父は京都陶器会社へ図案部長として招聘され既に勤務していたので間も無く付近の一軒の家を借り、そこへ移った。伏見稲荷神社の直ぐ傍であった。 私は学校へ通わなければならないので伏見桃山の麓にある板橋尋常高等小学校高等科一学年へ転入した。こゝで当時の付近の様子を思い出してみよう。 伏見のお稲荷さんは半丁(約五〇米)程の所に在る。朱塗りの大鳥居を潜り一丁(約 百米)位石畳みの道を行くと又朱塗りの右大臣、左大臣が構える楼門がある。 本殿はその門の直ぐ奥の森を後に矢張り朱塗りの千木造りで、参詣人の柏手や鈴の音は途絶える事が無かった。 「御山」と言うのは本殿の傍らから、山へ登って山廻りをすることで、人々は少し…