「紫苑物語」

石川淳『紫苑物語』講談社文芸文庫が届く。古本で500円、送料210円。
今日は「紫苑物語」のみ再読。このブログ始めてからだけで三回目。

紫苑物語 (講談社文芸文庫)

紫苑物語 (講談社文芸文庫)


都の歌の家に生を受けた宗頼は、しかし、歌よりも弓矢を好んだ。
「うまれぬさきの世からうまくつくれるにきまった歌を、どうしてこの世のかぎりつくりつづけなくてはならぬのか。」
狩へと没入する宗頼。が、宗頼の矢は生き物をなぜか射殺すことができない。命中したはずの矢も獲物も、ふっと消えてなくなってしまう。
そんな苛立ちの続くある日、不意に現れた子狐を射たとき、初めて宗頼の矢が生き物を射殺すことに成功する。続けざまに雑色二人を射殺す。「生き物を射殺すとは、ただこうすることか。」
歌の血と弓矢の血、叔父弓麻呂の導きのもと、宗頼は血腥い弓矢の道を突き進むことになる。手始めの獲物は、妻「うつろ姫」と内通する下人ども・・・
「血のちがうもの」が住むという岩山のなかの集落の存在、岩山にほとけを彫りつける「もう一人の自分」平太、謎に包まれた千草という妖艶な女性・・・
血の流れたあとには、紫苑が植えられる。そして最後には紫苑の茂みが残る・・・



艶やかな文体を駆使して物語られる石川淳の中篇である*1。それは、無頼派的な堕落であり、大衆文学的な歴史ファンタジーであり、優美な芸術でもある。誰が近寄ってきても媚びることなく、構えもしない、稀有の名品だ。




「歌の道」「弓矢の道」とは何か。宗頼は歌を捨て弓矢へと走る。そして弓麻呂に「歌の血が濃いかぎりは、弓矢のことはさとるいにいたるまい」と言われる訳だが、弓矢と歌は本当に対立するものなのか?
ほとけを彫りつける男平太の存在とは何だろう。彼の口から、彼にまつわる会話において宗頼の口から、歌という単語は決して現れない。「弓矢と歌」という対立は、どのようにして、宗頼と血の違うもの、魔神とほとけ、宗頼ともう一人の自分、という対立へとズラされていくのか。少なくとも宗頼と平太の対立は、明らかに似たもの同士の対立として本人たちに意識されている。というよりも宗頼=平太であることは、結末から明らかである。
例えば、里に行きたいという宗頼を制する平太の会話を見てみる。

宗「土地をけがすものがあれば、なんとする。」
平「いやでも、殺すほかあるまい。」
「いかにして殺す。」
「はて、背に矢を射たてて、その背をふみつけ、髪をつかみ、地に押し伏せる。そうすれば、悪鬼のたたりを封じることができる。それが人を殺すということじゃ。」
「このわしがやすやすと殺されるものとおもうか。」
「たわけ。」
すさまじい叱咤が下った。とっさに、宗頼の手にした弓は男の手にうばいとられていた。いや、弓がおのずから跳ねて男の手にわたって行ったようであった。

ここでの平太の残忍さ、強暴さは、むしろ弓矢の道行く宗頼のものである。それを平太に感知するからこそ弓矢が跳ねる。
宗頼=平太なのだから、魔神=ほとけという反転性、二面性はむしろ自明だろう。平太が彫り宗頼の矢が射た岩山の仏像の頭が、元あった場所から岩の谷間に転げ落ち、悪鬼のような顔に見え、それを元の場所に戻すと慈顔に見える、がまた知らぬうちに転げ落ちる。この結末部分を見ても明らかだ。

月のあきらかな夜、空には光がみち、谷は闇にとざされるところ、その境の崖のはなに、声がきこえた。(中略)とどろく音は紫苑の一むらのほとりにもおよんだ。岩山に月あきらかな夜には、ここは風雨であった。風に猛り、雨にしめり、音はおそろしくまたかなしく、緩急のしらべおのずからととのって、そこに歌を発した。なにをうたうとも知れず、余韻は夜もすがらひとのこころを打った。ひとは鬼の歌がきこえるといった。

この結びの文を見ると、「歌がきこえ」ている。これは誰の歌か。宗頼の歌の血は消えていなかったのか。それともほとけ=歌だったのか。いや、すべてを飲み込むあいまいな概念としてのみ呼び出されたのか。もしかしたら、「歌の血と弓矢の血」という対立自体が虚構だということを示している?


とりあえず図式的な理解を目指してのメモでした。うつろ姫の位置付けとかもまだ曖昧だ。紫苑とわすれ草とか。
余談だが、今回読んでいて、上田秋成「白峯」を連想した。もちろん石川淳訳『雨月物語』は前に読んではいたのだが。実際、秋成の文体の影響は色濃いわけで。その辺りは、力量不足から省いた。

*1:講談社文芸文庫でp4〜78なのでそう長くはない