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Chikirinの日記 RSSフィード

2009-06-29 カオマンガイ的なるもの

突然カオマンガイっぽいものが食べたくなって作ってみた。ただし、家にあったものだけでつくったので、できあがったのは決してカオマンガイなどではなく、単なる“茹で鶏ランチ”ではありますが、なかなかおいしかった。

f:id:Chikirin:20090629022247j:image


カオマンガイはタイの屋台や定食屋などで安く食べられるお手軽定食です。お米を鶏のスープで炊きあげ、蒸した鶏肉を載せて、ピリ辛甘酸っぱい?ソース(写真では右上)を掛けて食べます。たいていはキュウリとチキンスープ(右下)が付属してます。*1


突如思い立ち、買い物にいく時間もなかったので、、

(1)タイ米がない→ええい、ジャポニカ米で作っちゃえ!

(2)パクチーがない→ええい、水菜で代替だあ!

(3)キュウリもない。→トマトでええやん。

(4)ショウガがないなあ→ん〜、チューブショウガでなんとかなるさ!

(5)タイの調味料もなんもない→適当に家にある調味料でチャレーンジ!

って感じで作りました。


鶏以外の材料のほぼすべてが“偽物”であることに鑑み(?)、食器だけはタイで買ってきたものを使って見かけで誤魔化しております。


料理の作り方は検索すればでてくると思いますので、そっちをみていただいた方が安心ですが、「作る気はないけど、だいたいどんな料理?」という方のために解説すると、


ご飯は、“鶏スープ”“ショウガ”“紹興酒、塩こしょう”などで適当−に味付けしたチキンスープで炊きあげます。当然本物はタイ米です。

チキンは、本当は蒸すのだと思うけど、お米を炊くスープ&飲むスープ&たれのベースにするスープを一気に作るためには、ゆでた方が一石二鳥。てか“一鳥三品”だね。

唯一気をつけた方がいいのは鶏肉をゆですぎないこと。油がですぎちゃうとぱさぱさになるので。

なお、ゆでる時にネギの青いところと、ショウガを入れる。この「ショウガ風味」がポイントなんで、ご飯もスープもこれだけは省略しない方がよいよ。


ソースがチャレンジなのよね。検索したレシピなどでは、

シーユー・ダム

プリッキーヌー

プリッキーファー

タオチオ

を使って作る、となっているのだが、「それナンですのん?」って感じでしょ。タイ料理店じゃあるまいし、こんなの揃えるのは(ちきりんには)無理。


とりあえず、「ピリ辛」「濃甘」「酢わっ」の味のコンビネーションでできているので、

ピリ辛=唐辛子を刻んで入れてみました。辛いモノなら・・まあ豆板醤でもなんとかなるかもしれない。(ならないかもしれない。)に日本の味噌を混ぜましょう。できるだけ田舎味噌っぽい濃い味噌があれば“よりよい感じ”はする。ただしコチジャンとかは入れないほうがいい。そんなもの入れたら完全に違う食べ物になっちゃいます。

濃甘=ちきりんはメープルシロップを使いました。はちみつとか黒砂糖とかがいいんじゃないかと思うが、最悪の場合はお砂糖でも「なんとかなるんじゃないか」「ならないかもしれないけど」という感じ。とにかく「どろっ」とした甘味がいい。

酢わっ=レモン汁がいいんじゃないかと思う。かぼす汁でもなんでもソレっぽいものなら代替可能ではないかな。最悪の場合は普通の酢でも「なんとかなりそうな気もするし」「うーむ、ほんまになんとかなるのか?」という気もする。

あとは上記にショウガとニンニク。で、鶏を茹でたチキンスープを混ぜてのばします。紹興酒とかもいれてもいいかも。ナンプラーを垂らすとエスニックな感じは増すが、オリジナルの味とは遠くなります・・まあ、どうせすべてが代替品ですので、本格的なソースができあがるわけはありません。ので、適当に指先で味見しながら調節してみてください。指でなめてみて「おお、これなら蒸し鶏にかけたらうまいんじゃないか?」という味になったらできあがりです。(?)


最後にスープを作る。塩こしょう、紹興酒(なければ料理酒でよいと思われ)で味を整えましょう。黒こしょうなどをたっぷりいれるとおいしいと思います。写真では水菜をいれてますが、何も入ってないスープの場合が多い。もしくはカブ?とか大根みたいなのが入っている場合もあるかな。


以上です。

手順としては最初にチキンスープをつくってしまい、それでご飯を炊いている間に野菜を切ったり、たれをつくったり、スープも作ってしまう。で、ご飯のできあがりに併せて鶏を切る。手順的には非常に楽ちんな料理だと思います。



食べてみて・・タイ米とパクチーは(スーパーにいく余裕があれば)買ってきてもよかったなあ、とは思った。でもまあ「あれとは違うが、それっぽいもの」としてはおいしかったよ。

ただし、最初に鶏をゆでながら作ったスープを炊飯器に移したり、ソースのベースにするために別の入れ物に移したりしていたら・・・台所がそのあたり全面“コラーゲンでぬるぬる”状態になってしまいました。片付けは結構大変だったかも。



そんじゃーね。


*1:シンガポールにも同じような料理がありますね。複数種類のソースが選べたりもします。

2009-06-27 世界のテレビが見たいです

昨日の朝テレビをつけたらマイケル・ジャクソン氏が急死したと報じられていたので、すぐにCNNにチャンネルを切り替えた。CNNは経済系のニュースの時間だったが、事実上マイケルのニュースばっかりを報じていた。

ちきりんは世界で何か大事件があると、できる限りその国のテレビを見るようにしている。韓国で南大門が火事になった時はKBSを見ていたのだが、当然のことながら日本のテレビ番組よりも圧倒的に“必死”な様相が伝わってきて臨場感があった。ロンドンでのテロの時はBBCを、911の時はCNNやブルンバーグやCNBCなどを含め、世界のニュースをあれこれ見比べていた。

ちきりんが理解できるのは日本語と英語だけなのだが、それでもたとえば韓国の大ニュースを見るにはKBSでみるのが一番だと思う。たとえ言葉が理解できなくても、アナウンサーの語り口や街頭インタビューを受ける人達の興奮度合いから、その事件がその国の人にとってどれくらい大きな事件であるか、ということがビビッドにわかるからだ。

それにテレビニュースは映像も豊富だし、よくわからないながらも“図表”などを使った解説も入っているので、言葉が理解できなくても案外わかったりするものだ。


というわけで、本当は中国の中央電視台(CCTV)や、アルジャジーラ(カタール)、その他の国のテレビ番組も是非視聴したいと思っているのだが、残念ながら視聴するには、かなりのコストがかかる。

ちきりんが今使っているのはスカパー!だ。月に3500円程払えば30以上のチャンネルが見られるようになっていて、CNNやBBCなどの英米のニュースはその中に含まれている。

しかし、中央電視台やブラジルのテレビ番組を見るには、番組ごとに個別に契約し一ヶ月にそれぞれ3000円ほどの視聴料を払う必要がある。これらの番組はおそらく、日本に在住する中国人や日系ブラジル人のために放映されているのであろう。そういう人にとっては「月に3000円払っても視聴したい」番組だというのはよくわかる。だからこういう価格設定なのだ。

また、そういう人の中には日本語がよくわからない人も多いのだから、他の日本語番組とパッケージにしてもあまり意味がない。ので、単独で値付けされてるってことだろう。

こうなると2カ国分の視聴だけでも各3000円で月6000円、年に7万円を超えるわけで、払えないわけではないにしろ「勉強にはお金を使わないこと」をポリシーとしているちきりんとしてはちょっと逡巡する値段。国の数もたかだかしれている。基本的には日本にその国の人が多くなければスカパー!もケーブルテレビも、その国の番組をもってこない。

それに中国のCCTVなども「まあ見たいイベントがあったらその時に申し込めばいいや」と思っていたりするのだが、実際にはこの間の「天安門事件20周年」だって結局見逃した。最初から契約していれば間違いなくあの日はCCTVを一日録画とかしてただろうな、と思うのだけどね。


ちなみに、海外の一定レベル以上のホテルに泊まると、ホテルってのは各国の人が宿泊するから、世界中のテレビ番組が見られるようになっている場合が多い。特に昨今の石油高を受けてアラブ系のチャンネルの充実具合はすごくって、ちきりんなんて「アルジャジーラ」くらいしか知らないのだが、実際には7つも8つもアラブ系の番組が見られるようになっている。(一方で、NHKが見られないホテルも結構あって、世界の中での力関係にがっくりさせられる。)

ああいう海外の一流ホテルみたいに日本国内の普通の家庭でも「テレビをつけたら世界中の番組が見られる」というようにしちゃえばいいのに、と思う。もちろん個人が申し込むのでもいいのだが、ちきりん的極論でいえば、税金で全部ライセンス買って一般チャンネルとして流せばどう?とさえ思ってるくらいだ。

っていうのはね、これ、留学とかに比べても圧倒的に「世界の動き」を学ぶために格安で効果的な方法だと思うから。言葉なんて聞き取れなくていいと思うわけ。小さい頃からテレビで世界中の番組が見られたら、子供の頃にスペインの舞踏や舞台放映にはまって、スペイン語を勉強しちゃう子供とかもでてくるんじゃないの?って気がする。他国の料理&グルメ番組に関心もってその国の料理のシェフになる子供がでてきても不思議じゃないでしょ。

ちきりんは教育に関して、「税金で日本中の全部の子供を最低半年は海外に留学させる」くらいのことをやるべきだと思っているのだが、その構想に比べれば、世界のあちこちの番組をテレビで流す、っていうのはかなり格安だと思う。それに留学だと一カ国しかいけないけど、テレビならあちこちのが見られるわけで。


昔、欧州をふらふらしていた時に、イギリスで毎日テレビがフェンシングの試合を長い時間流していて、それをみたちきりんは「フェンシングの世界大会でもやってるのかな?」と思ってた。そしたらそれはオリンピックだったと後から気がついた。当時の日本ではオリンピックの放映でフェンシングなんて一切流さなかったので、そんな種目があるって知らなかったわけだ。

メキシコに行った時には、たまたま「デノミネーション」を実施するまさにその日に遭遇した。たしか年末に切り替えたのだと思うのだが、1月1日からペソのゼロを4つとってしまう、という。

で、経過措置やおつりがどうなるかとか、便乗値上げがどうとか、旧札は使えないのかとか、そういう説明番組をずうっとテレビが放映していた。教育レベルの高くない人にもわかるように懇切丁寧な解説がなされていたので、スペイン語がおぼつかないちきりんでもなんとか理解できた。「ほぉ〜、デノミってこういうことなんだ!!」という感じだった。

