定時制に勤務していた95年の冬です。僕もいろんなツテ(BS関西ローバー)をたどって伊丹空港から自転車で入りました。僕らは野営のプロなんで公園に避難しているキャンプ地管理のサポートに入ったわけですが、途中の被災現場や避難場所の高校とかでは写真すら撮ることができませんでした。涙すらでなかった。けど、それより強く印象に残っているのが、行政のサポートより早く動いたのがY組の方々と暖かい県庁や市庁舎。 Chicago, 1931. Free coffee, doughnuts, and soup for the unemployed. This soup kitchen was said to have…