すえた指

 結局朝5時前まで飲む。量はたいして飲んではいないのだが、そこそこ酔う。ビールや酎ハイといった弱い酒には随分と弱くなったようだ。今日はいつものような40度以上の強い酒は飲んでいない、あえて手を出さなかったのだろう、飲もうと思えばそうしたものも置いている店だったが。
 いつになくアルコールが回ってしまったようだ、酔いは頭によりも指先に溜まっていく。波が泡が指を溶かす、なにも追いかけられないわたしの指。

物語と夢、過去と記憶

 数時間眠っただけで中途半端な時間に起きてしまう。非常にもやもやとした眠気が手の先や足の先など身体の端の方にタール状になった機械油のように溜まっている。
 つまらない夢を思い出す。数日前に見た夢のはずなのだが、今見たもののような気もする。最近まったくなかったことだが、この一年以内にあったことの夢だ。このごろわたしは、かなり昔のことしか夢に見ない。どれだけ近くても五年ほども昔のことであったりする。この夢はほんの半年かそこら前にあったことの夢である*1
 どうもわたしは、過去を処理していくのが下手糞なようだ。いつまでもそれにとらわれている。自分が経験したことを過去にすることができず、過去を終わったことにすることができない。そんな感覚がある。
 ここ五年以内のことをあまり夢に見ないというのも、そんな理由によるのだろう。それらの出来事がまだ、なかなかうまく、わたしの中で過去にできないでいるのだ。ましてや終わったことなどにできないでいるのだ。
 夢についてアンケートを書かされたことがある。どんな内容のどんな夢を見たか事細かに詳細に書かされた、確かわたしは自分で挿絵まで描いて渡した覚えがある、卒論に使う資料にするのだ、と彼女は言った、あれはいつだったか。サークルの同級生に頼まれたのだから理学部の四回生の時のはずだ。わたしなどとは違い非常にまじめで普段から勉強しているような人だったから、他の学年、例えば五回生であるとかのはずはない、わたしは21か22だった、もう7年も前になる。わたしの書いたものは役に立てたのだろうか? それが彼女の卒論にとって重要なことであったのかはわからないが、非常に情熱的に、微に入り細に入り書き尽くしたはずだ、その後なんとか数学科を卒業して文学部に入りなおしたばかりの頃、その文学部の廊下ですれ違ったことがある。きっと何の役にも立ちはしなかっただろう、それこそ今こうして書いている、そしてこれまで色々と書き連ねてきたさまざまな文と同じように、わたし自身にとってそれが必要だったから、その時も意味もなく熱に浮かされたようにそれを書いたのだ、廊下ですれ違った時確か向こうは教育学部修士だったはずだ、恐らく文学部開講の心理学系の講義でも受けに来ていたのだろう。
 その時に聞かされたのだろうか、どこか別の時、別の場所で、別の誰かに教えられたのか、見た夢を思い出そうとしたりまして記録しようとするのはいけないそうだ。彼女のように研究のために仕方なく夢日記をつけたりしている人はいるが、そうした必要がないならば、絶対にやめた方がいい。相当厳しい口調で言われたはずだ。わたしにはよく理解できてはいないのだが、夢というのは自分の経験した精神的にたいへんなこととか辛いこと、何かひっかかってしまったものを、うまく処理をするための心の(脳の?)働きであるらしい。どんな人間でも日々経験するようなさまざまな日常の圧力から自分の自我を保護するために、人は夢を見る。