亡念のザムド最終回を迎えて〜ザムドは難しくなんかない!〜

「ありがとう、愛してる。」(アキユキ)
 
「私も、愛してる。」(ハル)

亡念のザムド4 [Blu-ray]

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 宛名が無いと、手紙は届かないですよね?だから、そもそも名前が無いままで死んでしまったヒルコ達には、そのままの状態では「メッセージ」は届かないんです。だからこそ、アキユキは、「アキユキ」という自分の名前を呼ばれる事で、相手からの思い、「魂の声(みたいなもの)」を受け取る事ができ、自分自身に戻る事が出来たんです。だから、名前を与えられないまま死んでしまったヒルコ達の嘆きとリンクしているヒルケン皇帝に「アキユキ」という名前が、宛名がもらえたことで、ヒルケン皇帝を構成していた全てのヒルコ達の闇、即ち、「自分宛の声が聞こえない状態」から、「自分宛の声が聞こえる状態」になる事が出来たのです。
 そして、名前をもらえた無数のヒルコ達は、ナキアミによって胎動窟でもう一度「生」を受け取る為に眠りについた、という事ですね。

「どうしてかな、何だか懐かしいよ。お前と戦うことが。」(アキユキ)
 
「教えてやろう、それは私が、お前の中のもう一つのお前だからだ。」(ヒルケン皇帝)
 
「俺の中の俺。」(アキユキ)
 
「そう、お前の中の闇。
私はずっとお前を愛し、憎み続けていた。」(ヒルケン皇帝)
 
「そうか、ありがとう、よく頑張ってくれた、アキユキ。」(アキユキ)
 
「アキユキ。それを私に。」(ヒルケン皇帝)
 
「ああ、命を与えるわけにはいかないから、君の空っぽの胸に、俺を証すたった一つのもの、俺の名前をやる。」(アキユキ)
 
「我を、忘れるぞ。」(ヒルケン皇帝)
 
「大丈夫、何度でも乗り越えてみせる。」(アキユキ)

 私自身、この物語の全てを理解しているなんて事はないですし、これは私個人の感想であって、人に押しつけるつもりもありませんが、ザムドを見る前に聞いた前評判にあった、「理解不明のラスト」とかいうのは、それは何にも考えてないで画面見てるからではないかな、と思います。ちゃんと考えながら見ていたら、何かしらメッセージは受け取れるように出来ているんですよ。だって、ザムドは「視聴者」宛ての手紙なんですから。

本編感想

 と、いうわけで、折角途中まではザムドの感想書いてたので、最終回ぐらいは感想を書こうと思います。
 最終回まで見て思ったのは、「アキユキ」という物語の最初から叫び続けられてきた「メッセージの授受」と、「母と子」というキーワードが見事に結実したラストという事でした。

メッセージの授受

 「メッセージの授受」の観点では、前からここで半端に書いてた感想や、Twitterに書き続けてきた事の繰り返しになりますが、その媒体が「声」だろうと、「手紙」だろうと、それが伝えるのは「魂の響き(みたいなもの)」なワケです。それを第一話でザムドに生まれ変わって、「赤子」にまで戻ってしまったアキユキに「伝えるコト」を教えてくれたザンバニ号のみんなが、「届かない手紙は無い」と、みんなの声は必ず届くと「宛先不明」の手紙を空に飛ばすシーンは印象的でした。25話の時点では気付かなかったんですが、この「宛先不明」の手紙は、必ずしも名前がある人間に対してだけ送られたものではないんですよね、「名前が無い魂」達に宛てたという意味での「宛先不明」もあるんですよね。
 アキユキがヒルコ達に「アキユキ」という名前をあげたから、今まで「メッセージ」を受け取れなかった魂達も、「メッセージ」を受け取れるようになった、それを踏まえて見ると、アクシバ達が手紙を空に飛ばしたのは、非常に空気を読んだ行動だったと思います。

 ま、というわけで、アキユキを呼び続けていたハルの「声」がアキユキに届いていたように、伊舟達がナキアミに投げかける「声」や、アクシバがナキアミに宛てた「手紙」はナキアミに届いているのです。だからナキアミも帰ってきます、必ずね。

母と子

 「母と子」の観点では、ナキアミは最初から「母」としての要素を持ち続けていたワケなんですが、25話でサンノオバによって禊ぎを受けたコトで、本当の意味で「母親」の資質を備え、最終話である26話では、「アキユキ」と名付けられたヒルケン皇帝だった存在を、この世に産み直す為に、胎動窟という母胎に同化したワケ。
 一応補足しておきますと、胎動窟が「母胎」である理由というのは、名前が示すのは勿論、「日輪の禅(?)」を行う場所の壁面が細胞を模していたり、胎動窟が水で囲まれているコト、即ち羊水に囲まれているなどがメタファーとなっています。そして、「ヒルケン皇帝」そのものである「闇」を球体に変えたシーンは、受精卵が細胞分裂をしていく様を逆転させているんですね。
 もともと死産で生まれてきた赤子に「偽りのヒルコ」を投与して生まれたのが「ヒルケン皇帝」であり、「生」の代わりに「死」を付与されて生まれてきてしまった、捻れた存在なんです。「無」の中から「生」を受けてこの世に生まれてくるはずだったのに、人為的に「死」を与えられて生まれてしまったから、「生きているのに死んでいる」状態だったのです。だからずっと「ヒルケン皇帝」は泣いていた。そんな彼をサンノオバは、母として安らかに葬ろうとしますが、それでは「ヒルケン皇帝」は勿論、他にも沢山の人が犠牲になる。だからナキアミは、「ヒルケン皇帝」が持つ「死」をルイコンの流れに返して、もう一度「生」を与えようとしたんですね。

総括

 駆け足で半年に渉るザムドの「メッセージ」を纏めてみたワケですが、半年間楽しませてもらえたなーという感じ。
 放送開始した第1話の時点では、作品の方向性がいまいち分からなかったんですが、第2話で「母」、第3話で「メッセージ」というキーワードが見えてきて、第4話で「母親最強」だと分かってきて、第5話で「手紙」という媒体が出されて、それまでのキーワードが結合されて……と、初めの1ヶ月で作品の背景や作中前などがしっかり確立されたのは良かったですね。衒学っぽく最後まで曖昧に通すのかと思いきや、意外やかなりの初期で分かりやすく解説されていたんですよ。
 その後は、登場人物達が抱える問題点を提示していき、ザンバニ号の座礁のあたりで、問題点の解決に転換していき……と、非常に丁寧に物語は展開していきましたね。

 笹村のおばあちゃんが「蜜柑を投げる」のも、「未完を投げる」のとか思ってましたが、物語が進むにつれて、「(メッセージを)ナイスキャッチ!」という意味で、ちゃんと言葉にして伝えましょうね、という意味だったりと、物語の理解を助ける描写もかなり充実してましたしね。

「ナイスキャッチ!」(笹村のおばあちゃん)

 と、いうわけで、「ザムドは理解不能」という風評は、少なくとも私にとっては、全然そんなことなくて、寧ろ分かりやすい物語だったな、という結論。ま、騙されたと思って第1話から見直してみなよ、面白いから。

Kylee meets 亡念のザムド

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