こういう、「世界で何が起きているか」「何がどう世界で報道されているか」ってのを小さい頃からずうっと身近に見て育つって、「小学校からの英語教育」なんかよりよほど日本人を“グローバル”に育てるのに役立つんじゃないの?って思うのだよね。


それに、ひとつの事件を「違う視点から報じる国々」を見るのは、物事を見る時の視点を複眼化してくれる。たとえばアラブの国では、911でNYのビルが崩れ落ちたというニュースを見て「万歳をしている街の人達」の映像が報道されたりしている。嘆き悲しむ欧米のテレビニュースとは対照的だ。

今回のBRICS首脳が初めて集まった会議なんかでもインドや中国やなどの当事者国でさえ報道のされ方が違うんじゃないか、と思うし、当然、それ以外の国と当事国でも報道のされ方が違うだろう。

終戦記念日に、日本のテレビが“耐え難きを耐え・・”と古い声のテープを回して沈痛なセレモニーを映し出す一方で、韓国や中国では「開放記念日」のお祝いの祝典やパレードが報道されてる。英米のテレビは「戦勝記念日」を高らかに祝ってる。そういうのを「あれこれの角度から見られる状態」ってのは、すごく意味のあることなんじゃないのかな、と思ったりするわけだ。


あと、先進国のテレビはそれなりに見られるけど、アジアって近いけどやっぱり圧倒的に情報量が少ない。台湾と香港と中国メインランドがどう違うのか、お互いをどう感じているか、ってことについて、何度これらの国の人に説明して貰ってもちきりんは理解が進まない。

でも、たとえば北京オリンピックを、3国(3地域?)のテレビがどう伝えたのか、伝え方にどんな違いがあったのか、比べてみるのはとても興味深いと思う。あの「花火がCGでした」「女の子は口パクでした」というニュースを彼等がそれぞれどう伝えたのか、そこには何らかニュアンスの違いがあったのか、って是非知りたいところだ。


インドネシアやフィリピンやタイやベトナムって、つまりはどういう国なの??ってのも、案外わかりにくいでしょ。日本では、欧米の情報の方が圧倒的に手に入りやすい状態で、アジアの情報って極めて限られてると思う。これもとってももったいない。

一カ国一チャンネルとまでいかなくても、「アジアチャネル」とかがあって、そこが各国のニュースを24時間でずうっと流してる、みたいなのがあればすごくおもしろいんじゃないかしらん。知らず知らずのうちに相互理解が進むし、お互いの文化や考え方を感じ取れるんじゃないかな、と思ったり。


テレビが見られない場合、グーグルのニュースのまとめページは非常に多くの国をカバーしているので、地震やテロなどが起きるとちきりんはとりあえず当事国のニュースページを見るようにしてる。だけど、やっぱり「知らない国のニュースを、知らない言語で理解する」のはとても難しい。グーグルから写真で選んでひとつの記事を見るくらいはできるが、リンクは言葉が読めないと使えないしね。

その点、映像(+音声)ってのは超パワフル。やっぱり圧倒的に理解しやすいです。じゃあYou Tubeでどうか、っていうと、あれって検索が必要。するとその国の言葉で検索しないとちゃんとしたものが見つからない。

自分で検索したり、検索の工夫ができる“知ってる言語”では、グーグルやYou Tubeは役にたつけど、そもそも言語がわからない場合はテレビみたいに「あっちから」勝手に提示してくれる一方的(受動的?)メディアが圧倒的に便利だと思う。自分で動かなくても何か事件があれば勝手に“緊急ニュース!”に切り替わるわけだし。



・・・などと、ちきりんは強く思っているのだが、でもあんまりこういう話は誰からも聞かないし、実際そうなる気配も全然ないんで、つまりは「世界のテレビが見たい」などというニーズがあるのはちきりんだけ、とは言わないが、少数派なんですかね?


ちきりんはあんまり東京のホテルに泊まらないので知らないのですが、東京だって高級ホテルでは各国のテレビが入るようになってんでしょ?だったらシステム自体は存在してるんだと思うのよね。それをなんとか安く提供してくれる仕組みができたらとても嬉しい。

ただ、この話が実現するとしたらそれはおそらく「テレビ」ではなく、ネット経由になるんだろうな、とは思ってる。その方が圧倒的に安いし、どうせテレビとPCも融合しちゃうかもしれないんで、それでももちろんOKです。大事なのは「安く(できれば無料で)、簡単に(検索とかせずに)、音声付き映像が世界中から波のように大量に、無作為に入ってくるっていう状態」になること。

こういうのが(ネットで実現)できたら、本当に「ネットは世界を変える」っていう気がするし、日本に関して言えば「“違う時代”を生きる日本人がでてくるってこと」だよね、と思う。


まあとにかく、なんとか安く他国のテレビが見られる仕組みができてくれるととっても嬉しいです。


そんじゃーね。

2009-06-25 組閣してみた!

政治の季節が近づいて関係各所が慌ただしくなっているので、ちきりんも組閣してみた。

これぞ“ドリームチーム!”っていうメンバーを集めてみましたよ。

(以下“おひとかた”を除き敬称略)



総理大臣 堀江貴文


総務大臣 孫正義


法務大臣 本村洋 (光市母子殺害事件の被害者遺族)


外務大臣 美智子様 *1


財務大臣 堺屋太一


金融庁長官 福島瑞穂 *2


文部科学大臣 橋下徹


厚生労働大臣 湯浅誠


農林水産大臣 渡邉美樹 (ワタミフードサービス社長)


経済産業大臣 カルロス・ゴーン


国土交通大臣 中田宏 (横浜市長)*3


防衛大臣 江畑 謙介 (軍事評論家)


内閣官房 ロバート・フェルドマン (エコノミスト) *4


行政改革大臣 渡辺喜美


消費者庁長官 志位和夫 (共産党委員長)


少子化担当大臣 勝間和代


環境大臣 辻信一 (環境活動家) *5


国家公安 沖縄・北方・防災担当大臣 太田光 (爆笑問題) *6




どう?

政党はどっちかって? そんなんどっちでもいいよ。つまんない質問しないでよ。



そんじゃーね!

*1:時には雅子様による代行を認める。“新しい公務”ってことで・・

*2:悪徳金融機関をバシバシ免許停止にしてくれそう

*3:国土交通省は都会型の人に任せたい。

*4:ホリエモンの“女房役”ができるなんて、この人しか思い浮かばなかった。

*5:スローライフの提唱者なのに、有名になるにつれてやたら忙しいらしいから、引き受けてもらえるかどうか微妙

*6:このあたりから力試しってことで。

2009-06-23 日本大好きなんで。

このブログでは、日本の政治や社会に(おちゃらけつつも)文句をつけていることが多く、これじゃあ「ちきりんは日本が嫌いなの?」と思われると困るので、今日は一応「ちきりんは日本すごい好きなんですけど」ってことを書いておくです。


ちきりんは数年アメリカに住んだことはあるけど、それ以外はずっと日本で暮らしてます。旅行は好きで、あちこち行ってます。(→参考エントリ) が、他国に住みたいと思ったことはありません。そもそも圧倒的に日本に住んでいる期間が長く、他国と日本を公正に比べるのはもう不可能です。

ただ、少なくとも日本に住んでることにフラストレーションを感じたことはないし、外国に住みたい!と憧れたこともないです。こんなナイスな国に住んでるのになんでそんなこと思う必要がある?って感じです。

アメリカに住んだのは学位を取りに行くためでした。当時働いていた業界って、「アメリカ以外の学位なんか意味も価値もなし」みたいな風潮があり、履歴書にアメリカの学位がないと「なんで?」と聞かれるようなふざけた環境だったので、仕方なく。

あの国はそういう風潮を世界に広げ、バカ高い値段で「アメリカの学位」を売っている「学位マーケティング」の上手な国なんです。

というわけで、当時はお気楽な学生で楽しくすごしましたが、それでも暇があるとカリブ海を含む中南米、南米に遊びに行ってました。北米よりは圧倒的にちきりん好みだったので。その後もアメリカには仕事ではよく行きますが観光目的で行ったことは一度もないです。

旅行ではスペイン語圏とアジアが好きで、いずれも短期滞在はしてもいいかなとは思いますが、やはり長く住みたいとは思いません。比較分析したわけではなく、小さい頃からずうっと日本が大好きなので、他の選択肢を検討しようという気にならなかったです。


何がそんな好きなのか、と言われても今更すぎますし、他の多くの「日本が好きな日本人」の方と同じだと思います。が、一応書いておくと、


(1)食べものが美味しすぎる。食べるってのは生きることと同義ですから。この一点のみにおいて、アメリカに住むって3回生まれ変わってもありえないでしょう。

個人的に超の付く和食好き、“銀シャリ命”なちきりんですが、ここで言っているのは日本食のみならず、世界の料理がここまで多彩に本格的なレベルで手に入る国ってないでしょ、ってこと。イタリアとか確かに美味しいのだが、イタリア料理比率が高すぎ。日本は世界のグルメが楽しめるし、しかもA級からB級までほんと多彩。


(2)決めたことが実行される。たとえば店で何か大きなものを買って配送を頼むと、ちゃんと届く。“水曜日の3時に会いましょう”って決めた人に会いに行くと、ちゃんと3時に来てる。

15時発の電車も15時に出発するし。飛行機に乗る時に荷物を預けると、到着地でちゃんとターンテーブルに載って荷物がかえってきますよね。こういうのも“グローバルスタンダード”では「すごい!」「信じられない!」ようなことなんですよ。日本は本当「ストレスフリー」ですばらしい。


(3)平和で犯罪も少ない。これは時代もあわせてですが、今の日本はほんとに平和でいい国だよね。真夜中に大半の場所を若い女性が一人で歩ける、世界でまれに見るすばらしい環境に私たちは住んでいます。

日本だと家を借りる時に「このエリアの治安は?」と気にしたことのない人が大半でしょう。世界の他の地域には、そもそも“住んでいい地域”と“住んではいけない地域”があるんです。まずはそれを理解することが家探しの第一歩だし、家賃にも歴然とした差があります。(安く住むということは、命や財産をリスクにさらす、ということです。)

テロも日本では1995年のオウムのサリン事件が一番直近で、あれから14年起きていません。いつ町中で自爆テロが起きてもおかしくないイスラエルや、テロが絶えないアジアの国(インドネシア、インド、パキスタン等々)や、2001年以降大型テロに狙われた米英スペインなどに比べても、相当“安心度”の高い国です。(“責任能力のない人”の凶暴な犯行はどの国にもあり不可避です。)

