バルセロナのガウディ建築案内番外編(50)

ガウディがデザインした?Escorial通りの家
1899年11月の日付のある建築申請用の数枚の図面が市役所には保存されていている。これには同年12月1日に市の建築官ファルケス(Pere Falqués Urbí (1857-1916年)によって申請承認のサインが付け加えられている。どうやら施主は画家のクラペス(Aleix Clapés i Puig, 1850-1920年)で、2児をもつ未亡人と結婚し、この家の新築を思い立った。クラペスはパリで学んでバルセロナでは画家として確固たる地位を築いていた人物であったが、ガウディとはサン・ジュックの美術アカデミーで顔を合わせていた。ガウディはグエルの居館パラウ・グエルを設計依頼を受けた時に中央サロンのヘラクレスの絵などの担当に起用しているように画家としてグエルに紹介するに相応しいそれなりの名声を得ていた。パラウ・グエルのためにガウディに協同していた時にはクラペスはパラウ・グエルがある街中のノウ・デ・ランブラ通りの55番地に住んでいたが、結婚して郊外のグラシアに移るためにこの申請図面を出した。その図面にガウディのサインがあるのだ。
ガウディとの関係はサグラダ・ファミリアの発起人、ボカベージャのポートレートを描いているという繋がりもあったし、パラウ・グエルの後、カサ・ミラの玄関周りの天井画を描くように依頼している。
さて、このガウディの知られざる作品は、翌年の1900年に着工し、更にその翌年の1901年に完成している。場所は当時建設中であったグエル公園サグラダ・ファミリアの間にあり、ガウディはその後も日常的に通ったエスコリアル通りだが、友人クラペスに名義を貸したというのが実物を見れば分かるし、グエル公園のような大きな工事も無許可で着工したガウディであるが、友人のクラペスが市役所と問題を起こさないように配慮してこちらのほうはちゃんと建築申請をしたのだろう。

所在地:Carrer Escorial, 123-125 Barcelona

ガウディのサインの入っているクラペスの家のファサード展開図

現在の同家

側面ファサード

クラペスの描いたパラウ・グエル内の絵の一つ

クラペス作Manuel Dalmauのポートレート(1915‐1919年)、MNAC蔵