ホセ・エルモシージャ・イ・サンドバル

José Hermosilla y Sandoval
生:Llerena, [Badajoz]/1715年 没Madrid/1776
スペイン建。
若くして宮廷の工事に関係し、建築、デッサンの技を身に付けた。軍の技官として1761年にはポルトガル戦に参加したりしている。その後イタリアへ渡り、ローマ、ミラノ、ボローニャヴェニスなどを歴遊し、古代のモニュメントのデッサンに励む。更にはドイツ、フランドル、オランダ、フランスなどに足を延ばし、都市計画、ランドスケープを身につけた。そしてサバティ−ニ*、ビジャヌエバ*、ベントゥーラ・ロドリーゲス*と並び18世紀のスペインでの代表的建築家として評価されるようになる。カルロス3世(Carlos III de Borbón, Madrid, 1716年〜 Madrid1788年)の信任を得てサンタ・イサベル通りに総合病院(現在のレイナ・ソフィア現代美術館)を設計(1750年)基礎、地上階の1部は完成させたものの1769年にカルロス3世サバティーニに建設続行をさせる。
1761年頃には僧侶フランシスコ・カベサス*のアイディアで巨大なバシリカ、サン・フランシスコ・エル・グランデを設計する。 これは円形プランで周辺に7つのチャペルがつき、33メートルの巨大なキューポラが付くというものだったが、後年計画は変更され実現された。
1766から翌年にかけては, サン・フェルナンド王立美術アカデミーの依頼でビジャヌエバ*、ホアン・ペドロ・アルナルを助手としてアンダルシアを旅行、コルドバグラナダを視察、アラブ建築の図面を起こしている。
1767〜1784年の間は現在のパセオ・デ・プラドの原形となった、サロン・デ・プラド計画を作成。これには後年別の建築家に実現された、シベーレス、アポロ、ネプトゥーンの噴水も含まれていた。
サン・フェルナンド王立美術アカデミーのディレクターとしても影響力を持った。
《参考文献》
Molina Campuzano, M., 『La Urbanización de Madrid en el Siglo XVIII』, Madrid, 1961年
Moya Blanco, L., 『Ideas en la arquitectura de Napoleón』, Madrid, 1971年

Pseo del Prado