Blogペット ついでに導入。
記事を写し終えたついでにBlogペットを導入しました。
名前がアレなのは仕様です。
真面目な雰囲気台無しな謎言語を吐いてくれる素敵な奴です。
「バックが…」とか意味深に叫ばないで、お願い…。
はてな使用雑感
軽く記事を書いてみた感じでは、取り敢えず見出しの自動生成機能がかなり便利だなと思います。
記事を視覚的にも内容的にも分離でき、前後の文脈を必要としない文章集合として構築できる点は、今まで文章のつなぎやら枕詞やらに投入していた労力を低減させてくれそうです。
さらに言えば、記事に余分な繋ぎを入れずに済むので情報の質も向上できるかもしれない と。
但し、問題は記事を書くに当たって全ての記事が所謂新聞記事的な記述形態になりがちで、異種の記事を一つの読み物に仕立てる努力を怠ってしまいかねない点と、文章を作成する労力が低減した為に却って考察の質を低減させかねない点は留意しなくてはならないなと思いました。
まぁ、使っているうちに習熟することに期待したいと思います。
自戒の言葉
ちょっと折角自動リンク機能があるので試験運用の為自戒の言葉を置いておきます。
- 作者: ニーチェ,手塚富雄
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1973/06/10
- メディア: 文庫
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ニーチェ『ツァラトゥストラ』(訳によっては『ツァラトゥストラかく語りき』)
より、通過編・不平豚の項より。尚、下記の引用文は当該引用を掲載していた西尾幹二さんのwebサイトのとあるコラムからの孫引きです。
「不平豚」と検索掛けるとこの引用以外ロクな検索結果が出てこなくてがっかりでした。
大昔に読んだ割に印象に残っていて尚且つ教訓的だなと思う内容です。当時の私にはかなりインパクトが強かった印象があります。
ツァラトゥストラはあるとき大都市の門前にくると、独りの阿呆が口から泡を吹き、大手を広げて、まっしぐらに彼の方に向かってくるのに出会う。阿呆は「ツァラトゥストラの猿」と呼ばれている男である。ツァラトゥストラの言葉や思想の若干を学びとり、その知恵の貯えを借用しては語るのを好む男である。
阿呆が何を語ったかは、ここでは省略したい。
ツァラトゥストラの次のことばに注目しよう。
「いい加減にして止めなさい。」とツァラトゥストラはさえぎった。
「もうさっきからお前のお喋りとお前のやり方には嘔気をもよおしている。どうしてお前はこんなにも長く沼地に住んで、自らも蛙や蟇になってしまうほかなかったのか。
お前の血管の中にも腐って泡立つ泥沼のような血が流れているからこそ、グァグァと蛙のように鳴き、人を誹謗してやまないのではないか。
なぜお前は森の中へ入っていかなかったのか。あるいは、大地を耕さなかったのか。海は緑にもえる島々に満ち満ちているではないか。
私はお前が軽蔑することそのことを軽蔑する。さらに、お前が私に警告するというのなら、――なぜお前はお前自身に警告しないのか。
私は私の軽蔑と、それから私の警告の鳥とを、ひとえに私の愛の只中から飛び立たせたい!しかし沼の中から飛び立たせようとは思わぬ。
泡を吹き立てる阿呆よ、世間はお前を私の猿と呼んでいるが、しかし私はお前を不平豚と名づけておく。――私はたまに阿呆を礼讃したくなる気持ちになることもあるが、私の気持ちまで、お前の不平たらたらの態度で台無しにされてしまった。
いったいお前に最初にブーブー不平を言わせたものは何だったのか。誰もお前に十分にへつらってくれる者がいなかったからだ。
――それでお前はこの汚物の貯り場にどっかと坐った。ブーブー不平を鳴らす種子にはこと欠かぬためにだ。――
――たえず復讐する種子にもこと欠かぬためと言いかえてもいい!虚栄心にかられている阿呆よ!つまり、お前が口から泡を吹き立てているすべてが復讐なのだ。私はちゃんとお前の正体を見抜いている!
だが、阿呆であるお前のことばは、よしんばお前の言い分が正しい場合でも、私に損害をもたらすだろう。ツァラトゥストラ本人が語りされすれば100倍も正しい場合でも、お前が私の口真似をして語れば同じことばも――正しくない働きをすることになる。」
ツァラトゥストラはこう言って溜息をついて町を離れた。別れ際に彼は阿呆にさいごにこう告げた。
「人は愛することの出来ぬ場所では、そこをただ――通り過ぎて行くしかないのだ!」