Club Social y Deportivo Colo Colo チリ・サンティアゴを本拠地とする名門サッカークラブ。 1991年にコパ・リベルタドーレスで初優勝。同年のトヨタカップではレッドスター・ベオグラードに敗れた。 2000年代に入ってから経営危機に陥り低迷していたが、2006年以降は国内リーグを連覇するなど復活している。
「雷帝の轟砲」 さほど大柄ではないが、滞空時間の長いヘディングは「ヘリコプター」と呼ばれた。また強烈なゴールへの意欲と得点力、持ち前の闘争心で「ザ・デリブル(恐怖の男)」「イワン(イバン)雷帝」の異名を持つチリのストライカーが、イバン・サモラノ( Iván Luis Zamorano Zamora )だ。 若くしてヨーロッパに渡り、スペインなどで活躍。それまで海外に出る事の少なかったチリ人選手で初めての成功者となった。レアル・マドリード時代の95年には得点王を獲得し、リーグ優勝に貢献している。 チリが「ロハス事件」の不祥事による制裁を受け、90年と94年のWカップ出場は叶わなかったが、98年に…
「レッドスターの魔法使い」 ドラガン・ジャイッチ( Dragan Džajić )は、ユーゴスラビアが生んだ最高の名手。スピードと技巧に富んだドリブルで左サイドを突破し、鋭く曲がるクロスで多くのチャンスを作った。 ユーゴスラビアの名門、ツルベナ・ズベズダ(レッドスター・ベオグラード)の左ウィングとして60年代から70年代にかけて活躍。クラブに大きな功績を残したレジェンド「五大星人」の一人に数えられる。 ユーゴ代表として、68年の欧州選手権(イタリア開催)準優勝に貢献。準決勝のイングランド戦では高いテクニックで相手守備陣を翻弄し、「マジック・ドラガン」と賞賛された。74年のWカップでも2次リーグ…
「アラウカナの勇士」 小柄でズングリとした体型だが動きは素早く、強いシュートと高いジャンプのヘディングを持ち味としたストライカー。チリのインディオで最も勇敢な民族・アラウカナ族をルーツに持ち、ここ一番で相手にとどめを刺すゴールで「エル・マタドール(闘牛士)」と呼ばれたのが、マルセロ・サラス( José Marcelo Salas Melinao )だ。 チリ代表では、イバン・サモラノとアタッキング・デュオ「Za-Sa(ササ)コンビ」を組んでゴールを量産。フランスWカップ南米予選では、チーム総得点32のうち二人で23点を叩き出すという驚異の得点力で、母国を16年ぶりの本大会出場に導いた。 クラブ…