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Chikirinの日記 RSSフィード

2017-10-18 「歴史認識」とは何なのか

ここまで 2回に渡って、中国東北部(旧満州)にある中国の歴史記念館を紹介してきました。

731部隊 陳列館

九・一八事変 陳列館

今日は 3つめ。上記ふたつより更に日本人に知られていない(であろう)記念館の紹介です。


それは撫順にある「平頂山惨事史実展」

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平頂山の虐殺事件なんて、日本人の 9割は「聞いたこともない」のでは?

→ wikipedia 平頂山事件


満州事変(九・一八事変)の翌年、中国の抗日ゲリラが撫順の炭鉱施設とその周辺の住宅地を襲撃。炭鉱長など日本人数人が殺されるという事件が起こりました。

これに激怒した日本軍の部隊は襲撃犯人を追いかけますが、犯人は見つけられない。

捜査の結果、日本軍は平頂山にあった小さな村がゲリラの拠点だと睨み、なんと村民全員を一ヵ所に集め、周りから一斉に銃撃、ほぼ全員を殺して遺体を焼き払ってしまいます。


本当にこの村がゲリラの拠点だったかどうかも明らかでないし、たとえゲリラ犯が逃げ込んでいたとしても、殺された人の中には多数の一般住民が含まれていたはず。

ただし殺された村民数について中国側は 3000人としていますが、日本側証言では数百人という主張もあります。


こちらが記念館での説明パネル。すごい文章でしょ。

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ここもまた、ものすごい立派な施設なんですよね。

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実はわたくし、「中国と週刊文春は同じの法則」があると思ってて。

文春は不倫や薬物疑惑を報じたとき、当事者がそれを否定すると必ず第二弾に「ぜったい否定できない証拠」を出してきます。

もし第一弾で素直に認めて謝罪していたらそこで終わったかもしれないのに、否定すると倍になって返ってくる。


中国も同じで、盧溝橋事件など日本が認めて謝罪している事件に関する記念館より、日本に否定論の強い南京の大虐殺や 713部隊での非業についてのほうが、圧倒的に厳しい展示をしてきます。

ここも同じで、こうして 3000人の犠牲者名をすべて並べた巨大なホールを作っているのも、被害者数について日中で意見の相違があるからでしょう。

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実際のところこの事件自体は小規模だし、たいして展示するものもないので、巨大な記念館には九・一八事変陳列館と共通するものも多く、

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前回のエントリでも書いたように、ひどい日本軍と戦ったのは「中国共産党である!」という宣伝も多々でてきます。(赤線はちきりん追加)

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あと、撫順は炭鉱の街だったので、「炭鉱で強制的に働かされた我が同胞たち!」的な展示が目立つかな。

この「炭鉱関係の展示」も心に沁みます。

というのも、当時の日本は既にアメリカとの戦争を覚悟しており、そのためには何がなんでも満州で石炭を確保しておく必要があった。

てか、満州で石炭さえ確保できればアメリカに勝てるかもしれないと思ってた我が祖国。

強制労働させられた中国人の方ももちろん可哀想だけど、日本だって十分に哀しい国だった。


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しかしなんといっても驚かされたのは、犠牲者となった村民たちの白骨死体(なんと本物!)の展示があったことです。

こちらは皆殺しにされ、焼き払われた白骨死体が見つかった時の写真ですが、

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敷地内には記念館の他に大きなホールがあり、その中には 3000人(とされる)村人の人骨が、発見された時の様子を再現した状態で(=まさに上記写真のような形で)展示されてるんです。

敷地もかなり広く、25メートルプールくらいはあったんじゃないかな。(ここだけは写真撮影禁止でした)

そんな広い敷地に、頭蓋骨を含む多数の白骨が、日本軍が死体を焼くのに使ったとされる灯油缶などと共に延々と並べられてる。ただそれだけの展示。

大量の白骨がちらばる敷地を一周するように見学通路が設置されているのですが、ちょっと息が詰まりそうになるというか、ものすごいインパクトで声もでない。

これってマジで本物の骨なの!??的な感じ。


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(これが記念館のある場所の敷地。いちばん奥に慰霊塔と上記ホールがあります)


3000人の死者というのは、兵隊であれば戦争中の死者数として、必ずしも大きな数字ではありません。

でも「ひとつの村を皆殺しにした」というインパクトは極めて強く、


たとえば最近では、政府軍、反政府軍、そして ISが三つ巴の戦いをしているシリアで「敵グループのメンバーが逃げ込んだ村の家を、反対側の兵士が一軒一軒まわり、村中の男性を皆殺しにした」という事件が報道されたり、

苛烈な内戦が続くアフリカの国で「犯人が逃げ込んだ」という理由だけで村全体が焼き討ちされたりすることもあるのですが、

平頂山の事件はそれと同じで、被害者数は少なくとも「犯人が逃げ込んだかどうかもはっきりしないのに村人を皆殺し」という点で、

通常の戦争行為のレベルを遙かに超えて残虐な行為だった、とされているのでしょう。


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ところで、

こうして何度も中国にある「日本との戦争の記録施設」を紹介していると、「ちきりん、もういいよ」「わかったから、もう止めてくれ」って思う人もいますよね。

私だって連続してこういうエントリを書くのは、読者のニーズにも合っていないと感じるし、自分自身も気が沈みます。

でもね。

この件に関するブログはまだ 3回目ですけど、私が中国東北部を旅行したのは 1週間。

しかもその間、私はほぼ毎日こういう施設を観て回ってたんです。


途中、「いったい中国全土には、こういう記念館がいくつあるんだろ!?」って思いました。

だって私が回ったのは、東北部の三省だけなんです。

北京にも南京にも上海にも天津にも(今回は)行ってません。

それでもこんだけ多くの「日本があの戦争でやったこと」を展示してる巨大な記念館がある。

この現実こそが、私にとっては「知っておくべきこと」でした。


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(巨大な慰霊塔。9月だったので、追悼式典の準備が行われていました)


「歴史認識」という言葉があります。

「日本はアジア諸国を欧米列強の支配から守るため、アジア全体で団結して戦い抜くために頑張ったのだ」と。それが「あの戦争の大義だったのだ」と。

「日本が支配した地域ではインフラが整えられ、教育レベルも上がり、文明度合いも上がったのだ」と。「悪いことばかりではなかったはずだ」と。

そう主張する人もいます。


自分が生まれる前に起こったコト=歴史に関して、正しい認識を持つのは容易なことではありません。

こうやって時間とエネルギーをかけ、あちこち訪ね歩き、声も出なくなるほどショッキングな場所を目にしながら考え尽くし、そうやって初めて「自分なりの歴史認識」を得ることができる。

私にできるのはそう信じて歩き続け、考え続けることだけ。


あの戦争で亡くなられた、すべての方のご冥福をお祈りします。


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そんじゃーね


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