財界にいがた11月号


 地元月刊誌「財界にいがた」が裁判員制度批判の続報を書きました。実は当職自身,この記事に側面援助を少ししています。

http://www.zaikainiigata.com/

新潟地裁元判事が「恐怖の悪法」裁判員制度を断罪>という記事です。キャプションによると新潟地裁元判事(現新潟大学ロースクール教授 西野喜一先生)は直接取材を受けられなかったようであるが,当職以外の複数の専門家に取材した様子である。
 以下,著作権に注意しながら,同記事を若干紹介する。

妥協の産物が押し通す建前

 「裁判員」という「陪審員もどき」の制度が成立した由来を紹介している。
裁判員制度は,キャッチコピーに「裁判を国民の身近なものに」と掲げていますが。
「裁判所が”誤判・冤罪防止のために裁判員制度を導入しよう”では格好がつかないでしょう」

「死にました」

 裁判員の呼出状(赤紙)を受け取ったら,誰かが家族になりすまして「呼び出された父○○は死にました」と電話で答えればよいという話(戸籍謄本を職権で取り寄せられたらどうするかという話は書かれていない)。

司法の民主化なんかいらない

 この辺は重要なので,少しく引用する。
 −国民にとっては不利益な点ばかり目につきますが,裁判員制度にメリットはあるのですか?
 「皮肉な見方をすれば,裁判所が得をすることもあります。裁判員制度を実施すれば,制度の実施のためには,人が足らない,法廷を大きくしたいといって,国への予算要求の口実になります。また,この制度のもとでは,裁判所の責任が分散され,誤判・冤罪があっても裁判員のせいできることになります」

−「司法の民主化」を建前として標榜する裁判員制度ですが(後略)
 「本県(新潟県)月潟村出身の憲法学者 佐藤幸治氏の著作【憲法】の中では,”司法は民主主義から超然とすべき”だということが述べられています。私もそれに賛成です。司法が民主的である必要はありません。”司法の民主化”といいますが,そもそもそんな主張を強く聞いたことがありますか? ないでしょう? それが(裁判員制度の導入)の切っ掛けあってならまだしもそれがない。ほんの一部の論者が唱えているだけです。
 もちろん国民の生活にかかわることを決めるのは民主的であるべきだと思います。しかし,有罪無罪の判決に,法に関して素人である裁判員たちに多数決原理を導入しようという試みにはため息すらでます。面倒だらけの裁判員への参加を強制している時点でこの制度自体が民主的ではありません。」
−結論としては,裁判員制度など必要ない,現行制度の維持で十分だということでしょうか?
−「そうは思いません。(中略)しかし,弁護士の質の低下,検察側の高圧的な取り調べ,自白しているから有罪だという杜撰な事実認定,全知全能だとして権力を誇示する裁判官など,問題は多々あります。
 まずはそこから改めるべきです。(中略)憲法で定められていること,刑事訴訟法で定められていることに,より忠実になるだけで,現行制度も相当改善されると思います」 

右翼・左翼の壁も越えて

 裁判員制度反対の声は,政治的右・左とは関係がないこと。
 「高等裁判所の裁判長まで務めた堅固な保守派である人物と,ある非常に左翼的なことで有名である法律家団体の長にあった人が,裁判員制度に関しては,お互いに反対ということで手を握ったという話も聞きましたから」