あと、ロシアや中国のような国家主義的な国だと、ブログで好き勝手書くのも怖い。ちきりんがもしロシア人ならプーチン氏の批判はブログでは書かないです。日本で麻生さんの批判書いて危険を感じるなんてありえないじゃん。(てか、支援サイトを書く方がむしろ危険を感じるくらいで・・)

前にあった事件ですが、日本人がアメリカの飛行機にのって酔っぱらってゴミの入った紙袋を手に持ち、そしてスッチーに何かの冗談を言った。スッチーが怪訝な顔をしていると、そのおじさんは「冗談、冗談!!」と言ったのだが、それを「ヨルダン、ヨルダン!(に行け!)」と聞き取ったスッチーはすぐさまパイロットに非常通報し、飛行機が成田に逆戻りした、という事件がありました。

平和でないと冗談も通じないわけよ。


(4)他国に攻め込んだりもしない。これも時代との合わせ技ですが(昔は日本も他国に攻め込んだりしていたので)、ありがたいと思います。自分の国の軍隊が、石油のために他国の無実の人の上にミサイルをぶち込んでるなんて、考えただけでも気分悪いです。

ちきりんは護憲論者でもないし、日本が軍隊を持つべきだとは思っています。が、自分達の制度が世界で唯一正しいという偏狭な思い込みのために、他国の人の命を平気で犠牲にするような国&時代に生まれなかったことに心から感謝しています。


(5)比較的、格差が小さい。最近は日本でも格差、貧困問題が云々されますが、世界基準で言えば、やっぱり日本は相当程度、平等な国だと思います。統計的な貧困率やジニ係数はそうでもないようですが、実感としては、“じゃあ、日本より平等な国ってどこよ?”って感じです。

日本って格差がある、拡大してるって、政治でもテレビでも大騒ぎでしょ。でも騒ぐってことは、みんなそれを解消すべきだと思ってるってことだし、解消できると思ってるわけですよね。

一方で、世界では「貧困は当然に存在するものであって無くなったりはしないので、富の再配分で“解決”すればよい」という考えの方が一般的です。日本みたいに「格差自体を解消すべき」と本気で思ってる国は、まだまだ希望に溢れてると言えるでしょう。

実際、中東や南米など石油や鉱物のでる国はもちろん、中国やベトナムなどの発展途上国や共産国の特権階級の“無茶ぶり”はちょっと驚愕するレベルです。平均給与もひとりあたりGDPも日本とは桁が違う低さなのに、彼等が受け取る賄賂は日本と同額ですから・・。


(6)精神的こだわりや縛りが少ない。宗教が強くないのがいいよね。神を信じなくていいからすごく自由。アメリカのキリスト教、中東のイスラム教、韓国の儒教、どれも個人の生活様式にはもちろん、法律や国の政策にまで影響を及ぼします。その点、「楽しいお祭りはとりあえず祝う」日本はほんと気楽でいい。


(7)細かいことにこだわり高品質だし、いろんなものがかわいい。日本で売ってるものって、他国で売ってるものより圧倒的にディテールへのこだわりがあって、ナイスだと思う。おおざっぱじゃないのよね。とことんこだわる。

日本には欧米にあるような圧倒的なすばらしい美術館はないけれど、日常的なグッズのレベルに関しては世界でぶっちぎりのトップだと思います。昔、欧州の友人が日本にきて「日本でバンドエイド買うと、裏のシールがきちんとはがれるから驚いた」と言ってました。そんなこと言われたこっちのほうがびっくりです。

日本向けの商品って“若干やり過ぎ”なくらいにファインチューニングされていますが、ずっと日本にいてこれが当たり前になっちゃうと他に住めなくなります。


(8)いろいろあって退屈しない。社会福祉や教育制度の面で北欧をお手本にしたような議論が多いですが、国としてはあんなとこ全くおもしろくないですよ。

まあハイジみたいな性格(星空の下で眠り、昼間は来る日も来る日も草原を駆け回って山羊や羊と戯れていれば楽しく、固いパンと塩スープがあれば幸せ、みたいな人)ならああいう国もいいのかもしれませんが、煩悩溢れるちきりんには、すかすかで(=人口密度が低すぎ)、文化が“薄い”国はおもしろくないです。加えて北欧は太陽光も少なく、こんなこと言うの申し訳ないけど全体に薄暗い。

退屈という観点では、北欧、スイス、オーストラリア、ニュージーランド、カナダタイプの国には住むどころか、ちきりんは旅行先としても全く興味が持てないです。アジア諸国の汗臭いエキサイティングさ、アラブ社会の混沌、欧米大都市のハイエンドな煌めき、アフリカ大陸の圧倒的な雄大さと並び、東京のポップなぐちゃぐちゃさは、ものすごくおもしろい、と思います。

あと、北海道と沖縄のどっちもを(こんな小さな国なのに)一国の中にもっている、というのも画期的。内陸のほか、日本海側と瀬戸内、太平洋岸も同じ。それぞれに個性があり、自然がとても美しい。そのうえ四季がある。もー圧倒的な多彩さです。

「明るくて温暖ですばらしく快適」な気候の国は、ギリシャとかがありますが、“わびさび”含めた多彩さは日本が一番と思うです。


というわけで書けばいくらでもありますが、こんな理由でちきりんは日本が大好きだし、満足していてとてもハッピーです。もちろん最初に書いたように、これは客観的な比較ではなく単なる個人の主観・趣味嗜好の話なんで、他人様に押しつける気は全くありません。日本を嫌いな日本人がいてもナンも問題ないです。



で、そんなに日本が好きなちきりんが「なんで毎日毎日“文句言い”ブログを書いてるねん?」って?



ん〜、まあ、“愛のムチ”とか?



そんじゃーね。


by ちきりん28号

2009-06-22 次世代のリーダーを育む仕組み

日本は急激な変化を嫌う国と言われます。確実に変わりつつあるとは思いますが、そのスピードは驚くほど遅いです。

一方、変化スピードが速いと言われるアメリカでも、リンカーンの奴隷解放宣言が1862年、初の黒人大統領実現が2009年ですから、その間は147年かかっています。

そのオバマ大統領の誕生を見ていて思ったのは、「次世代リーダーを育てる仕組みの重要さ」です。アメリカにとっても黒人の大統領を生み出すのは簡単なことではありません。でもそれが実現したのは、長期間かけて様々な仕組みを社会に埋め込み、最終的な結果に結実させるための“母体”を我慢強く養ってきたからです。


まず彼らは建前としての人種平等思想を、教育現場や社会の前線で常に高く掲げて徹底してきました。「スローガンだけで何が変わる?」と言う人もいますが、「あるべき姿」を皆が声高に叫び、学校で繰り返し教え、社会の前線で常に確認する。これだけでも世の中の変化スピードは格段に早くなるものです。

たとえば日本の大企業には女性役員がほとんどいないと言われますが、もしも日本が教育の場で「日本企業の取締役には○%しか女性がいない。これはなぜか、どうやったら改善できるか?」を問い続け、会社の毎年節目の会議で、経営者が毎回「我が社の女性管理職比率は○%しかない。各部門で女性の管理職比率を高められるよう今年も頑張って欲しい」と繰り返して言えば、変化のスピードは今とは比べられないくらい早くなるはずです。「あるべき論を口に出して唱え続けること」には、それなりに力があるのです。


さらに、アメリカではアファーマティブアクションを含め様々な政策によってマイノリティの教育レベルや社会的地位を引き上げる努力をしてきました。そうやって、一定レベルの教育を受けた黒人を一定数生み出したのです。

ここで重要なことは、“リーダーとなる可能性を持った人の母集団”を一定規模で形成するということです。黒人大統領はいきなり出現するのではありません。リーダーとはピンポイントで育てるものではなく、「リーダーを生み出す土壌」と「その土壌に一定数の種を蒔いて育てること」から生まれてくるのです。


また話を戻しますと、日本企業には「女性取締役がいない」といって外部から有名女性を「社外取締役」に任命するところがあります。こういう企業の多くは、そもそも女性取締役を育む基礎母集団を作ることに十分な努力をしていません。

男性だって新入社員のうち取締役になるのはごく一部の人です。女性役員を生み出すには、相当数の女性部長が、さらにその手前で相当数の女性課長が必要です。しかし、実際には一定数の女性課長さえ生み出せない企業も多いのが現実です。

だから安直な道を選び、社外から採用した女性取締役に「女性の活用担当役員」などという珍妙な肩書きを与える滑稽な企業がでてきます。しかし、種から花を育てずに、切り花を買ってきて花瓶に飾ればよいのだと思っている家に花は育ちません。必要なことは「花が咲く土壌を整えること」なのです。

★★★

同じ視点で日本の政治リーダーをみてみましょう。小泉元首相を含め、自民党ではここのところずっと世襲総理が続きました。このことは、自民党が世襲以外の総理大臣育成方法を持ち得ていなかった、という本質的な問題を浮き彫りにしています。

日本では「今度の総理もだめだった」と毎年のように国のリーダーの首をすげ替えています。しかしその一方で、「私たちはどんなリーダーを望んでいるのか」という「リーダーのあるべき姿」について共有できているでしょうか?「こういうリーダーを求めているのだ」と声に出して唱えることができているでしょうか?

さらに、求めている「あるべき姿のリーダー」育成にむけて、一定規模の基礎母集団を作るための仕組みを整えようとしているでしょうか?

