このポスターを夜陰に紛れて貼って歩くが、BUNTENが防虫吟強制市場介入班に捕まり、芋蔓式にフリーメイソン日本支部一斉検挙wはてな高齢者マーク(C)finalvent

歴史の教訓に学ぶ確実な期待の転換法

マーケットの馬車馬氏は、人々の期待を変えることは困難だと繰り返し説く。(「金融政策論議の不思議(16) 再び、論点を整理する」、「金融政策論議の不思議(18) ベースマネーをいじってインフレには出来ない」など。)



そしてそれはその通りだろうと思う。特に、政府と日銀の絶妙のタッグで「90年代以降の低成長は、まるで政策的に演出されたようにしか見えない」(ドラエモン氏 経済板ロビーvol.14 #617)状況が続いているもとではなおさらである。



しかし心配には及ばない。歴史を見渡せば、同じように困難に見えた状況から速やかに脱することができた例がある。戦前のアメリカはどうやって大恐慌から抜け出したか。「デフレはなぜ怖いのか」(原田泰/文春新書)の言葉を借りよう。

 では、なぜ人々の期待が変わったのだろうか。1933年3月にフランクリン・ルーズベルト政権が誕生し、4月に金本位制を離脱したからである。ルーズベルト政権が、デフレを阻止するために、いかなることをも行うという決意を示し、国民がそれを真実と受け止めたからである。

さらに

金本位制固執し、デフレを阻止することに失敗してきた連邦準備制度理事会議長のユージン・メイヤーが辞任し、後任にアトランタ連邦準備銀行総裁のユージン・ブラックが任命されたことも大きい。人間が変われば、政策が変わるという期待が生まれる。(太字は引用者による)

一見過激な「改革するぞ改革するぞ改革するぞ」のかけ声とは裏腹な、なし崩し的な政策変更を得意とする小泉政権には、もう少しなし崩しデフレ対策を継続してくれることを期待していたが、今一歩のところで財政再建側にヘタレそうな気配である。そういった場合でも、首相や日銀総裁クビすげ変わって、新しい政権が断固としてデフレと闘う決意を示すなら、速やかに期待は変わるのだ。



しかし、現日銀幹部や政権党の政治家諸君にとっては、この方法こそ痛みを伴う改革であろう。日ごろデフレの痛みに苦しんでいる貧乏人としては、あなたがたが痛みにあえぐ日が来ないですむように、数%のインフレになるまで金融緩和を継続していただくことを切に望むものである。