D.W. Griffith (David Wark Griffith)
アメリカの映画監督。
1875年1月22日、ケンタッキー州クレストウッド生まれ。本名デイヴィッド・ウォーク・グリフィス。
父は元南軍大尉で下院議員も勤めたジェイコブ・ウォーク・グリフィス。
1906年5月14日、女優リンダ・アーヴィドソン・ジョンソンと結婚。
1907年に自ら執筆した芝居『愚か者と女の子』A Fool and a Girlがニューヨークで上演されるが、失敗し、生活のためやむなく映画界入りを試みる。
エディソン社で監督のエドウィン・S・ポーターと出会い、俳優として彼の『鷲の巣から救われて』Rescued from an Eagle’s Nest(1908)に主演。その後、バイオグラフ社にストーリーを売り、俳優も続けた。
1908年6月18日と19日に撮影された短編『ドリーの冒険』The Adventures of Dollieで監督となり、以後バイオグラフ社のほぼすべての作品を演出。
1908年から13年にかけてバイオグラフ社で500本近い映画を演出した。
1911年には会社の反対にもかかわらず2巻物『イーノック・アーデン』を監督。4巻物の『アッシリアの遠征』(1914)を最後に、長編映画を撮るためバイオグラフ社を離れる。
ミューチュアル社のハリー・エイトキンと共に「エポック・プロデューシング・コーポレイション」を設立、12巻の大作『国民の創生』(1915)で空前の成功を収めた。
続いてさらなる超大作『イントレランス』(1916)を監督するが興行的に失敗した。
1919年、当時の世界的大スター、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、チャールズ・チャップリンと共同で、新たな配給会社「ユナイテッド・アーティスツ」を設立。
18日間で完成させたリチャード・バーセルメス、リリアン・ギッシュ主演の『散り行く花』(1919)がユナイト社の第一弾となった。
法外な製作費を投じて『東への道』(1920)を撮り『国民の創生』をも凌ぐ利益をあげたのに続き、『嵐の孤児』(1921)を監督。いずれもリリアン・ギッシュが主演している。
1931年公開の『苦闘』The Struggleは批評的にも興行的にも失敗、これが最後の監督作となった。
1932年に自らの独立プロを解散、1933年にはルイヴィルに転居した。
1936年にリンダ・アーヴィドソンと離婚、3月2日に女優イヴリン・ボールドウィンと再婚したが、1947年に離婚。
1948年7月23日、ハリウッドのテンプル病院にて脳溢血のため死去した。
主な監督作:
(短篇):
『小麦の買占め』A Corner in Wheat(1909)
『不変の海』Unchanging Sea(1910)
『彼の責務』His Trust(1911)
『女の叫び』(1911)
『イノック・アーデン』Enoch Arden(1911)
『少女と彼女の責務』The Girl and Her Trust(1912)
『見えざる敵』An Unseen Enemy(1912)
『ピッグ・アレーの銃士たち』The Musketeers of Pig Alley(1912)
『母のような心』The Mothering Heart(1913)
『エルダーブッシュ峡谷の戦い』The Battle at Elderbush Gulch(1913)
(長篇):
『アッシリアの遠征』(『ベッセリアの女王』)(1913)
『恐ろしき一夜』(1914)
『国民の創生』(1915)
『イントレランス』(1916)
『世界の心』(1918)
『偉大なる愛』(1918)(現存せず)
『人類の春』(1918)(現存せず)
『幸福の谷』(1919)
『スージーの真心』(1919)
『散り行く花』(1919)
『大疑問』(1919)
『渇仰の舞姫』(1920)
『愛の花』(1920)
『東への道』(1920)
『夢の街』(1921)
『嵐の孤児』(1921)
『アメリカ』(1924)
『素晴らしい哉人生』(1924)
『世界の英雄』(1930)
国民の創生 グリフィス短編集 クリティカル・エディション [DVD]