この機能が完全に遂行されるためには、夢を見た上でそれが忘れられることが必要なのだ、とその人は言った。そのために夢ははじめから忘れられるように作られている、夢を思い出そうとしてもすぐ忘れてしまっていたり、なかなか思い出せなかったりするのはそのためだ、たまにすらすらと夢を思い出せる人がいるが、あれは一種の精神的な病で、この機能に障害がある人だ。夢は忘れられなければならない、それを無理に思い出そうとすれば、とやけに芝居がかった口調でその人は言ったのだが、あなたは自分の心を、自我を、傷つけることになる。
 これが正しいことなのか、妥当なことなのかをわたしは知らない。どの学説に基づくのかも知らなければそもそもこうした心理学というのが正しいものなのかわたしはまったく確信を持たない。だがここで言われたことは、かなり的を得ているのではないかという感覚がわたしの中にはある。何の根拠もないことでただの体感でしかない説明もできないことだが、少なくともわたし自身の体験の中に限っていえばあたっているのではないだろうかと思わされる。
 何かを語ること、書くことというのは、ここで言われているような、夢を見ること、夢を思い出そうとすること、夢を記録しようとすることと、わたしにとってはほとんど同じことなのだ。夢を見るのは痛いことだ。逃れられないような現実の生々しさが夢にはある。そして起きると、どこにも落ち着くことのできない、現実感のない日常のどうしようもなさを突きつけられる。わたしはたぶん現在を生きてはいまい。どうしても書かなければならないというわたしの中にある何かは、こうしたことと間違いなく関係している。それがどういう脈絡なのかわたしにはまったくわからない、だが、わたし自身の体感としてそれはつながっているのだ。もはや誰かにそれが伝わるとは思うまい、人に理解されるような言葉でそれを説明するすべをわたしは持たない。だが、断片でもいい、わたしは語らなければならない。夢は体験の中にあり、過去とは記憶のことである。自分の無残な体験を、その体験の中にあるものを、わたしは過去にしてしまうことを拒絶しているのだろう。その体験の中にあるものがあまりに痛々しく、けれどどうしても手放すことのできないもので、わたしはそれを過去としてしまうことができないでいる。
 この五年以内にあったことをほとんど夢に見ないのは、きっとそのせいなのだろう。どうしてもそれを過去とすることが、できないでいるわたしがいるのだ。まして終わったことにするなどどうあってもおさまらないのだ。だが、それらは全てわたし自身の手を、とうに、離れているというのに。過去を過去にできていないから、わたしの現在にはまるで現実感がないのかもしれない。だが、もう終わってしまったことなのだ、どれほど、きらきらと美しく輝くかけらが、この手の中に残っていたとしても、それは今のわたしの現実ではないのだ。どうあっても戻れないところから、この手にきらめく水銀の粒がふりそそぐ。けれどそれは幻でしかないのだ。わたしは過去を、わたしの過去にしなければならない。
 わたしがどこかで死に囚われて、現在に生きるのをやめたとき、夢の機能はわたしを見捨てたのだろう。もう普通のやり方ではそれを過去にすることはできないのだろう。だからわたしは語らなければならない、わたしの中にある、いまだつかみ取ることができないでいる、それを物語とすることで、わたしの歴史を取り戻さなければならないのだ。

