怒濤の前半

あっという間に前回の日記から1ヶ月近く経ってしまいました。

その間・・

なんと言っても、6月の始めに、夫のお父さんが突然亡くなったのが大きかったです。

あまりにも想定外の事で、ショックで、ただただ号泣という感じでした。

お父さんは、私が話しかけても、反応をちゃんと返してくれて聞き上手で、興味のある話題も共通項が多くて、とても話しやすい方でした。

孫である娘のユイを本当に可愛がってくれて、その姿を見るのが嬉しくて大好きでしたね。

男気もある感じなのに、炊事もサクッとスマートにこなされて、ハッと気づくと片付けとかお手伝いいただいたりして、とっても救われる思いでしたし、目をつぶって話す姿もとってもキュート!かつユーモアもある暖かい方でした。

実の父と少し距離のある私としては、お父さんと実の娘であるお姉さんとの関係もいいなぁ〜と少しうらやましく感じていました。実の親子だったら更にいいだろうなぁ〜・・と。

自由人なところは実の父とも似てました。

そんなお父さんが急な発作で亡くなられたと聞いて、ただただ動揺しながら夫の帰宅後すぐ夫の実家へ帰り、その後はお通夜にお葬式に・・と現実感がないまま進んでいきました。

父は仕事があって無理だったのですが、母はお葬式に出席すべく東京から来てくれて、一緒に一泊した人吉の温泉で過ごしたひとときで一呼吸置くことができました。心強かったです。

翌週は、当初、母と双子のぽーと息子のたっくんが福岡に遊びに来る予定になっていたのですが、これはキャンセルだよな・・と最初あきらめようと思ったのですが、お父さんだったらきっとキャンセルなんてせんでいいと言うだろうな・・とか、震災後ますます会える時に会っておかないと悔いが残るかもしれないな・・とも感じるようになり、夫の了承も得て、行く先を福岡のとある島の休暇村から人吉の夫の実家にお線香をあげに行くという日程に変えて、東京から来てもらう事にしました。

その間、私はユイと一緒に九州新幹線(CM見ると泣ける〜)に乗って熊本ー福岡間を往復したりバタバタでしたが、人吉の夫が手配してくれたお宿も温泉もとても良くて、いい思い出になりました。

それから、ユイは夫のお母さんを慰めるために夫の実家に置いて(母とぽーは残念そうだったけどもちろん理解してくれて)、私と母とぽーとたっくんで福岡の我が家に帰り、近所のアウトレットやらショッピングモールやらに行って、夕飯はイタリアンを食べて、笑って語って、我が家で一緒にAKBの録画を見たり、夜通し悩み相談のセッションをしたり・・これまた切ないような貴重な思い出になりました。

次の日は、海沿いを歩いて空港に行って、ひとりお見送り・・。

帰ってからひとしきり泣きました><。。

本当に震災後、そして原発の問題が解決しないままの今、ともすれば本当に再会できる次があるのか・・と以前以上に深刻に不安になることが多々あったので、この一連の流れの中でのショックやら疲れやら不調やら悲しみやらと併せて、かなり情緒不安定ではあったのですが、夫への甘えも出てしまい、つい私の態度が悪くて夫を怒らせてしまい・・自業自得とはいえ精神的にはかなり追い詰められました。

実はその影にはPMSもあって、双子や友人達にもSOSを出しましたね。

「私も夫とケンカするのはいつも生理前とか生理中だよ」とか、「ああ〜だよね〜」と同性からは即理解してもらえるのですが、男性には、しかも今回は言い辛かったというか、バタバタで生理周期に気を配れず警戒もしていなかったのが、一番の仇になりました。

私の場合、たいてい生理日のちょうどかっきり1週間前の日に、イライラと男性嫌悪がひどくなる傾向があって、そうでない時から考えると自分でも別人のように感じられる程、豹変してしまうのです・・。

これを機に、友人にもお勧めサイトとか教えてもらったりしたので、もっとちゃんと手を打とうと思いました。それでもダメだったら友人と同じくクリニックに行ってみようかな・・とも思っています。

はぁ・・そんな訳で、怒濤の6月前半でした・・。

夏至の日にだいぶデトックスできましたが、いきなり想定外の事が起こるんだ!というショックや不在の寂しさ等はなかなか抜けないものなのだな・・と実感中です。

色々考えさせられています。