たとえば、お金も地盤もないところからでも新しいリーダーに出現してほしいと望むなら、ネットによる選挙活動の解禁や、ネットを使ってクレジットカードで小口の寄付ができる仕組みが不可欠です。若者の意見をリーダー選びに反映させたいのであれば、携帯電話やコンビニATMでの投票ができるようにすることも重要でしょう。一票の格差問題も早急な解決が必要なはずです。

そういった仕組みを整えて初めて、私たちは「あるべき姿のリーダー」候補となる人を一定数以上、輩出することができるのです。

私たちは、オバマ大統領が日本に出現しないことを嘆く必要はありません。しかしオバマ大統領を実現させた“土壌”や“仕組み”がこの国には存在しない現実は、私たち自身が深刻に受け止めなければなりません。

なお、この意味で唯一画期的なのは「松下政経塾」や「稲森フェロー」のような、地盤やコネはなくとも政治を志す人にそのチャンスと方法論を教える仕組みですが、こういった仕組みが政党や政治団体からではなく、いずれも日本を代表する経営者の方のイニシアティブで始まっていることは、とても興味深いことに思えます。


そんじゃーね。

2009-06-20 今回の経済対策についてのまとめ

昨日エコポイントの使い道が発表されたとかで、そのリストを見ていて、まあほんとわかっていたとはいえ嘆息モノなわけですが、とりあえず記録として、今回行われたふたつの経済対策(定額給付金&15兆円の緊急予算)について、ちきりんの考えをまとめておくです。


<一般論・前提>

・経済状況からみて、緊急財政支出が必要であることは確かだった。それは正しいと思います。

・「国が予算として使う」より「国民が自由に使う」方が、最適に資金が配分されると思うので、ちきりんは現金配布方式に賛成です。つまり「小さな政府の方がいい」と思っています。


<定額給付金について>

上記の一般論の2点目にかかわらず、このタイミング、この額の場合は、国民全員に配るのは方法論としては最悪だったと思います。

理由1)たかだか1万円ほどを配るのに、コストをかけて徴税したお金を、再度すごいコストをかけて配るのは、事務費の無駄遣い。(事務コストは固定費なので、配布額がもっと大きいのなら問題は少ないのですが。)

理由2)景気刺激策として実効性が低すぎる。あんな時期にあれくらいの額を配っても、消費に回る率はせいぜい2割でしょう。もっと少ないかもしれません。

理由3)社会不安を感じさせるような状況があり、お金を使う場所は明確であったはず。全員に配るのではなく、そこに集中して使うべきだった。


最後の理由3)でいっている「お金を使う場所」は、派遣切りされた人、失業保険をもらえない人等の生活支援です。定額給付金の総額2兆円ほどをすべて、そういう人の住居を確保し、食事を確保し、医療費と子供の学校の費用にあてるべきだったと思います。もちろん海外から来ていた労働者の方についても同様に、です。

そうすることで、

・社会不安を和らげ、リストラされていない人までが将来の不安感から消費を抑えるという状況を少しでも抑えられたはず。

・2兆円の大半が消費に向かい、景気刺激資源としても給付金よりも経済効果が大きかったはず。

と思います。


関連過去エントリ:

よくわかる定額給付金:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20081114

あまりに危機感のない人達:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20081202





<15兆円の経済刺激予算>

一般論のところで書いたように、ちきりんは「役所がお金を配分する」というのは極めて非効率であると思っています。というわけでこれも最悪。こちらこそ「現金を配るべきだった」と思います。

総額で15兆円ならひとりあたり12万円配ることができます。4人家族なら50万円くらいもらえる。配布先に所得制限をかければもっと手厚く配ることができます。貧困世帯、子供の多い消費意欲の高い世帯などに集中して、相当額を配ればよかったと思います。だって、


理由1)この額なら消費に向かう可能性が高い。

理由2)この額なら、徴税してふたたび配る、という事務コストを吸収できる。

理由3)個人に支出先を任せた方が圧倒的に公平であり、また効果的。


特に理由3のところは、痛感します。


今の予算の組み方ってあまりに「特定の産業、特定の会社に有利すぎ」だよね。

・エコポイントなんて、「自動車と家電業界に補助金を出します」に近いし、

・その中でも、ホンダとトヨタとか、特定の企業に有利すぎる。

・家電に関しても、エコポイント制度などに対応できる大メーカーには有利で、そういう事務コストが払えないベンチャー的な企業にはとても不利。

・エコポイントの使えるものだって、またしても「お米券」とかがきっちり入ってて・・・農水省頑張ってるなあ、という感じではあるが、あまりに露骨すぎ。

・「アニメの殿堂」の建設費用をゼネコンに支給するよりは、アニメーターに一人10万、20万円配る方が「残るべき産業、会社」にお金が回ると思う。



さらに進んで言えば、「特定の社会課題を一気に解決する」という目的にそって現金給付をするってことができればもっと良かったと思う。

たとえば「この15兆円はすべて少子化対策に使う」とかです。具体的には来年と再来年に生まれた赤ちゃんに(その親権者に)15兆円全部あげる!ってかんじです。これなら赤ちゃんひとりあたりに600万円くらい配れます。


おそらく「300万円」くらいでインセンティブとしては十分な気がするので、こんな組み合わせにしたらどう?

・2010年、2011年に生まれた赤ちゃんに、生まれた年に150万円、翌年に150万円配布

・不妊治療費は、次の2年間は全額無料

・2010年、2011年に結婚して同居を始めた35歳以下のカップルにお祝い金50万円を支給

とか。15兆円だとまだ余りそう。


もしくは全額、介護問題か医療問題につっこんでもいいです。15兆円あれば「緊急医療体制」と「産婦人科、小児科問題」「感染症対策」も相当改善できるんじゃないかと思うけどな。


ところが、今回の予算では各省庁が持寄ったチマチマしたいろんな支出策がごっちゃに詰め込まれていて、その中には省益丸出し、みたいなものもあり、加えてわけわかんない名目が付けられてる。たとえば「3歳児への補助」とかが「少子化対策費」として入ってるんだけど、このロジックは意味不明でしょ。3歳児なんていきなり作れないんだから少子化対策としてはゼロ効果でしょうが。

これらのお金は泉から湧いてきたお金ではない。いつか若い人が税金として返す必要のあるお金です。なんでもいいから使えばいいのではなく、どどーんとテーマを決めて価値ある分野にだすべきなんだよね。そしてできる限り「直接配布する」方がいい。


なんだけど、こういう「どどんと大きく!」ってのは官僚はとても苦手。彼らは“ちょこちょこ細かく積み上げて、それらしい長〜いリストを作る”のが得意。加えて“官僚の権限強化につながらず、天下り先にもお金が回らない直接配布”という方法が大嫌い、そういう人達なんです。

だからこそ、こういう緊急の時こそ「政治の役目」なはずだった。


それなのに麻生さんは官僚に丸投げした。


結局のところ彼は政治、政策そのものには関心がないのだ。

彼が関心があるのは、総理大臣であることだけ、なのだわ。


というわけで、有権者として天唾な話ではありますが、とりあえず記憶のための記録として。



そんじゃーね。




後半の関連過去エントリ:

“内需特需”を補助金争奪戦に終わらせてはいかんです:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090104

若い方、後はよろしく:http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090428

2009-06-18 素朴な疑問

よく聞く話


「日本の教育にかける公的予算はOECD諸国の中で最低水準である。」


「日本の先端科学の研究予算は、アメリカに比べて何十分の1に過ぎない。」


「日本ではセーフティネットが全く機能していない」


「日本の育児補助は、フランスや北欧に比べて極めて貧弱である。」


「日本は、再配分後の子供の貧困率が上昇している唯一の先進国である。」

(=子供の貧困対策がほぼ無策である。)


「日本の医療費は、他の先進国に比べると低水準にある。もっと予算がかけられるはず。」


「欧米諸国が文化、芸術にかけている費用は日本とは桁が違う。欧米では寄付金の減税分だけでも大きな額にのぼる。」



ん〜



ところで、日本の予算は何に使われてるのん?


2009-06-14 働き方選択の将来的意味について

どこかの大学の就職課が、おもちゃの札束を積んで学生に注意を促しているというニュースを見ました。「フリーター、派遣社員の生涯賃金」である約8000万円の札束と、「正社員の生涯賃金」である3〜4億円の札束を並べて展示したとのこと。

「就職活動が大変だからといって、簡単に諦めないように。正社員にならないと、これだけ損をするんですよ!」ということのようです。


たしかに正社員とそれ以外では生涯賃金の差も大きいのですが、実はお金以外の「大変さ」もかなり違います。

そこそこ安定した企業の正社員になると、「最初に正社員の座を得るための就活」は大変だけれど、その後はどんどん楽になります。

たとえば人は年を取れば病気にもなるし、長い人生の中では介護や育児で休まざるを得ない時もでてきますが、正社員であればそういう時も補償をうけながら休暇をとることができます。

一方、派遣社員やフリーターは休めば即収入がなくなってしまうので、彼らにとって「年齢があがること」は大きなリスクです。


また、就職時には優秀な若者も50代になれば、誰しも時代の流れについていくのに苦労します。そんな中、フリーターや派遣社員はもちろん、医者や弁護士、研究者などのプロフェッショナル系の人や芸術家も「自分で時代についていく必要」があります。

ところが大企業の正社員の場合、自分が時代についていけなくなっても「ついていける新卒の社員」を雇えればいいのです。

自分は彼らに指示さえできなくても、「余計な口出しをしない」ということができれば彼らの力を引き出せます。自分で時代についていく必要があるのは、役員を目指すごく一部の正社員だけです。


というようなコンセプトを図表化すると下記のようになります。

横軸が「年齢」、縦軸が「大変さ」です。年齢は一番左が20歳くらいで右端が65歳くらいと考えてください。

青い線は「安定企業の正社員」を表しています。最初は面接に勝ち抜かないといけないし、若い頃は理不尽とも思える環境でも薄給とサービス残業を耐え忍ぶ必要があり、それなりに大変です。

が、その大変さはどんどん減っていきます。(でも給与はあがるので、“中高年もらいすぎ論”がでてきます。)

f:id:Chikirin:20090614182058j:image


オレンジの線が派遣社員やフリーターで働く人です。就職氷河期で正社員の座を得るのは困難でも、22歳の人がバイトや派遣先を探すのは難しくありません。なのでオレンジの線は青い線より下から始まります。

けれどこのオレンジ線上の大変さは、右肩上がりで上昇します。年齢があがっても時給はあがらないし、年を取れば仕事を見つけるのも難しくなります。病気になりやすい中高年の年齢になれば、病気=失業です。

そして青とオレンジの線は30歳過ぎで交差し、それ以降はどんどん楽になる正社員と、どんどん状況が厳しくなる非正規雇用の人の「大変さの差」は大きく開いていくのです。

★★★

ちなみに一番上の赤い線はプロフェッショナル系の仕事や起業する場合です。

国家資格をとったり、より難しい面接を勝ち抜いたり、もしくは自分で客をつかむ必要があるわけで、最初は正社員になるよりも大変です。

また、ずっと自分で市場価値を保っていく必要があり、大変さは(正社員のように)どんどん減じたりはしません。

でも一方で彼らには、“信用”や“市場で通用する経験”が蓄積されます。するとある時点で、「楽ではないが、立場の維持はできる」ようになります。なので、病気の際の補償などはありませんが、必ずしも大変さは(オレンジの線のように)増え続けるわけでもありません。

そしてこの赤線も、ある時を境にオレンジ線上の道よりも楽になります。別の言葉で言えば、オレンジの線というのは、ある年齢以降は極めて厳しくなる茨の道なのです。

けれど最初に就職する時にはこの選択肢が一番容易いため、これしか選べない人がでてきます。こうして最初の戦いに敗れた人は、年齢を経るごとにより過酷な環境に追いやられていくのです。

★★★

ところで、青い線に乗っていたのに会社が倒産して労働市場に放り出された人は、途中でいきなり「次はオレンジの線ですよ」と宣告されます。(下記グラフ参照) この人は黒い点線に沿って移動し、「大変さ」は一気に数倍になります。

f:id:Chikirin:20090614205928j:image

というわけで「途中で飛んでしまわないしっかりした青い線」を求めて学生は必死に就活をするわけですが、日本市場の縮小に伴い、そういう企業の日本での採用数は減る一方です。

であれば、少ない青い線を奪い合って結局はオレンジ線上に落ち着くのではなく、寧ろ最初から赤い線を狙いに行くのもこれからは有望な選択肢なのではないでしょうか?


