「大変な欲張り」というのは極端ですが、でも、そう強調したくなるほど、知性による欲のコントロールや、欲を捨てることが自然に近づく道と思いこむことへの強い警鐘が込められています。 老子や仏教の教えを処世術的にとらえると、欲をなくすことが自然に近づけることだと思えてきますが、でもそれは、欲をなくしたいという欲になります。生きることが欲の燃焼なら、無欲という欲もエネルギーになるのでいいのですが、それが魄の望みではなく、人間の賢しらな知性のなせる技だとすると、燃焼すべき欲をため込む不自然な生き方を続けることになり、これもまた、あるとき、大きな不幸を呼び込み、気が付くことになります。なぜ、有欲も無欲も実ら…