古代ギリシアの旅
- 作者: 高野義郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2002/04/19
- メディア: 新書
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古代ギリシアこそ、人間の創造的な活動がひとつの頂点をなした時代ではないでしょうか。そして、想像の過程の深奥にせまることこそが、理論物理学を専攻し、とりわけ時間、空間と素粒子との関連について、ささやかな研究をつづけてきた私のもっとも心惹かれる主題なのです。
ということだそうです。しかも、ここで紹介される旅は以下に引用するあとがきにあるように本業の物理学者としての活動の副産物としてなされたということで、私にとってはとてもうらやましい限りです。
この本に記されている東地中海方面への旅は、あわせて10回、のべ日数にして、1年の3/4ほどになるでしょうか。アテネ大学をはじめ、各地の大学での講演、それに国際会議など、近頃この方面をたずねる機会がふえたのは、きっとギリシアの女神さまたちが、片思いにさせるのはかわいそうだと、ギリシアに惚れこんで、ヘーラー*1復権などとなえている私を、身近に招いてくださっているのでしょう。
目次は次のようになっています。
1.哲学のふるさとミーレートス(その都市計画に秘められたもの)
2.ピタゴラス学派の聖なる数10
3.万物の根源を求めて
4.古典文化の花咲く都市アテーナイ
5.時計回りにめぐるペロポンネーソス
6.悲劇の舞台(オイディプースとイーピゲネイア)
ところで、この著者は古代のギリシア語をカタカナ表記する際に、母音の長短をはっきり区別するように意識して書いたということです。ですので、たとえば通常ミレトスと書かれる都市の名前は「ミーレートス」となり、有名な哲学者ソクラテスは「ソークラテース」と書かれることになります。この母音の長短をいいかげんに書いている著作はけっこうあるようで、古代ギリシア語の読めない私は長短を間違えるよりかは最初から長母音を短く記す原則にして、なんとかごまかしています。
さて、私にとっては最初の「哲学のふるさとミーレートス」が一番おもしろく、次は「ピタゴラス学派の聖なる数10」でした。特にミレトスについてはこの夏、ブログに書いたこともあって(「エーゲ海のある都市の物語:ミレトス(11):イオニア文化の拡散」など)、非常に興味をもって読みました。紀行文には地図もついていて、遺跡を一緒に見て回っているような気持ちにさせてくれました。私がおもしろいと思ったことの一端は「ミレトスに関する追記」に書きました。
次におもしろいと思ったのは「ピタゴラス学派の聖なる数10」で、ピタゴラスと女神ヘラ(著者はヘーラーと書きます)の関係を推測したもので、これもほかの本では読んだことのない内容でした。前書きにあったのですが
ホメーロスの叙事詩では、この女神*2は損な役回りをさせられていますが、実際に現地をたずねると、神殿の数や大きさからして、その信仰がいかに広く、また深いものであったかをうかがうことができます。
という記述にははっとさせられました。「聖数10」とはピタゴラス学派(あるいは教団)がテトラクテュスと呼んで神聖な数としていた数のことです。著者は各地のヘーラーの神殿を訪ねて、それらの神殿の構造からヘーラーと10という数が関係していることを説きます。そしてこの数字はヘーラーが多産の女神として、妊娠の10ヶ月から由来しているのではないかと推測しています。そしてこの10という数字を介して、女神ヘーラーとピタゴラス教団の関係を推測しています。その真偽は私には判断がつきかねますが、おもしろい発想です。
3番目の「万物の根源を求めて」は、古代ギリシアの哲学者たち(というか科学者たち)がこの世は何から出来ているかを追求したあとをたどるもので、素粒子物理という著者の本業と一番しっくりくるテーマでしょう。このテーマは「哲学のふるさとミーレートス」でもタレースに関連して扱われていました(タレースは万物は水から出来ているという理論を唱えました)。しかし、他の本で読んだ内容が多く、私にとっては「哲学のふるさとミーレートス」ほどのおもしろみはありませんでした。それでもエレア派のパルメニデスに関連して、エレアの町にあった門を持ち出してくるのは独創的な記事だと思いました。
残りの章については、普通の紀行文に近くなっていてあまりおもしろくありません。私にとってはこの本はやはりミレトス関係の話が一番ひかって感じられます。自然科学の発祥の地としてミレトスは重要な遺跡だと思います。しかし、ネットで調べてみるとトルコでは(ミレトスの遺跡は現在のトルコにあります)ここは観光地としては整備されていないようです。トルコにあるギリシアの遺跡としてはスミュルナ(イズミール)やエペソスなどは観光地になっているのですが・・・。