そんじゃーね。

2009-06-13 もう一回、郵政選挙じゃない?

鳩山大臣が辞任だって。てっきり“腹切り”でもするのかと思ってたよ。谷中のおじいさまのお墓の前とかで。


まあそんなことはどうでもいいのだが、それより

これってもしかして、またもや“郵政選挙”になるのかも?

麻生自民党が「しぶしぶ郵政改革を進める!」で、民主党、国民新党、鳩山さんの新党が「郵政改革をぶっこわす!」を選挙公約として戦う。


「麻生+安倍+福田」「鳩山+小沢+鳩山」

「首相になれた3人」 対 「なれてない3人」ですね。


「渋々かつ嫌々、改革を進める派」「絶対、改革を後退させる派」

ん〜、微妙な戦いですね。皆さん、どっちに投票します?



麻生さんの選挙演説は

「皆さぁん、私はぁ、必ずこの改革をぉ、渋々、推し進めていく所存でぇ ございます!」

「えぇ〜、本音ではもちろん〜、反対なわけですがぁ、それでも私は必ず 嫌々 この改革を断行してまいります〜」

みたいなね。



そういえば福島瑞穂さんが怒っていたよ。「更迭すべきは西川社長の方なのに」って。

ふうん。言われてみれば、たしかに福島瑞穂さんって鳩山邦夫さんと意見が合いそうだよね。結構お似合いかも?話し方もちょっと似てるし、顔のぷくぷく具合も似てる。あの二人、もっと仲良くすればいいじゃん。いやちきりんが知らないだけで、もう既にかなり仲良しなのかもしれないけど。(もしかして隠れてつきあってるとか?)


それにしても、これだけ反対派が根強い改革ってのもすごいよね。郵政民営化がどれくらい反対派の議員達にとって死活問題だったのか、痛感します。ものすごい利権があるんだろうな。ちきりんも一回ご相伴にあずかってみたいもんだ。ちきりんだって、それなりの利害があれば、意見なんてすぐ変えるよ。郵政民営化の“後退”に賛成!!するかも。


たとえば、3億円くらいもらえるんだったら、ちきりんブログの総力を結集して、「民営化反対!」について説得力のあるロジックで支持エントリを書いてあげますよ!

ええっと「西川社長を更迭すべき」について別エントリで書いて欲しい場合は、追加オプションとして1億円(消費税別)ってことで。

図表とか使って説得力を増してほしい場合は2000万円の追加料。あと、“ちきお”を登場させてわかりやすく書いてほしい場合は3500万円の追加料金が発生します。

あらかじめご了解の上、発注してね。


何?高いって?

大丈夫だよ。鳩山家、大金持ちだから。


へっ?いえいえ、はてなポイントでのお支払はご遠慮いただいてます。



そんじゃーね。

2009-06-12 謝らない権力・謝るべき個人

権力というのは「簡単に謝罪などするものではない」というのはよくわかる。これは特に、その発言が国内だけではなく世界に向けて意味を持つ国家元首などの場合に明らかだ。

オバマ大統領が「米国が“核兵器を使用した唯一の核保有国”として、廃絶に向けて行動する“道義的責任”を負う」という発言をしたことについても、米国内ではその観点から批判もあるようだ。

日本に関しても、中国、韓国等への過去の歴史、過去の行いに対する謝罪については、誰が、いつ、どのような機会で、どんな言葉で、それらの意を表明するのか、というのは、外交上の超重要事項として検討に検討を重ねた上で実行に移されるのだろう。(もしくは、実行しないと決められる。)

これはおそらくどの国も同じだろう。国家トップの発言は「外交上の言質を他国に与えること」になり、将来長く「歴史の証言」に使われる。そうそう簡単に「私が悪うございました。すみません。」とはいえないのだろう。


昭和天皇だって同じだよね。“個人として行動できるなら”「軍部に引っ張られたとはいえ、この国を戦争に巻き込み、多大な被害と不幸を与えて、本当に申し訳なかった。もちろん諸外国にも謝りたい。」くらいのことは言ってもよかったんじゃないの?と思う。

しかし、さすがのちきりんでも“天皇”がそんなこと言うのはありえない、ともわかる。だから昭和天皇は別の形で国民に実質的に謝罪しようとされたと思うし、諸外国にたいしても代を継いで(許される範囲で)その意を表されようとしているように見える。


というわけで「国家元首」に関してはまだ“わからなくもない”「謝罪しないという原則」なのであるが、それを拡大解釈して、多くの行政機関、官僚が全く謝らない、というのはいったいどういうことよ?と思う。これはちょっとひどいよね、と思うことが多い。


一番ひどいのが警察。間違って逮捕するとか、訴えを受けていたのに捜査をせずに放置してその間に被害者が殺された、という事例は頻発してるが、これらの多くについて警察は謝罪していない。「努力を尽くした結果」とか「予想できなかった」とか言い訳ばっかり。もしかして警察って「絶対に謝るな!」と内部できつく教育したりしてるんだろうか?と思うくらいです。

今回17年以上も無実の罪で拘留されていた方がようやく解放された足利事件。栃木県警、国家公安委員長が相次いで“謝罪した”と報道されている。

あたりまえすぎ。

今回の罪の大きさを考えると、「謝罪発表」だけではなく、個人が本人を訪問し土下座して謝っても不思議でないと思うけど?


溜息がでそうになるのは「警察や検察っていうのは、これくらいのレベルのことが起こらないと謝らないのね」ということ。17年も不当拘束して、無実の人の人生をめちゃくちゃにして初めて「謝罪する」っていうのが、警察や検察のレベル感らしい。

でも実際には「誤認逮捕」されただけで職を失ったり、信頼を失って倒産に追い込まれたりすることだってある。権力のほうにしてみれば「すぐに無実だとわかったんだからいいじゃないか」ということなのかもしれないが、起訴されるなんて個人の生活にとっては天地がひっくりかえるほどの大事なのだ。(たとえ後から無罪だと判決がでても)人生は狂っちゃう。裁判で無実が証明されたからよかったよかったという話にはなりえない。

権力側にいる人って、そういう「ミクロな現実」に関する想像力があまりにも欠如しすぎ、だよね。


他の行政機関も同じ。生活保護申請を断れた人が相次いで餓死している北九州市の市職員も頑なに「判断は適切だった」って言う。この判断をした人、自分の子供にその判断を「正しいのだよ」と説明できる?ほんとに??恥ずかしくない??墓前に手くらいあわせにいったらどうかと思うよ。

厚生労働省。薬屋からリベートをもらってる学者の意見に無批判に寄り添って、健康な人に危険な製剤を投与し続けたことに関して、誰か一人でも当時の関係者は「人生をめちゃくちゃにされた被害者の人たち」に自分の言葉で謝ったことがあるんだろうか?

自分達の思考停止な事務仕事のせいで命を失った人の遺族や、10代にして死と向かい合いながら生きていくことを余儀なくされた人達に、一度個人として向き合ってみたらどうだろう?

裁判で判決がでたら終わりなのか。裁判で解決すればいいのだから「わざわざ謝る必要はない」のか。ほんとにそう思ってる?個人として、自分の胸に手を当てて考えてみて、本当に“謝罪しないことが正しい行いだ”と信じてる?


いえいえ、言い訳が山ほどあることは理解できますよ。

・裁判が行われているのだから、それに差し障る“謝罪”はできない。

・「意思決定をしたのは官僚個人ではなく、国としての機関だ」から個人が謝るのはおかしい。

・「最終的には首相の判断=政治判断である」から官僚が謝るのはおかしい。

・正誤は裁判で決せられるのであり、謝罪と補償はその判決に伴って行われればそれでいいのだ、


はいはい、わかります。だから「官僚は謝る必要はない」し「謝らない行動は正しい」のだよね?

はいはい。




個人の世界であっても、「謝る」という行為はとても難しい。子供の喧嘩ではない。大人同士で「謝罪」すれば、補償問題や責任問題にもなるし、その後の関係や立場にも影響する。わからなくはない。それでも「一個人として謝るべき」という場合はあるはず。「謝ること」は、謝る側の勇気と誠実さと器の大きさ、生きていく姿勢を表すことになる。


裁判による罪と罰の確定と経済的な補償、それに今回ようやくなされた「責任者の謝罪発表」に加え、何度もにわたる再検査の要請を無視し続けた官僚側の個人、無茶な自白を誘導した取調官本人たちが、個人として、自分の言葉で被害者に「謝る」ってのは、そんなに難しいことなのかしらん。


ちなみにちきりんが知る限り個人として「ああ、ちゃんと謝ってる」と思えた権力側の人の事例は、昨年の自衛隊のイージス艦が漁船を転覆させた事件。軍艦の舩渡艦長が被害者の遺族に頭をさげて謝ってた。泣きながら自分のミスだとおっしゃってました。「個人として謝ってる」という感じだった。

防衛省の責任者や現場の責任者の処分、起訴と同時に、こういう「責任者個人が遺族の元を訪れて直接謝罪する」というのは、とても大事なことだとちきりんは思う。

なぜならそうやって初めて自分のやったことの帰結をビビッドに理解できると思うからだ。そしてその痛恨の理解が、将来の同様のミスを防ぐ原動力になると思うからだ。

「謝罪の談話」とかだと数ヶ月もすれば忘れちゃうでしょ。被害者本人やその家族の人生を自分がどう狂わせたのか、加害者は(それがたとえ行政機関の歯車として下した判断に過ぎないのだとしても)きちんと自分の目で見るべきだ。自分の心で直接受け止めるべきだ。

その機会こそが、次の不幸を防ぐのだから。



「権力とは謝らないものなのだ」という通念自体が、壊れるといいなあと思います。


そんじゃーね。

2009-06-11 「君の名は?」「ちきりん!」

「君の名は」を観ました。1952年にラジオドラマとして大ブレークしたものですが、今回ちきりんが観たのは1954年頃に作られた映画です。なおその後も何回もドラマ化されたみたいです。


