エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(7):トラシュブロス後

さてこの頃、ミレトスの独裁者トラシュブロスはどうしていたのでしょうか? 残念ながらそれについての記述を私は見つけることが出来ていません。彼には後継者がいたのか、それとも後継者はおらず、民主政が確立したのか、それとも貴族政になったのか、興味があります。ヘロドトス歴史の中には、トラシュブロス以降のことを書いたのかもしれない記述があります。それは次のようなものです。

また同じ頃ミレトスも、ミレトス史上最盛の時期に達しており、イオニアの華と呼ばれた。しかしこのミレトスもそれ以前は、内争のために二世代にわたって疲弊の極に達したことがあり、その後パロス人がようやくこれを立て直したのであった。つまりミレトス人が、全ギリシアの中から、特にパロス人を内紛の調停者にえらんだのである。
 パロス人は次のようにしてミレトスの内紛をおさめた。
 パロスの有力者たちがミレトスへきてみると、ミレトスが経済的に破綻していることがわかった。そこでミレトスの国土を一通り検分したいと申し出て、ミレトス全土を見て廻り、荒廃した国土に時たまよく耕された畑が目につくと、そのたびにその畑の所有者の名を控えていった。
 全土を廻っても、こういう畑は数えるほどしかなかったが、町へ帰ると早速民会を召集して、手入れのよかった畑の所有者たちに、国政を任せることにした。こういう人間ならば、公共のことも自分のことと同様に、よく面倒を見るに違いないから、というのがパロス人たちの挙げた理由であった。そしてそれ以外の、これまで内紛をつづけてきたミレトス人たちは、この新しい為政者の命に服すべきことを、申し渡したのである。


ヘロドトス「歴史」巻5 29 より


問題は上の引用で書かれている「それ以前」という言葉です。「それ以前」というのは前後の記述から「BC499年あたりより以前」ということであることが分かるのですが、BC499年からどこまで過去にさかのぼればいいのか分かりません。私は、これがトラシュブロスの死後であると仮定してみました(トラシュブロスの死去の年も分かっていませんが)。これによればトラシュブロスの死後、ミレトスには内紛が起り、その後、パロス人の介入によって、一種の財産政とでもいうべき体制が成立したようです。なお、パロスの位置を地図に示しておきます。


では、トラシュブロスの死後、ミレトスは内紛によって疲弊していたのでしょうか? ところが、あの日食を予言したタレスについての、ある伝説のことを思い浮かべると、ミレトスが内紛のさなかにあったとも思えなくなるのです。次はタレスにまつわる話を紹介します。