暗い建物

 また、よく夢を見るようになった。
 日記にも書いたと思うが、夏ごろ毎日のように悪夢を見た。調子のやや悪い時ほどそれは酷かった。ほんとうにどん底の時はかえって夢さえ見なかった。九月に入った頃からは、それで起きてしまうような酷い夢はほとんど見なくなっていた。わたしが見る夢はそれがどんなものであれ、わたしが普段生活している日常よりも、常に現実味がある。
 昨日は暗く陰惨な夢を見た。肩から上だけになった死体を抱え上げたところで目が覚めた。このごろ京都もようやく肌寒くなってきたというのに、背中に汗をかいていた。なぜか息があがっていた。夢だということに気がつき、外はまだ暗かったので再び寝入ったのだが、そのまままた別の夢を見て目が覚めてしまった。その前に見た、暗く黴臭いところで人が死ぬような夢とはまったく違うものだったが、こちらも悪夢だった。起き出して顔を洗い、結局昨日はそのまま寝つけず朝になった。二回も夢を見たはずなのに、しかも途中で一度目覚めたはずなのに、前の晩ベッドに入ってから二時間も経っていなかった。目が覚めてしばらくはこの二つの夢を両方とも細かく思い出すことができたのだが、不思議なことに、後に見た方はそのまま忘れてしまった。それが間違いなく悪夢だったということだけしか覚えていない。何か事件が起こったり、怪奇なことが発生したりするわけではないのだが、わたしにとっては目が覚めるほどの酷い夢であったはずだ。
 先に見た方の夢はよく覚えている。目覚めてから明かりもつけず、そのまま寝入ったと言うのにこちらの方がはっきりと思い出せる。わたしは明かりのない、暗く、天井や壁が光沢のない黒色で塗られた大きな建物の中にいた。廃墟のようだった。建物の中には多くの知らない人たちがいて銃撃戦をしているようだ。わたしはその当事者ではないのだが、どちらの側にも何かの関係があるようだった。かしこで人の死ぬ気配がした。わたしにはかかわりのないことだ、好きに死んでくれればよいと思っていた。その中には友人や身内がいるのかもしれない。だがどうでもよかった。
 長い廊下の隅にいる。右側の壁の向こうは外界なのだろうか、どこかからか光が入り、全体がぼんやりと照らされている。わたしの前方5メートルほど先で廊下は左に直角に折れて、その先は闇に溶け込みまったくうかがえない。左手の壁の向こうにはおそらく部屋があるのだろうがどこにも入り口は見当たらない。銃撃戦の音が止む。その静けさに、この建物のどこか遠くで誰かが息をひきとる声がよりはっきりと聴こえてくる。いつからそこにいたのか、わたしのすぐ左後ろに女が立っている。まだ少女といってもよい年齢の女で、この廊下の曖昧な明かりのもとで彼女の肌は冷えた蝋の異様な白さを呈している。一見して大口径のものとわかる短銃を両手で持ち、いつでも構えられるように自分の前に下げている。整った顔立ちで手足は細い。だぼだぼとしたどう見ても彼女には大きすぎる、すすけた灰色の無地の服とズボンをはいて、その姿はどちらかと言えば銃撃戦をするというよりは、入院患者のパジャマに見える。汚い格好なのだがその広い襟元からのぞかせた青白く細い首と整いすぎた顔立ちは、にんげんらしさのまったくない、ありえない美しさだった。
 彼女は狙われているようだった。見えない背後や左に折れた廊下の先から彼女に照準を当てた銃の気配が感じられるような気がした。腰をおとし注意深く、彼女は立ち尽くすわたしを追い抜いて進む。まるでわたしなど始めからいないかのような足取りだった。銃声は鳴らない。そのまま彼女は進んでいく。背中と、横顔しか見えない。うしろ姿は影よりも濃く墨を流した黒髪が空洞になっている。とてつもなく禍々しいものをわたしは直感する。わたしは彼女を知っているはずだ、親しい誰かだったはずなのだ、だが誰かは思い出せない。
 不意に彼女は銃を構える。どこからも銃弾は飛んでこない。わたしは彼女が何をするつもりなのかが分かる。その大きな銃を、彼女は逆手に構えている。死なせて、と彼女は初めて声を出す。耳の真横で叫ばれたように、その言葉がわたしの頭蓋にこだまする。彼女は短銃を口にくわえる。反射的に、わたしは飛び掛ろうとする、まだ死ぬな、と叫んだかもしれない、生きていればきっと何かあるはずだ、必死で両手を伸ばそうとするが、ほんの少しだけ前にいるはずの彼女はあまりにも遠い。
 彼女が飛び散る。銃声はとても小さかった。わたしはほとんどその音を聴かなかった。口に銃口をくわえていたはずなのに、なぜか頭部はきれいなままだった。神経質な職人が鎖骨から下を丁寧にはさみで切り落としたように、肩から下の全てがなくなっていた。飛沫さえ見当たらなかった。ばらばらになった部品がそのまま廊下に吸い込まれたようだった。彼女は完全に死んでいた。頭を抱き上げると、それはバレーボールくらいの軽さだった。温かくも冷たくもなかった。切断面は血だらけだったが、新たにしぶきが吹き出たり、わたしの服が汚れることもなかった。固定されたプラスチックのパーツのように彼女は動かなかった。なぜわたしはあのように叫んでしまったのだろう、普段は自分の方が死にたいといつも言っていたはずなのに。顔をこちらに向けさせると、長い黒髪がばさりとわたしの腕に落ちた。わたしは叫び声をあげた。