映画版では、佐田啓二さん(中井貴一さんのお父さんね)が男性側の主役“後宮春樹”を演じ、岸恵子さんが主演女優で“氏家真知子”を演じています。


いや〜、名画ですね。はまりました。

・岸恵子さんてほっそりしているイメージがありましたが、若い頃はぽっちゃり顔ですね。かわいいかんじです。

・佐田啓二さんは当時はすごく人気があったみたい。映画の中ではか細い感じの優男です。

・一番いい味を出しているのは、主人公の真知子をいじめまくる夫と姑です。このふたりのキャラと演技がすばらしくて、映画全体がめっきり面白くなってます。やっぱりドラマには“いい悪役”が必要ですね。なお夫役は川喜多雄二さん、姑役が市川春代さんです。

・全体として韓国ドラマ的ですね。美男美女のわかりやすいラブストーリー、純愛悲恋もので、すれ違いと誤解の連続。あとやたらと劇中に音楽が流れて場面を盛り上げます。

・「○○してくれたまえ」とか「僕はこれで失敬するよ」とかいう台詞がよくでてくるんですが、当時ほんとにこんな言い方で会話する人がいたんですかね??このあたりの“舞台っぽいつくり”も引き込まれる理由かもしれない。


まあとにかくおもしろかったです。


でね


なーんとこれ、6時間の映画なんです。というわけで、直近の一日24時間のうち、ちきりんの時間の使い方は下記のとおり。


f:id:Chikirin:20090611161543j:image




何がいいたいかといえば、なので今日は“おちゃらけとはいえ社会派ブログ”を書く時間がなくなりました、ごめんなさいね、ってことです。


そんじゃーね。

2009-06-10 相対比較の不毛

ちきお「ねえねえ、ちきりん、教えてほしいことがあるんだ。」

ちきりん「なあに?」

ちきお「あのね、年金のことなんだけどね、なんだかよくわからない数字ばっかりなんだよね。」

ちきりん「ふうん、たとえば?」

ちきお「たとえばこの読売オンラインの記事なんだけど

厚生労働省は23日開かれた社会保障審議会(厚労相の諮問機関)の年金部会で、5年に1度実施する公的年金の財政検証の結果を提示した。


 現役世代の手取り収入に対する厚生年金の給付水準(所得代替率)は2038年度に50・1%となり現在より約2割低くなるが、それ以降は固定されると試算し、04年の年金改革で政府・与党が公約した「現役世代の5割確保」は辛うじて達成できるとしている。

ちきお「“2038年に所得代替率が50.1%”ってどういうこと?働いてる時に月給50万円だった人は、年金を25万円もらえるってこと?」


ちきりん「そんなわけないじゃん。自分の給与額とはなんの関係もない話なの。日本全体の平均給与の話だからね。」

ちきお「2038年の平均的な給与の50.1%がもらえるってこと?」

ちきりん「そう。」

ちきお「でもさあ、平均ったってすごい稼ぐ人と、ワープアの人もいるのに、2038年の平均給与なんてよくわかんないよねえ。」

ちきりん「そのとおり。今の代替率は60%くらいなんだけど、別に今でも年金で食べていけるわけじゃないでしょ。だから将来のこの数字が50%を超えてるかどうかなんてなんの意味もないよ。」

ちきお「それに将来の現役世代の給与の50.1%って、現役世代の平均給与が減ったら、比率は上がるんだよね?」

ちきりん「いいところに気がついたね。30年後なんて“現役世代の平均給与”ではそもそも当の現役世代がその額で食べていけてるのか不安なのに、年金がその何%かなんていう数字にどういう意味があるのか意味不明。」

ちきお「ふーん。じゃあなんで厚生労働省もマスコミもこの数字ばっかりとりあげるの?」

ちきりん「厚生労働省は、前に自分が約束した数字だからね。官僚って数字遊びが大好きなんだよ。計算が大好きな人がなる職業だからね。

一方でマスコミは官僚いじめが大好きでしょ。厚生労働省が言ったことを守ってるかどうかだけが興味のある点なんだよね。」

ちきお「あの人達は実質的に意味がある数字かどうかは関心がないのかな?」

ちきりん「ないんでしょ」


ちきお(憮然として)「なるほど。ねえねえ、じゃあこれは?時事ドットコムの記事なんだけど。」

厚生労働省は26日、公的年金の世代間格差に関する試算をまとめた。

厚生年金で、来年70歳となるモデル世帯(40年加入、妻が専業主婦)の場合、支払った保険料の6.5倍の年金を受け取れるが、来年30歳となる1980年代以降生まれは2.3倍にとどまり、後の世代になるほど負担割合が高くなる実態が浮き彫りとなった。

ちきお「これって、1980年代以降生まれだとすごく損だってこと?」

ちきりん「うーん、そうねえ。必ずしもそうも言えないよね。だって、来年70歳になる人ってすごく貧しい日本で生きてきたわけで、そりゃあ払ってきた額は少ないよね。そっちが少ないから貰う額との倍率が6.5倍とか大きくなるわけ。

一方で1980年代以降生まれの人は、生まれた時が一番豊かな時代。払う額が大きくなりがちなのは当然じゃないかな。それでも貰う額がその2.3倍もあるなら十分割に合う制度と言えるんじゃない?

それにそもそも来年70歳の人って、戦争前に生まれてるんだよ。いくら物価調整後の数字とはいえ、1980年以降に生まれた人と損得を比べるって公正な比較だと思う?なんか意味がある?」


ちきお「確かに言われてみればそうかも。でもこういう記事は多いよねえ。なんで皆“若い世代は負担が重い”って書くの?」

ちきりん「世代対立を煽りたいからでしょ」

ちきお「えっ、それが目的なの?」

ちきりん「そりゃーそうだよ。厚生労働省ってのは別名“世代対立煽り担当省庁”っていうじゃん。知らないの?」

ちきお「えっ??そっそんなの知らなかったよ。ってか、ホントなのそれ??ちきりんも結構いい加減なこと言うからなあ。。。厚生労働省はなんのために世代対立を煽りたいの?」

ちきりん「“高齢者は貰いすぎだ!”という世論の声が大きくなったら、年金の支払い額を抑制することができるでしょ?“支払いカット”の方向に世論誘導したいんだよね。」

ちきお「なるほどお」


ちきりん「よく考えてごらん。あの人達はグリーンピアとかに大事な年金を注ぎ込んだり、ド素人な運用でお金を無駄にしたりして、すごい額の年金を無駄にしてるわけ。ひどいのになると、窓口で支払われた年金を自分の財布にいれて横領してる人もたくさんいるんだよ。

でも、「年金が破綻してるのはグリンピアのせいじゃないですよ。自分達の不手際のせいでもネコババのせいでもないですよ。年金がもたないのは高齢者が貰いすぎだからですよ」ってことにすれば、世間の批判をかわせるじゃん。」

ちきお「はあ、そおかぁ」


ちきりん「彼らが発表する試算ってほとんどが“相対比較”だって気がついてた?」

ちきお「相対比較? そういえば最初のは“現役の給与額 対 年金額”、次のが“70歳の人対30歳の人”か。確かに比較だね。」

ちきりん「他にも比較があるんだよ。」

ちきお「ええっと、そういえば専業主婦の場合と働いてる女性を比べて、どっちが得とかいう議論もよくでるよね。」

ちきりん「そうそう、あれも不毛な議論だよね。」

ちきお「あれも内部で不満を分散させるためなの?」

ちきりん「そのとおり。だって専業主婦が得だといっても、夫が死んだ後に年金だけで食べていける専業主婦なんていないよ。彼女らが少々得してるったって、だからといって“ものすごいうらやましい!”額の年金を貰ってるわけでもないのよ。でも、なんで専業主婦がすごく得みたいにいうかというと・・」

ちきお「払ってない専業主婦のせいで年金制度が破綻するというふうに思わせれば、“専業主婦からも年金を徴収するべきだ!”っていう意見が世間から大きく出てくる。それを待ってるわけだ?」

ちきりん「そのとおり」

ちきお「つまり、世代や立場の違うグループの人を比較して、誰が得してる、損してるって話にもっていけば、得してる人を引きずりおろしてコストカットができる。もしくは得してると言われてるグループから徴収できる額がもっと増やせるってことだね?」


ちきりん「そのとーり。そもそも年金の話って、“誰かとの比較”がそんなに大事?昔の人が6倍だったけど今の人は8倍ですって言われたら、それで将来が安心? 専業主婦と働く奥さんの負担比率は同じです、って言われたら“ああ安心!”って思う?」

ちきお「思わないよね・・。」

ちきりん「でしょ? 年金に関して本当にみんなが知りたいのはなんだと思う?何がわかれば安心できる?」

ちきお「ええっと、将来の生活必要額がいくらで、年金では何万円もらえるの、ってことだよね。つまり年金で生活できるのか、できないのか。」

ちきりん「その答えは?」


ちきお「えっ?そんなの試算しないとわかんないよ。」

ちきりん「わかるってば、そんなの試算しなくても。答えはこうだよ。

(1)年金だけで食べていくのは不可能です。

(2)年金はお小遣い程度と考えて、生活費は全部貯めておく必要があります。」


ちきお「そうか、年金で食べていけるなんてことはありえないんだ!?」

ちきりん「そう、ありえないよ。すべての人は、引退後から死ぬまでの生活費を働いている間に貯金しておく必要があるの。60歳から80歳までの20年分、年に300万円でも6千万円。しかも住む場所は確保できてます、っていう前提で。」

ちきお「そっ、そんなの無理な人もいるよね?ちきりんはできても、僕は無理だ・・」

ちきりん「でしょ?てか、数で言えば半分以上の人がこんな額の貯金をするのは無理だよ。」

ちきお「どっ、どーすればいいの!!?」

ちきりん「知らない」

ちきお「え〜、そんな無責任な・・」


ちきりん「ちきりんはそんなことに責任もてないよ。まあでも、まずは比較論の議論をやめることだよね。他の世代や違う立場の人がずるいのナンのっていう議論は本当に不毛だから。現役の何割とかいう数字もナンセンス」

ちきお「そうか、それはわかったよ。ねえねえ、それにしてもそんなに沢山の人が老後の生活費が貯められないとなると、いったいどうなっちゃうの?」

ちきりん「知らないよ。ちきおもちょっとは自分で勉強したら?なんでもあたしに聞けばいいと思ってるでしょ?」

ちきお「うぅ・・」


ちきりん「そんじゃーね!」

ちきお「ちっ、ちきりん、待って!勉強の仕方だけでも教えてよ!!」

ちきりん「ばいば〜い!」

ちきお「ちきりーん!!」



2009-06-09 火を噴くJALの台湾便

JALの事故のニュース読まれました?ご存じない方は下記を。読売オンラインのニュースからの抜粋です。


台湾・台北空港に向かっていた、関西空港発の日本航空653便(ボーイング767―300型機、乗員乗客43人)で6日夜、座席から出火する騒ぎがあり、緊急着陸していたことがわかった。


