正しい表記はyes,mama ok?といったように「?」が最後につくが、「?」のつくキーワードは安定しないので、割愛。
yes,mama ok?なのか、yes, mama ok?なのかは定かではない。
帯ではyes, mama ok?なのに盤にはyes,mama ok?って書いてあったりと、まちまち。
ただし、英語の書法としてはカンマの後にはスペースを入れるのがルール。*1
メンバーは俳優・タレントとしても活躍中:「譜面の読めない男」金剛地武志と、
代官山のショップのデザインもこなすおされデザイナー:「自称・心に音楽のない男」高橋晃のふたり。
唯一無二のナード(くよくよ系)ロックバンド。
とはいうものの、彼らの音楽はジャンル分けを拒む性質。
時にはボッサ、時にはロック、時にはサーフ、時にはハウス、時にはジャズ、時にはフォーク。でも結局はポップでくくられることが多い。
渋谷の裏番長の異名をとる過去を持つ。
パートは金剛地武志が音楽に関すること全般。高橋晃がその他全般(ジャケット)とか。
高橋晃は音楽的な面ではほとんど関与していない。
それでも彼のキャラクターは『バンド』のyes,mama ok?内でも相当大きい。CDでは地味ながらも素晴らしい叫び声を聞けたりする。
これは筆者の意見だが金剛地武志はギターも素晴らしいが、ベースラインが、素敵。
ドラムもこなすがへっぽこなドラミングで聴くものを魅了。
それでいて作品はすべて廃盤という悲しい一面も持ち合わせている。
かのパラダイス・ガラージに「ライブがすごい」と言わせたこともあるが、
かといって大騒ぎするわけでもない。モッシュみたいなことも起きない。
それでも高橋晃はダイブをしてフロアの机にぶつかりそうになったりする。
(人があまりはいっていなくても彼がダイブすると、周りに空白の円が出来る)
稀に演奏面での空回りで消化不良を起こす場合もあるが、それも彼らの魅力のひとつである。
音楽活動をあまりしない金剛地武志に業を煮やした、イエママが好きなアーティストが集まり、「tribute to yes, mama ok?」を発表。
紆余曲折ありながら現在発売中。
http://okfan.jp/tribute/
トリビュート盤がカンフル剤となるか。これからの活躍に期待。
89年〜、金剛地武志、高橋晃、某大学で出会う。
両者出るだけで単位が取れるという大学の体育の夏季合宿に参加。意気投合。
(この夏季合宿にはメジャー第1期の頃在籍していた仲澤真萠も参加していた)
翌年、学園祭で何か明るいことをやろう、とバンドを結成。
ちなみに92年のデモテープの音源が入ったコンピがLD&Kより発売されていた。(asin:B00005JZ3Q asin:B00005JZ3U)
そして95年、LD&Kより「コーヒーカップでランデヴーって最高よ」でデビュー。2ヶ月おきにシングルを3枚リリースする。
96年、コロムビアに移籍。むしろメジャーデビュー。
アルバム「modern living」とLD&K時代の3枚を再発。外資系レコード店でもてはやされる。
97年、アルバム「Q&A 65000」の内容(冒頭の春咲小紅のドラム叩き語りや、親子の会話を延々と収録したトラック等)が物議を醸し出し、クビ(第一回目のメジャー落ち)。
それと時期を同じく仲澤真萠脱退。
98年、インディーになりetiquette recordingを立ち上げる。シングル「wild turkey」リリース。
99年、ラウンドテーブルのコンピに参加。
00年、イタリアで録ったアルバム「CEO」をソニーのレーベル・アウトサイドよりリリースするも、アウトサイド倒産。2ヶ月で廃盤。これが第二回目のメジャー落ち。
アルバム「CEO」は今でも欲しがるファンは多く、オークションでは10倍以上の値がつくこともある。
リハ終わって花見に行って泥酔状態でライブやったのもこの頃。(本人曰く「忘れたくても思い出せない」だそう。)
01年、金剛地武志、俳優業(テレバイダー)に目覚める。
02年、金剛地武志、「キョホグレ」のCM音楽を作曲。
この頃、「問と解」があるCMのプレゼンにかかったらしいが、使われなかったようだ。
03年、高橋晃、テレビに出る(ラブセン)。宇宙っぷりを発揮。
金剛地武志、レモンウォーターのCM音楽を作詞作曲演奏。「Perfect Young Lady」っぽい曲調でファンを魅了。復活を期待させた。
04年、高橋晃、ヴィレッジブックスのキャンペーンで椅子を作る。「10月の椅子」。
金剛地武志、エアギターに目覚める。(世界大会4位)
05年、金剛地武志、エアギター世界四位防衛。メディア露出が増え、yes,mama ok?としての活動が困難になる。
06年、yes,mama ok?が好きな業を煮やしたアーティストさんたちが集まって、「tribute to yes,mama ok?」発表。2年ぶりのライブも行われた。
高橋晃はテルミンで女性の胸をつつき、金剛地武志はステージで水を撒くなど、ある意味でのブランクを感じさせない一夜は笑いと涙で包まれたことであろう。
10年、4年間の沈黙を破りついに再始動。10年間廃盤となっていた「CEO」の再発のアナウンスもされ、ライブも執り行われた。2011年6月現在ライブ活動は(かつてに比べれば)積極的に行われていて、現サポートベーシスト澤部(スカート)との対談にて新譜をにおわせる発言もある(TRUSH-UP vol.8 「ナーズの逆襲」)。
1995年の主なリリース
(コロムビア盤とLD&Kでは密かに内容が違う。「キスキスバンバン」のヴォーカルパートが男女逆)
(B面のRunnin' Awayはシングル盤とは別テイクになっており、サックスが打ち込みではなく生音という細かい相違点あり)
1996年の主なリリース
(打ち込み最後のアルバム、やりたい放題のスタイルはここですでに確立される)
(この作品で現在のようなバンドスタイルとなる。シーケンサーが壊れて、仕方なく…と金剛地武志、ドラム8時間特訓を耐え、レコーディング。
この事について、当時は「叩いてくれる友達がいない…」と答えていたが、最近になって「自分の作品に対する誠意」という非常に意外と言っちゃ意外だが、非常にらしい、話をライブではなす)
1997年の主なリリース
(メジャー落ちの切欠となる作品。全体の流れが非常に素晴らしく、名盤中の名盤)
1998年の主なリリース
(J-WAVEのオフィシャル・クリスマスソングに選ばれるも、そこまで売れず。ジャズ丸出しのあったかいクリスマスソング)
1999年の主なリリース
(ラウンド・テーブルのコンピに参加。ネオアコ/ソフトロックの名曲)
2000年の主なリリース
(イタリア録音。アレッサンドロ・アレッサンドローニも参加(!)
ライドシンバルの音の荒々しさと言ったら!)
2003年の主なリリース
極々少数しか生産(コピー)されていないので貴重。内容はシトロバル米山美弥子作のインスト2曲。歌詞はないがハミングがつく)
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*1:ちなみに、「コーヒーカップでランデヴーって最高よ」のLD&K版がこの条件を満たす