切り離せない。安曇川町の小学校には、中江藤樹の幼年時代の像がある。安曇小学校(滋賀県高島市安曇川町田中445-1:1974年12月)と青柳小学校(滋賀県高島市安曇川町青柳1138:1974年10月)である。安曇…
奈良県内には古代からの街道沿いに発展した宿場町が数多くあります。 今回紹介する宇陀市中心街の萩原宿もそういった町のひとつです。 場所はこちら。 大和高原南部に位置し、宇陀市の中心市街となっている場所です。 大阪と伊勢を結んだ伊勢本街道沿いには、往時を偲ばせる町並みが今も残り、散歩にぴったりの町でした。 街道の交差点・萩原 新町界隈 墨坂神社 榛原空襲戦跡 札の辻 上町~墨坂伝承地 東町~金平稲荷神社 椋下神社~庚申堂の辻 参考文献 街道の交差点・萩原 さて、萩原宿は町村合併で宇陀市となった旧榛原町の中心市街でした。 榛原という地名がこの地に名付けられたのは明治になってからで、1889(明治22…
リン酸は昔,骨から作られていました. 一体どのような方法だったのでしょうか?今はどのように製造されているのでしょうか? 1870年頃の骨灰工場 "Les merveilles de l’industrie, ou Description des principales industries modernes, vol. 3" p.537今回はリン酸製造法について,リン酸活用法の歴史とともに見ていきましょう.
ラーベが 最後に発表した作品「ハステンベック」は歴史小説で、これは7年戦争を扱ったもの。彼はその後、もう一篇「アルタースハウゼン」を書きはじめるが、これは中途のまま老齢の故もあり筆を絶つ。 とはいえ、擱筆してから10年の歳月の間に、いろいろな名誉に浴する。これは年老いてきた彼にとり倖であった。: 一つはゲッティンゲン、並びに、テュービンゲンの両大学から名誉博士号を授与されたことである。また、詩人のリーリエンクローン との知遇が得られたのも この時期、 氏はその時63歳で13歳ほど若かったが、ラーベはまた、その年レーゲンスブルクを訪れ次女エリーザベトの娘夫婦に逢うこともできた。 ラーベは年老いて…
【きょうの一枚】亡父の兵児帯。 父が亡くなったときに形見として譲り受けた兵児帯。 和服を着る習慣のなかった私は、譲り受けたものの、どうしていいか始末に困った。 ひとまず修繕の足しにならないかと伊豆の家へ持って行き、部屋の入口に暖簾代わりに兵児帯を垂らしたらどうかと考えた。平安朝の几帳のイメージだ。 我ながらいいアイデアだと思ったが、すぐさま悪戯好きの孫どもに目をつけられた。部屋の中が透けて見えないようにしたのが不満だったらしく、孫どもの格好の餌食にされた。ハサミで兵児帯にジョリジョリ穴を開けられてしまったのである。 それもまたよしとそのままにしておいたら、今度は開けられた穴にわざと肘を引っかけ…