絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

初もうでない。

 毎年恒例の初もうでない、今年は新宿の花園神社まで行って並んでいる人々を見て、そのあとファミレスでマンガの話をして帰りました。元日は朝まで電車が走っているから便利よね。ええと、初もうでないというのは、私が無神論者なのにお祭り好きであるという矛盾を解決するために、毎年行う行事です。具体的に言うと元日に神社まで行って、ただ見て帰る。おみくじもしない。私はそして毎年「ああ、お祭りが好きなのはオレンジ色の提灯が泣けるからだなあ」と確認するのです。いや本当に提灯は泣けるなあ、灯篭も泣ける。
 昨日買った『鈴木先生』というマンガは、もうたくさんのひとが褒めているので今更私が書くこともないんですが、やっぱりこのマンガをリアルタイムで読める幸せというのは、多くのひとが得るべき権利なんじゃないかと思います。つまりは買って読めと、そういうことなんですが。これから先、どんな問題について鈴木先生が考えてくれるのか、楽しみです。
 えー、今年は1月3日13時くらいから、原宿駅前の橋の上で占いません。これは私が相談してくるひとに対して「まあ、ほどほどにやれば」とか「自分で考えたら?」とか「やるだけやったら、結果がどうあれ気持ちは晴れるんじゃない?」などと、当たり前のことを、まったく占わずに答えるこころみです。だいたい酒盛りが始まった時点で警察権力の介入で別の場所に移動します。くそ寒いのであったかい服装をして来てください、あと温まるものを持ってきてくれると助かります(私が)。当日は日記を更新するので、場所の変更などは日記を参照してください。

鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)

鈴木先生 (1) (ACTION COMICS)

飛翔・快感・感覚移入

 せっかくの正月だし、自分にお年玉、という感覚でおもちゃを買った。

エアソアラ
室内で手軽に操作可能なコントロール飛行機。わずか約3.5g、全長約17cmという、軽量かつミニサイズ。専用の赤外線コントローラーを使い、室内で上昇や下降、左右旋回といった本格的な飛行が楽しめる。

エアロソアラ ミリタリーグリーン (Aバンド)

エアロソアラ ミリタリーグリーン (Aバンド)

 誰もいないスタジオで飛ばした。最初はフラフラとゆれて、すぐに墜落してしまったけど、しばらくすると手を離すタイミングや力などを適切なポジションに定めることができた。
 びぃーんと鳴るプロペラ。指のあいだにはさんだ発砲スチロールの機体が、すーっと空気に乗ってすべっていく。壁にぶつかる前に左旋回、電磁石で動くラダーがぴくぴくと反応する。機体が下がってきたら、コントローラーのスロットルを調節して上昇させる。このコントロールによる快感は、おそらく他のなにものにも代替が効かないのではないか。そして20数秒が過ぎ、出力の弱まった機体がゆっくり床へ降りていく。
 先日のJET-MANを見て気になっていたこと、そして友人が言っていた「世の中には二種類の人間がいる、動くものが好きな奴と、そうでもない奴」という言葉の意味が、少しわかった気がした。
 私は動くものが好きだけど、それは私自身がそう動きたいと願うからなのかもしれない。
 余談。理想として「優れた作品は全ての人間が楽しめるはずだ」とは思うが、実際には無理な話だ。もしかしたら、その理由は「選ばれていない」ことよりも「選ばれすぎる」ことにあるのかもしれない。その作品が自分の感性を刺激しない場合や、その面白さを体感できない場合、ひとは「選ばれていない」と感じてしまう。それはつまり、なんらかの作品が自身の理想と合致しすぎる(選ばれすぎる)ことがあり得るからなんじゃないのかしらん。
 ええと、飛ぶ話だった。「空気の上をすべる」という感覚は、人間本来のものではない、と思う。もちろんさかのぼれば水の中で泳いでいたご先祖様の話に近くなるんだが、だったら水にもぐればいいわけで(その楽しさも知っているけれども)、空を飛ぶということに関しては起源がわからない。
 ああ、つまり起源などない、という話がしたいのだった。
 進化論の面白いところは、無駄な部位でも邪魔でなければ残る、ということろだ。普通「進化」という言葉は「進歩」「成長」と同一視されていて、便利になることを指して「技術の進化」と呼んだりする(ナントカ進化論、とかね)。でもこの用法はある部分で間違いだ、なぜなら進化というシステムは不要なものでも生存の邪魔にならなければ残すし、不便なシステムでもそれでなんとかやっていけるならそのままにしておくからだ。
 人間は空を飛びたがったり馬より早く走りたがったり海に潜りたがったりする。それはただ便利だからではなくて、気持ちいいからだ。ではなぜそれが気持ちいいと知っているのか、気持ちいいと感じることができるのか。危ないかもしれないのに、死ぬかもしれないのに、人間は飛んだり走ったり潜ったりするようにはできていないのに。
 でも、その無駄に見える機能が、人間を走らせ、飛ばし、泳がせた。車を、船を、飛行機を作らせた。技術は進化しない、それには一定の方向があって、無駄や余剰は即、死につながるからだ。技術はただ進歩していく。私はこうして進歩した技術が、進化した人間の余剰部分に快楽を及ぼす、というところを愉快に思う。エアロソアラちょう楽しい、モーターちょう小さい、ラダー部分がスピーカーも兼用してる、やばいかっこいい。