*1:この夢については9月7日の日記から、その背景となった事実関係を書きはじめようとするのだが、この追記をした10/4の段階になってもまだ、夢自体はおろかその事実関係すら書き終えていない

夢の透明

 大浴場というほどのものではないが、家庭用とは言えないようなサイズの大きな風呂に入る。なぜか実家で母が経営しているブティックの、フィッティングの鏡のあるはずのところが扉になっていて、そこをくぐるとその店自体とほぼ同じ大きさか、あるいはやや大きいくらいの浴室に出る。誰もいない、わたし一人でそこに入る。
 こうして書きながら思い返してみると、母の店の間取りは(最近行っていないのであまり正確ではないが)今はフィッティングはこの夢に見た場所にはないのではないか。確か改装して位置が多少ずれているはずである。ということは、わたしの意識の中にある母の店はわたしが中学生か高校生だったころのものということになる。
 ところでフィッティングとは一般に通用する名詞なのだろうか? もっと違う正しい言い方があったような気がするが思い出せない。幼少の頃からこの名で教えられていた。衣料品店などでお客が試着するための、鏡のある小部屋のことを言っている。
 フィッティングを通っていくのだから、当然、ほぼ裸で店内を通ることになる。女性用の下着や洋品、化粧品などを主に扱う店舗であるのに、誰にも気にもされない。裸の男がタオル一枚持ってそんな中を歩いていたら結構たいへんなことになると思うのだが。むしろこちらの方が気にしているくらいである。店内には年配の客が一人と、他数名お客がいたはずだ。母がいたかどうかは覚えていない。見なかったが、どこかにいたような気がする。
 その客たちに混じって、なぜかわたしが現在属している研究室の教授がいる。この人が夢に出てくるのは覚えている限り初めてのことだろう。学生を含めて大学の関係者が夢に出てくることはほとんどない。このほかに一度あっただけである。もちろん、わたしが忘れてしまっているだけなのかもしれないが。この人がブティックにたたずんでいるというのも相当違和感があるのだが、それにしても一切誰も気にしない。わたしもその時は背景のような店内に、彼がいるということをかすかに認識しただけで、向こうが気づいていないようなので挨拶もせず、そのままフィッテイングに向かい浴室に入った。
 述べたように浴室はやたらに広く、その半分ほどのスペースが湯舟である。長年ほったらかしにされていたのだろう、蜘蛛の巣がそこらに張っている。ろくに掃除されていないが、割に水だけはきれいである。蜘蛛の巣には、その長い糸一面に干からびた蚊の屍骸が乗っている。普通の蚊よりはやや大きめだがありえない大きさというほどではない。お腹いっぱいに人の血を吸えばこのくらいの大きさにはなるのではないか。それが余すところなく絹糸一面にへばりつき、さらにその上から嫌に透明感のある水滴が数珠玉のようにおおっている。水晶に閉じ込められた虫のようなありさまだ。
 浴室には湯船の他になぜか便器が置かれている。アパートのユニットバスであるならともかく、こういう大浴場には通常ありえないのではないかと思うのだが、なぜかあるのだから仕方がない。洋式の男性用の小の便器であったはずだ。河原の公衆便所にあるような、黄ばんだろくに掃除もされてないような汚い便器である。
 そしてその便器をほとんど沈めてしまうくらいにまで、浴室一面に水が張られている。なぜ湯舟にだけ入れないのか不思議なのだが、とにかく一面プールのようになっている。夢の中では湯舟からあふれたものかと思っていたが、今思い出すと湯舟に普通につかっていたのであふれたわけではないようだ。
 このプールの中に入るということは、汚い便器と一緒に風呂に入るのと同じである。夢の中ですらそれには不快感を覚えたが、水があまりに透明なので、またいくら嫌でもそうしなければしょうがないことのような気もして、仕方なく湯舟につかる。
 やや冷たく感じるぬるめの風呂だが、寒いというほどではない。この程度の温度なら湯気がかかっていても不思議はないのだが、まったく霧もかかっておらず浴室は透明感がある。張られている水自体がそうなのだが、ほとんどそこになにもないかのような透明感がある。湯舟に身体をつけて、その縁に頭を乗せ、半ば眠るような姿勢になる。湯舟は浅い。目の前に蜘蛛の糸が橋をかけている。人柱にされたような、すすけたような黒色が目立つ蚊の屍骸がその橋をわたる。それら全てを包むような、まるで何もないかのように透明な水晶。わたしはこの姿勢のまま眠り込みそうになる。
 このあたりで目覚めたはずだ。わたしは夢の中とまったく同じ姿勢のまま、ベッドに横たわっていた。

解釈と鑑賞

 この夢に限らず何にしてもだが、わたしは解釈などに興味はない。それをしたい人は好きにしたらよい。子宮回帰願望があるとか、その他解釈らしきものを言いたいならば言えばよい。わたしのような素人にもできるような解釈などに何の興味もない、それで何か得られるとも思っていない。

国文学

 前の項目に引きずられてここの題を「国文学」としてしまったが、まったく関係ないし意味もない。
 つい二日三日前、半年ほど空家だった隣の部屋に母一人子一人の親子が越してきた。このアパートにもう十年住んでいるが、引っ越してきた人にわざわざその挨拶をされたのはこれが初めてである。鼓月のやわらかいせんべいを戴いた。お腹が減っていたときに、食事代わりに食べてしまった。わたしが階段を上がってくるのを待ち構えるようにして、非常に丁寧に挨拶された。息子は自閉症だそうだ。子どもの方は母の影に隠れるようにしてわたしからは視線をそらし、それでも時々こちらをうかがう。これまでいろんな男の子を見てきたが、かなり高得点をつけられる美貌の男の子である。高い服を着ているわけではないがなかなか見られるセンスである。母のほうはそこらのおばちゃん連中と代わらない。珍しいことだが、この親子には自分の中に少し好意があるのを感じる。しかし、わたしは昼夜変わりなく起きていることが多い。そして常に何かしら音楽をかけている。このアパートは、ちょっと建築として問題があるのじゃないかと思うくらい壁が薄いのだ。それでトラブルになったこともある。隣の会話など、聞こうとすればまる聞こえになる。あまりしないが女の子を連れ込むのもなかなかたいへんだ。そんな部屋に小さな子連れで越してきて、はたして大丈夫なのだろうか。
 そうだ、こんなことをしている場合ではなかった、今日は研究室の後輩に誘われて八時半から飲みに行く約束をしていたのだ。出る支度をしなければならない。