天皇の利用と使用について

山本太郎「何が政治利用ですか?」 会見で陛下への手紙は「被曝問題」と明かす
http://www.j-cast.com/2013/10/31187810.html


山本氏本人はこう言っているのだが、実際のところどうだったのか。
僕は、天皇に何らかの政治的影響力があると、氏がナイーブに信じてたとは考えにくいと思う。天皇に「直訴」の手紙を渡すことで、天皇本人にではなく、社会や政治全体に対して何らかの影響を与えられると考えたのではないか。
だとすれば、これはやはり誤った判断というしかない。
何故かというと、この行動は結局は、天皇という存在を使用(利用というよりも)することで、原発を維持し、現在の体制を存続させようとうる人々のやり口を正当化し、強化する結果しか生まないからだ。
いま、実際にそういう流れになっている。
与野党の政治家たちは、この山本氏の行動を「天皇の政治利用」であるとして非難しているが、そのように呼んで攻撃することによって、自分たちが行っているもっと悪質で大掛かりな政治利用を、「政治利用」ではないもののようにカムフラージュしようとしている。
いまの政治権力の手口は、天皇という、元から据えつけられている装置を使って、秩序や権力を維持しようということであり、これこそ天皇の政治利用と呼ぶのでなければ政治的「使用」に他ならないのだが、彼らは、山本氏のような突発的で「不敬な」行動だけが「政治利用」にあたるものだと主張することで、自分たちの行為をまったく合法的で天皇を尊重する態度であるかのように見せ、同時に、その「天皇」を不可侵のものとする封建的・反人権的な価値観の、世論への定着を狙っているのだ。
山本氏が無自覚に繰り返している「身分」というような表現が、このような反人権的な価値観の定着に寄与するものであり、それは被曝や原発の暴力を正当化し、人々を原発体制のなかで苦しめる結果しかもたらさないのだということに、氏には早く気づいてほしい。
氏が言う、天皇への「真情」は、少なくともそれが現実の政治に関わる場合には、反原発・反被曝への願いとは両立しえないものなのである。


権力による、天皇や皇族の反人権的な利用・使用ということは、3・11以後は、本当に露骨さを極めている。
その意味で、彼ら、彼女らは、人として扱われていない(道具としてしか扱われていない)。だが、それは、この国の政治権力が、基本的に民衆を人として扱わないことの反映である。
天皇は、天皇であるがゆえに尊重されるべきなのではなく、ただ人間であるがゆえに人権を尊重されるべきだというだけのことだ。
心身の過労や、被曝の危険があってさえ全国を奔走させられている皇族の姿は、「この高貴な人々が、これほど身を奉げておられるのだから、お前ら民草はもっともっと国に献身せよ」という、権力者たちからのメッセージに他ならない。


体制維持のために天皇を利用し使用する権力のやり口は、いまのこの国の反人権的な体質を如実に映し出すものだといえる。
山本氏を攻撃する与野党の政治家たちが隠蔽し、同時に正当化し強化しようとしているのは、「天皇」を装置とするこの根本的に反人権的な社会構造である。
これこそ、山本氏がそうであるはずの、原発に対抗して人間を守ろうとする行動者たちが、真に敵対すべき対象であるはずだ。


また、今回の流れを見ていると、そもそも氏が園遊会に招待されたこと、そこにあのような「直訴状」を持って行ったこと、そしてそれが警備によって咎められなかったことなど、いくつも不審な点があるが、これは意図された山本太郎排除の目論見に思えるというだけでなく、同時に、反原発のような対抗運動を、天皇制の仕組みに回収しようとする、もう一つの狙いがあるのではないか、と思えてくる(下村博文が、山本氏の行動を田中正造になぞらえたというのは、口が滑ったのではなく、意味深長なのかもしれない)。
氏が、「身分」ということをしきりに強調することは、天皇という存在の政治的悪用につながりかねない、今回のような行動を起こしてしまったことと同様に、確かに氏の、政治家としての弱点を示していると思われる(最も、こうした人権意識上の「弱点」を有していない政治家が、日本に居るかどうか大変疑問だが)が、考えると、そういう面のある人だからこそ、これまで権力の側は、あえて強硬に潰すことをせず、今回のような「利用」のタイミングを待っていたのかも知れない。
今の情勢は、政治家たちの恥知らずな「山本バッシング」に組することはもとより、山本氏擁護にまわっても、それが天皇制の肯定につながりかねないことを、明確に意識していないといけない程に困難である。
私たちは、山本太郎を攻撃する支配的勢力の反人権性と、山本太郎氏自身が内包している(恐らくは、僕ら自身もまた無縁ではないはずの)反人権性を、共に正確に批判しなければならない。
天皇という反人権的な旗の名のもとに保障される、生命も人権もほんとうは存在しないのだという厳然たる事実を、あらためて心に刻む必要があるのだ。