(中略)


 同便は237人乗りだが、当時の乗客は33人。


(中略)


 【台北=源一秀】台湾の行政院飛航安全委員会は7日、本紙の取材に対し、「出火は人為的なものとみられるが、テロの可能性はない」とし、放火の可能性も含めて調査していることを明らかにした。


座席のちかくにライターが落ちていたそうで、誰かが悪質ないたずらで火をつけた可能性もある、というのが台湾の航空安全委員会の見方のよう。でもその犯人もその飛行機に乗っているわけで、普通そんな命知らずなことするかしら。火災から爆発につながったりしたら自分も逃げられないじゃん。電気系統に水がかかって漏電、発火とか、ライターが何かに押されてついたとか、ってのもあるんじゃないかなあ。

なお、日本のマスコミが非難しているのは、JALがこの件を迅速に公表しなかった、ということ。まあ確かに「おいおいJAL」な事件なのではあるが、それよりなにより、


関空から台湾に237人乗りの飛行機を飛ばして、乗客数が33人だって。下手すると燃料代もカバーできない人数ですね。てか、10人のクルーの時間給にも足りないかも、だ。こんな飛ばせば大赤字がでるフライトで座席から火噴いてりゃJALも大変だわ。

まあとりあえず、関空廃止か台湾便廃止かのどっちか決めたほうがいいかもね。


火を噴くJALの台湾便・・・いろんな意味で・・・


んでは






06/18追記)6月15日、日本航空は7月以降、成田-北京線などアジアの8路線を減便することを発表しました。ただし減便するのは1日に複数便が飛んでいる路線のみ、とのことで、上記路線はまだ無くせないようです。

06/19追記)6月19日 日本航空への緊急公的融資に政府保証がつけられることが決まりました。財務的にも火を噴いている?

2009-06-07 アメリカの3つの業界のこれから

今回の経済危機で、アメリカでは3つの象徴的な産業がハジけちゃいました。なんだけど、それら3つの産業の“はじけ方”がそれぞれ違っていて、特徴的でおもしろいので、今日はそれをまとめておくです。


まず3つの産業とは、以下の通り。

(1)ウォールストリート(投資銀行業界)

(2)ミシガン湖周辺(自動車産業)

(3)シリコンバレー(IT業界、インキュベーター業界)

東・中・西、と一個ずつですね。


まず(1)ですが、派手に吹っ飛んだ割に虎視眈々と復帰を狙っていて、いかにもウォールストリートって感じです。GSもJPMもみんな“一刻も早く公的資金を返して経営の自由化を取り戻したい”と思っているし、“一刻も早く厳しい銀行管理法から抜けだして、もっと儲かる商売がやりたい”と思っている。しかもその気持ちを隠そうともしない。

彼らが取り戻したい“経営の自由“とは“利益を(貧乏な納税者に遠慮せずに)山分けする自由”だし、“もっと儲かる商売”とは、“なんの規制も受けないバカ高い掛け点数で、世界中のカモな人達ともう一度マージャン卓を囲みたい”ということです。

この業界のせいで世界はこんなことになっちゃったわけだし、(GMが受けたような)なんの正規プロセスも踏まずに自動的に税金で救済されたくせして、そんなのモノともしていない。この厚顔無恥さがまさにウォールストリート的なるもの、なのであって、それが今でもちゃんと健在なのだ、というのがとてもおもしろい。

たとえて言えば、“ジャイアンが調子に乗ってたら大人の不良に殴られて大けがをした”のだが、だからといって別にジャイアンは心を入れ替えて「これからはもういい子になる。のび太もいじめない。みんなで仲良く中学生活を送ろう!」などと思っているわけではない、ってことだ。

「この前はちょっと油断をしたけど、もうそんなこと忘れたぜ」と。またもや弱いモノいじめをしながらブイブイいわせる気が満々なジャイアン。ウォールストリートは、たとえて言えばそんな感じだ。



次に中西部の自動車産業。ここに関しては「終わってますね・・」ってことは以前から多くの人が気がついていた。どう考えてもGMなんて「次の時代に生き残れない会社」って感じだった。

それが今回の金融危機で「顕在化」させられ「強制的に退場させられた」わけだ。この産業にいた人の稼ぎは、危機の前だってたいした額じゃない。彼らはウォールストリートやシリコンバレーの人達に比べると、圧倒的に地道に暮らしてきたのだ。いわゆる“古き良きアメリカ”の労働者達だ。

それが「きっかけとしての経済危機」によって、完全な退場を迫られている。「GMの再建」などという言葉はちゃんちゃらおかしくて、今回のオバマ氏とそのチームがやろうとしていることは本質的には「GMの解体」だ。ただ、一定の時間をかけてゆっくり潰していくことに決めました、というだけだ。(いわゆるソフトランディングってやつだ。)

中西部の人達を除けば、アメリカ全体でみて、この自動車産業のための延命策に誰も彼もが賛成しているわけではない。余計な税金を注ぎ込んで「あんなカネは絶対に帰ってこない。ああもったいない」と思っている人が多数派だろう。

つまり、この業界の死亡に関しては、「130歳まで生きて、最後の20年くらいは頭もはっきりしなくて自分でも動けなくて、でも今回、大往生でなくなられましたね。いやあ若い時は本当にすばらし若者だったんですよ。アメリカの夢でした。」というような人を見送る感じ、に見える。

心から「死んじゃって悔しい!ひどい!ありえない!」と遺体にすがりつき泣き叫んでいる人は誰もいない。「ああ、来るべき時が来ましたね。残念でしたね。みんなで一緒にお弔いしましょう」って感じです。



三番目のシリコンバレーなんですが、ここのやられ方も特徴的でおもしろいです。まず第一に、彼らは「自分たちがやられてる」ってことに気がつくのに時間がかかってるよね。さすがにもうわかってると思うけど、他の産業より圧倒的に“今回のショック事象に関する敏感さ”が低い(低かった)と思います。

最大の理由は、もともとあんまりかっちりした雇用市場のある産業、エリアではないってこと。誰も彼も起業して、そのうち半分くらいは自分だけ(もしくは家族&友人とのみで)起業して、個人で仕事をする。

こういう人にとって「レイオフ」っていう概念自体が存在しないし、大きな借金でもないと「倒産」もし得ない。

売り上げが全然あがらない、コストを払うとギチギチ、というのが続けば「自分で、このビジネスを辞めようと決める」ということはあり得るわけだけど、そんなのはそもそも経済危機の時ではなくてもよくある話だ。

しょっちゅう新しいビジネスをやってみて、「あら、だめだったわ」ってことで次のことをやって、「それもだめだったわ、お金もなくなってきたからちょっとの間、どこかで雇ってもらおうかしら」みたいな。前からそういう「ふわふわ」な感じでやってきた人がたくさんいるので、大量に一気にレイオフや倒産で失業者のでる(1)や(2)と比べて、「何が起きているのかを感じるスピード」が極めてゆっくりだった、と思う。


あと、シリコンバレーの成長の「二つの車輪」は「技術&ファイナンス」だったわけですが、この両輪のひとつが潰れると、二つの車輪で動いている自転車にどういう影響があるのか、わかりにくかったんだろうな、と思います。

(1)や(2)はエンジンが火を噴いてぶっ飛んだから皆すぐに「これはやべえ」と気がついたけど、(3)のシリコンバレーでは「ふたつの車輪のうち、ひとつ(ファイナンスの車輪)はパンクしたけど、もう片方の車輪(技術の車輪)は壊れてないし。」という楽観論がありえてしまったんだと思うよね。

が、実際には走っている自転車のタイヤがひとつパンクをすれば、「後輪だけでもある程度は走れる!」とはならないわけで、投資側の資金が急速に縮小し、IPOや株式交換での買収という方法論がフリーズされてしまうということは、たとえ有望な技術とユニークなビジネスモデルをもつ企業にとっても「走行可能性」を左右する致命的なできごとだ。でも「車輪がひとつ残ってるから」、なんとなく楽観的でいられた、みたいな感じ。



というわけで、

「既に虎視眈々と復帰を狙ってるウォールストリートのマッチョ達」、

「これから解体に向かって粛々と歩を進めていく中西部オート組合の皆さん」、

そして

「ようやく世の中で起こっていることの意味を理解しはじめたシリコンバレーの住民達」

これからどうなるのか、なかなかおもしろい「連続ドラマ3部作」みたいな感じです。


そんじゃーね。

2009-06-06 組織で働く人は謙虚でありたい

いくつか同じような事例を目にしたのでそれについて。

いずれも最近話題になった記事なのです(=ちきりんが下記で取り上げる視点とは全く異なり、その本筋の話で話題になった記事、という意味です)が、


ひとつは元毎日新聞の記者で今はフリージャーナリストである佐々木俊尚さんが「大手週刊誌の電話取材を受けて、心が汚れたような気持ちになった。」と書かれていた件。*1

なぜそこまで人を誘導尋問で引っかけて、私が考えてもいないことをコメントとして掲載しようと思うのかが、もうわからない。取材者と取材対象の信頼関係なんかどうでも良くて、自分が作ったシナリオ通りに相手をしゃべらせればそれでオッケーという神経が、どうにも理解できない。

と、自分に取材をしてきた“大手週刊誌の記者”の姿勢を痛烈に批判されてます。


もうひとつは、シリコンバレーのコンサルタントである梅田望夫さんが、つい最近のインタビューの中でされた下記の発言。*2

直接的に利用者に対して「君たちがこういう使い方をしているのは良くない」と主観でものを言うのは、はてなの取締役を辞めるまでしないということを、あの事件の時に思ったんですよ。


そしたらさ、新聞記者が、「辞めてくださいよ。辞めて、その発言を日本のためにしてください」と言ったんだよ。僕は「ふざけるな」と。「どうしてそんな失礼なことを君は言うの?」と僕は言ったわけですけどね。

と、こちらも、あまりにお子ちゃまな新聞記者の無責任&脳天気な言葉に怒ってらっしゃいます。


そういえば、堀江さん(ホリエモンさん)も、以前の自身のブログで、「日経BP幹部の了見が激しく狭い件について」*3というタイトルのエントリを書かれてました。

取材依頼があり、日経ビジネスの記者から取材を受けた。掲載時期はいつですか?と聞くと、いやいつかわからないという。はあ?ってな感じだ。だったら先にそれを言えっての。


もうひとつは日経ビジネスアソシエの取材である。わざわざ本社まで出向いて、取材を1時間以上受けたにもかかわらず、ボツ。特集の企画が変わったとか言っていたが、真相はわからない。


