A.C.R. Messina
イタリアのサッカークラブ
正式名称 : Associazione Calcio Rinascita Messina s.r.l.
愛称 : Peloritani, Giallorossi
クラブカラー : 赤・黄
創設 : 1900年12月1日 (現在のクラブ形態は2008年)
本拠地 : Messina, Provincia di Messina, Regione Siciliana (メッシーナ、メッシーナ県、シチリア州)
スタジアム : Stadio San Filippo (スタディオ・サン・フィリッポ)
収容人数 : 38,722人
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1900年12月1日、「メッシーナFC (Messina Football Club)」 として設立。
その後 「SGガリバルディ・メッシーナ (Società Ginnastica Garibaldi Messina)」「USメッシネーゼ(Unione Sportiva Messinese)」「ACメッシーナ (Associazione Calcio Messina)」「ACRメッシーナ (Associazioni Calcio Riunite Messina, 1947-48〜1992-93)」 など、他のクラブとの合併・解散などでクラブ名を何度も変更した。
1992-93シーズンをセリエC1グループBを12位で終えたが、翌1993-94シーズンはクラブの財政難のため7部に相当するアマチュアリーグの Sicilian Promozione に降格させられ、経営陣もかわったことからクラブ名も 「ASメッシーナ (Associazione Sportiva Messina, 1993-94〜1996-97)」 に変更した。
しかし1996-97シーズン終了後、持続的な財政難のためイタリアサッカー協会は、翌1997-98シーズンのプロとしての活動を認めなかった。そこで1997年7月、地元クラブの 「USペローロ (Unione Sportiva Peloro)」 と合併、クラブ名も新たに 「FCメッシーナ・ペローロ (Football Club Messina Peloro s.r.l.)」 としセリエDに所属し、翌1998-99シーズンはプロリーグのセリエC2に昇格した。
2003-04シーズンに約40年ぶりのセリエA昇格を果たすも、3シーズン後の2006-07シーズンは20位でセリエBへの降格が決定する。
2007-08シーズン、セリエBで14位となった後、3シーズン在籍したセリエA時代の財政力を無視した積極経営から、またも財政難に陥りプロリーグ登録が認められなかった。そのため2008-09シーズンはセリエDでの所属となり、クラブ名も 「FCメッシーナ・ペローロ」 から 「ACRメッシーナ (Associazione Calcio Rinascita Messina s.r.l.)」 として再出発した。案の定クラブは2008年11月に裁判所から正式に破産を宣告され、翌2009年3月にようやく買収先が決定した。
ちなみに1900年のクラブ設立から10回以上クラブ名を変えている。
柳沢敦 (2004-05〜2005-06) と小笠原満男 (2006-07) が所属していたサッカークラブとして有名。
ライバルクラブは、メッシーナ海峡の対岸にあるイタリア半島南端部の 「レッジーナ・カルチョ (Reggina Calcio 1914 S.p.A)」 で、この対戦は海峡ダービー (Derby dello Stretto) といわれ、イタリア国内でも荒れるダービーマッチとして知られている。