フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」を読む(3)

Wikipediaにエレファンティネ島のクヌゥム神殿の遺跡の写真がありました。






上陸してみましょう。








残念ながら、神殿はほとんど崩れ落ちてしまっています。






ナイル川の水源としてのクヌゥム神


古代のエジプトの神官たちは、エレファンティネにナイル川の水源がある、と主張していました。エレファンティネよりも上流にもエジプトの神殿は残っているので、古代エジプト人自身が、ナイル川がエレファンティネよりさらに上流に続いていることは百も承知だったことでしょうが、神話上の話としては、ここエレファンティネからナイル川が始まることになっています。つまり、ここのどこかにある深い穴から、ナイル川の水が湧き出している、と考えられていました。前回の引用で

  • この地の岩から噴出しているとされた豊饒の水を・・・

と書かれていたのは、このことを指しています。なお、当時の地理上の通念としてはこの滝までがエジプトで、そこから南はヌビアという別の世界である、という認識になっていました。ここ、エレファンティネはエジプトの南限にあたるのです。古代エジプトの神殿巡礼の旅を始めるにはふさわしい場所です。引用を続けます。

かれ(クヌゥム)にはのちに、きわめて古めかしい、うたがいもなくずっと南国産の女神が二柱、脇侍してくわえられた。サティスはたぶんヌビアの射手とかかわりがあったろう。ずっとのち、その名がシリウス星ソティスと似ていたところから、ソティスとイシスに同化された。被りものとしてこの神には、角をそえた上部エジプトの白い王冠が与えられた。アヌゥキスは瀑布近辺の中心地としては最大のセヘル島を独占していた。この女神は、その高い羽毛の被りものがよく物語るとおり、まぎれもないアフリカ的性格をもっていた。


フランソワ・ドマ著「エジプトの神々」より

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/74/LD-III-141.jpg



上段左から、アヌゥキス、サティス、クヌゥム、一番右の人物はセティ1世


南国産の女神が二柱

  • というのは、そのあとで名前が出てくるサティスとアヌゥキスのことです。

サティスはたぶんヌビアの射手とかかわりがあったろう。

  • これについては私は何も知りません。

ずっとのち、その名がシリウス星ソティスと似ていたところから、ソティスとイシスに同化された。

  • 「ソティス」というのがシリウスのエジプト名です。そしてこの星は、女神イシスの星と言われていました。それについては、オシリスとイシスの神話に関係したいわれがあるのですが、のちの適当な箇所で述べることにします。サティスはソティスと名前が似ていたために、ソティスと同じものと考えられるようになり、ソティスがイシスの星であったことから、さらにはイシスと同じと考えられるようになった、ということです。この同化は、古代エジプトの神々の世界の大きな特徴です。いろいろな神が同じ神であるとされ、最後には何が何だか分からなくなるほど同化が進みました。日本でも神仏習合というのがありましたが、それのもっと、はなはだしいものです。

被りものとしてこの神には、角をそえた上部エジプトの白い王冠が与えられた。

  • 上の図にある通りです。ここから角をはずしたものは、上エジプトの王冠でした。

アヌゥキスは瀑布近辺の中心地としては最大のセヘル島を独占していた。

  • セヘル島は、エレファンティネ島のすぐ南にあります。やはり、ナイル川の中の島です。

この女神は、その高い羽毛の被りものがよく物語るとおり、まぎれもないアフリカ的性格をもっていた。

  • ここでいう「アフリカ的性格」というものがどんなものか私にはよく分かりません。