いなくなる人々

 ちょっとした知り合いが、また去っていった。最近よく周囲から人がいなくなる。同じ研究室のある後輩が、別の後輩を指して、ああいう子は同性のわたしから見ても魅力があるけれど、人はどんどん彼女のもとから去っていくでしょうね、と言っていたのを思い出した。それを聞いた時はそうだろうな、と思った。そのように言われた女の子は、独特の個性がありわたしから見ても魅力的なのだが、たぶん彼女の世界には彼女自身のほかに誰もいまい。人はどんどん去っていくだろう。距離を取らざるを得ないような、なべて他人を拒絶する強烈な圧力が彼女の立ち居の中にはある。可哀想だけれど、と続けたその後輩は自分自身が一刻も早く立ち去りたがっているようにも見えた。
 その言葉には、ああその通りなんだろうな、とどうしても真実でしかないものがあったが、同時にわたし自身のことを言われているような気もした。幼い頃から、いつも人はわたしのもとを去っていった。とりわけわたしが大切に思っている人から、それがわたしにはいつの間にか当たり前になってしまっていた。それを長い間残念だとも思わずにいた。仕方のないこと、世の中はそういうふうにできているのだと思っていた。小学校一、二年の頃、初めて親友と呼べるような友達ができた。つるんでいろんなことをした。同級生にたかったり、悪いこともいっぱいした。彼は遠くの街に引っ越していった。三年の始め、たいしたものではなかっただろうが覚えている限りで初めてキスした女の子は、それからも気取りもなく互いの家を行き来し普通に遊んでいたというのに、風邪か何かで一週間ほど学校を休んでクラスに戻ってみたら、極端にわたしを避け口も利かないようになった。大人たちも入れ替わりわたしの前に現れてはいつしか去っていった。わたしをかわいがってくれた大人もいた。彼らもいずれいなくなった。そして代わりにかわいがってくれる大人が現れた。そんなことの繰り返しだった。わたしはただ彼らを、おじさん、おばさん、などと呼び、名前も顔もほとんど覚えはしなかった。友人たちもただ去っていった。必ずいなくなるのだった。十かそこらの時分には、わたしと仲良くなった級友は必ず転校か入院か何かするという妄想を抱いていた。そして実際仲がよければよいほど、とりわけ一番仲のよい友達は、何かの理由でわたしのもとを去っていった。17の頃には初めて長くつきあった、大学生だった彼女が留学先で客死した。いつ頃からか、わたしは自分から他人を遠ざけるようになった。ある程度誰かと親しくなる、親しくなってからどのくらいか経過する、するとわたしはかならずその相手と突然距離を取るのだ。連絡をしなくなったり、そのグループの溜まり場に顔を出さなくなったり、意識的にやっているつもりはなかった。自分がそんなことをしているのに気がついたのはだいぶ後になってからだ。ある日、何の前触れもなく、突然ふいといなくなる。そんなことを繰り返してきた。みなわたしにとっては大切な人々であったはずなのに、やはりわたしは死んだほうがよいのだろうか、やがてまた今わたしがいる場所からも、ふいといなくなってしまう前に。
 大掃除をしていたら、古い手紙や年賀状がいくつか出てきた。わたしはたいてい自分から手紙など出しはしないし、来たものはほとんど処分してしまう。返事を書くことすらまれだろう、最後に手紙を書いたのは、もしかすると十代だった頃かもしれない。出てきたものも取ってあったというよりは、何かで紙束や本の中に紛れ込み、今まで残っていたものや、何かの事務的な用事でそこに書かれている差出人の住所や電話番号が必要だったというだけだろう。それぞれには、それぞれの時期ごとのわたしに宛てたメッセージが何か書かれてある。わたしはそれを読んだのだろうか? 覚えはない。どれ一つとして返事を出しもしてはおるまい。こんなにも言葉はわたしに投げられていた。彼らはどこに消えていったのか。

鱗翅目昆虫の生殖器について

 昨日見たもう一つの、忘れてしまった方の夢について少し思い出すことがあった。確か蝶が出てきたはずだ。起き出して顔を洗いに洗面台の前に立ち、なぜか深夜についでに歯を磨こうとブラシを洗い始めた時に、頭の中では蝶の鱗粉のことを考えていた。夢のストーリー上、蝶が何か重要な役割を果たしていたのだ。その細部はまったく覚えていないが、蝶が出てきたことだけは確かである。指についた歯磨き粉で、流し台の上に文字を書きながら、蝶の鱗粉を並べて小説を書くことを夢想していた。奇妙な想像だと思う、どんな小さくもろいものでも壊さずにつまめる特注品のピンセットを使い、神経質そうな文学者が真黒い紙の上に虹色めいた微細な鱗を蝶の籠から集めて並べていくのだ。わたしはこれまで受けてきた教育のせいで、蝶と言えばナボコフナボコフと言えば蝶、という連想が強く働いている。そのせいなのかもしれない。しかし蝶からナボコフを想像するのはまだしも、ナボコフからまず蝶が出てくるのはちょっとどうかと思わなくもない。
 余談だが、蝶と蛾は、この世で唯一わたしが大ッ嫌いな昆虫である。ゴキブリならば素手で潰せもするのだが、これだけは触ることはおろか近づくことすらできないのである。

夢日記について再び

 以前の日記*1に書いたように、夢日記を書くのはたいへん心にとってよくないことであるらしい。なのにまた書いてしまった。まあよい、どうせわたしは壊れかけているようなものだ。いっそ完全に壊れてしまった方がいいのじゃないかとも思う。自分自身、完全に崩壊してしまう日を期待しているようなところも確かにあるのだ。 

*1:そういうことを書いた覚えはあったのだが、どこに書いたのだか完全に忘れてしまう。せっかくだから探し回ってみた。記念にリンクを貼る