そういや、Infinity Ventures Summitとかいう、ベンチャーの集まりみたいなのも、ぜひ来てくれ、とか言っておきながら、スポンサーの都合とかなんとか言って、やっぱり、来てくれるな!と言ってきた。失礼なやつらだ。やる気になっているところで、こういう断られ方すると落ちるから。そういうケツの穴の小さいやつがスポンサーにいるなら、最初から頼むなって思うよ。自分がされたら、嫌だと思うよ。



ふむ、と思いました。全部同じだな、と思って。


(1)まず、怒っている方の人達が皆同じ。それぞれに「自分の力で食べている人」なんです。組織の看板で食べているのではなくてね。3人のうちの二人は元は大企業でも働いているけど、今は個人名で食べている。“会社の力”ではなく自分の力で、今の立場や発言力を確保した人達です。


(2)さらに3人とも「マスコミの取材対象として」極めて価値の高い人達です。ネット上ではもちろん多くの人達が彼らの発言に注目しているし、自著を含め紙媒体市場でも売れっ子です。つまり、記者との力関係において少なくとも「取材をしてもらえるなんて、それだけで涙が出るほど嬉しい」という立場ではない。(持ちつ持たれつの側面はあるにせよ)寧ろどのマスコミに露出するかをある程度選択的にコントロールできる立場だと思います。


(3)一方で、批判されている人達は「大手週刊誌の記者」「新聞記者」「日経BP社の記者&幹部」という“匿名の人達”であって、おそらく誰一人「会社の看板」なしには食べていけない人達でしょう。彼らがこのような“大御所”に取材ができるのは、個人として認められたからではなく、それぞれの会社とその会社がもつ媒体に価値があるからです。


つまり・・・取材側と取材される側の力量には、天と地ほどの格差がある、ってことです。


なのに上記で紹介したような失礼なことが起こる根本的な理由は、その「会社の看板で仕事してます」って人がそのことを理解せず、まるでその力が自分の力であるかのように誤解し、圧倒的に力の違う取材対象の人にたいして、当然に持つべき尊敬の念、といったものを忘れ去り、“対等に意見するのが当然”みたいに勘違いしているからなんだろうと思うのです。


この事例のような「非常に立場の強い人」にたいしてさえ「対等」だと思う記者達は、もっと立場の弱い人達、つまり、大手マスコミに取材してもらえたら涙が出るほどありがたい!と思うような、立ち上げたばっかりの会社を率いている起業家とか、名もない、何かの市民運動を地道にやっているような人達に取材をする時には、いったいどんな姿勢でのぞんでいるのでしょう。

今までだって、大手マスコミの取材手法や記者のおこちゃまぶりに頭に来ていた取材される側の人、というのはたくさんいたでしょう。「もう絶対マスコミの取材は受けない!」と怒っている人達はあちこちにいるんじゃないかな。でも彼らの多くはそれを表明する術を持っていません。てか、自分のブログに書いたって誰にも伝わらないし。

でも今回は違う。上記であげた3名には彼等の自由にできるメディア(ブログなど)があり、しかも、下手すると大手マスコミの潰れそうな雑誌よりは読者の数や質も上回っています。大手マスコミやその威を借りた子供っぽい記者様に、内心憮然としながらも飲み込んで我慢してあげる必要は全くない。


こういうのを見ていて思うこと。それは「個人として力を持つ」ということへの尊敬をもうちょっと持つべきだよね、ということ。時々この国には「個人として力をもつこと」よりも「力のある大手企業から(新卒の就職活動の時に)内定をもらうこと」の方が誇れることだ、大きな達成だ、とでも思っている人が多くいるんじゃないか、と思えてしまいます。だから「大手マスコミの記者です」「大手企業の社員です」というだけで、そんなに偉そうなのかな、と。


上記の3例において、それぞれの人は「頭にきた」といいつつも、相手方の記者個人名については触れていません。それは配慮というよりは、“そんなつまらんものを書いても仕方ないでしょ”ってことなんじゃないかと。大事なのは「あの会社の記者が」失礼であった、という事実であって、結局は個人名にも触れてもらえないような人達、ってことなのかもしれない。


まあとにかく、「個人で力を持つ」ということの大変さをもうちょっと理解した方がいいかもね、と思う。それは「大企業に内定しました」などということとはレベルの違うことなのだから。ちきりんは、すべての人に会社を辞めろとか起業しろとか煽る気は全然ない。しかし、組織にいる人ほど謙虚にならなくてはならない、とは思います。

自分が今やっていることは、会社の名刺がなくてもできることなのか、やらせてもらえることなのか。自分の“実力”とやらの源泉はどこにあるのか、と。

自戒を込めて。



そんじゃーね。

2009-06-05 “メディア対権力”というおかしな虚構

天安門事件から 20年。事件勃発は 1989年の 6月 4日。

その日に生まれた人は昨日 20歳になりました。一日遅れのエントリを書いておきます。


中国政府は、20年目の昨日、BBCやCNNが中国で放映する事件関係のニュースを、画面を黒塗りする(真っ黒の何も映っていない画面に切り替える)という方法でシャットアウトしたとのこと。

俄には信じがたいような原始的なメディアコントロールです。


この事件は、中国にとって文化大革命と並ぶ近代史の二大タブー=“存在しなかったかのように扱うべき事件”です。

1989年は特別な年でした。

ゴルバチョフ氏の英断がベルリンの壁の崩壊に結実し、世界中の共産国ではどこも、いつ何が起こっても不思議ではない緊迫した一年だったのです。

天安門広場に集まり、民主化を求めた中国の若者達は、自分たちに突っ込んできた戦車に目を疑ったことでしょう。

ちなみに日本では、この年に“昭和”が終わっています。


今ちきりんが見ている韓国ドラマは、光州事件( 1980年 5月 18日〜。天安門事件と同様、民主化を求める民衆に対して軍が武力行使をし、多数の民間人の死傷者がでた韓国での民主化運動)を扱っているドラマです。

こちらの事件でも、軍の指揮をとっていた全斗煥氏は「メディアコントロール」を非常に重視しており、ソウルから離れた光州で起こっていることを、全国紙にもテレビにも一切報道させませんでした。

それどころか新聞やテレビを通して、「光州で騒いでいるのは北(共産勢力)のアカどもだ」という報道をさせ、

国民に「したがって武力鎮圧されても仕方のない奴らなのだ」という印象を植え付けようとしたのです。

光州の市民達は怒り、自分たち国民に銃を向ける軍人と闘うと同時に、全く真実を報道しないメディア企業の建物にも放火するなどし抵抗します。

これは、軍部だけではなくメディア自体も「権力側」にいるものなのだということを(もしくは、メディアというのは非常に容易く権力に寝返るものなのだということを)よくよく示していると思います。


こういったメディアコントロールは、政府が絡む大事件においてはどの国でも常に行われます。

天安門事件では、当時最後まで報道を続けていたCNNの事務所に、中国の警察が押し入って報道を停止させたとのこと。

しかしそのCNNも含めたアメリカのテレビ局もまた、911の後、ブッシュ元大統領がイラクと戦争を始めたとき、

米軍の誤爆によりいくつものイラクの小さな民間集落が吹き飛ばされ、子供らを含む多数の民間人が殺されていることについては一切の報道をしませんでした。


また、戦争途中から米軍兵の死者数が急速に増え始めても、国内の反対運動の盛り上がりを阻止するため、「米軍側の死者数」についてかたくなに報道することを(自主)規制していました。

戦争で自分の息子を失った母親がワシントンDCで抗議のデモや座り込みを始めても、米国メディアはそれを、「愛国心の足りない、身勝手な貧乏人の母親」として映し出します。

彼らがこの母親を、「イラク戦争の意義に問題提起をする、国に息子を奪われた母親」として報道し始めたのは、戦争開始から数年後、イラク戦争が大きな間違いであったと多くのアメリカ人が気がつき始めてからのことでした。


ずっと以前、アメリカでではベトナム戦争の時に、刻々と自国メディアが伝える戦地の様子を目の当たりにした国民の間から“ベトナム反戦”の動きが起こりました。

この報道により、アメリカ政府がそれまで喧伝してきた「世界の共産主義勢力からベトナム人民を救うための大義の戦争なのだ」という嘘がバレてしまいます。

その教訓から学んだ米国は、その後に戦争をする際には、必ず徹底したメディアコントロールを行いました。

CIAがあちこちの発展途上国に送り込んだ傀儡政権の正当性をひたすら支え続けるのも、アメリカのメディアの重要な責務です。

ちきりんが知る限り最も洗練された形でそれが行われたのは、父親の方の元ブッシュ大統領が起こした 1991年の湾岸戦争です。

アメリカはマスコミを含む民間人の現地への渡航自体を「安全のため」という理由で規制し、代わりに多くの御用記者を「イラク戦争の現地ツアー」に連れて行きました。

こうして現地の米軍基地内に保護された記者達は、軍部や政権が見せたいモノだけを伝える、というお手盛りの“報道”を余儀なくされたのです。


それは、最先端のレーダーシステムに誘導されたミサイルが、ピンポイントで狙った軍事施設だけを攻撃している(かのように見える)映像でした。

そして米国メディアが垂れ流す、さながらシューティングゲームの画面のようなその映像を、世界中のメディアが後追いで流します。

それはリアルな戦争というより、まるで「武器ビジネス用の実践CM」のような映像でした。

現実感がなく血の臭いが全くしない「SF映画のような戦争の映像」が、米軍広報やそこに集う記者達の手によって、世界各国に配信されました。


もちろん日本だって例外だなんてことはありえません。

敗戦の直前まで、大本営発表に沿って「大日本帝国海軍の大進撃!」を伝えていた日本のメディアも、戦後は一転して民主化を支持する報道に鞍替えし、

「権力の動向に極めて敏感にその思想を反転させる変わり身の早さ」において、すばらしい才能と節操の無さを発揮しています。


てか、そんなに古いところに戻る必要さえないですよね。

つい最近も、日本のメディアは海外の会議で酩酊した大臣に関して全く報道せず、

外国メディアによってこの不名誉で衝撃的な映像が世界に配信された後も「海外メディアが酩酊大臣の様子を世界に配信しました」などという意味不明な伝聞報道に終始していたのです。*1


こう考えていくと、どの国においてもいつの時代においても、メディアとはかくも権力に弱く、かくも役に立たないものなのだ、と痛感させられます。

メディアの側にある人達はしばしば「メディアの基本は反権力である」などと格好のよいことをいうけれど、

歴史や世界の様々な出来事を振り返るに、いったい今までメディアが「反権力」を貫いたという例はいくつあるんでしょう?


あるとすればそれらの事例はほぼすべてが「個人ジャーナリスト」が反権力であったという事例なのではないでしょうか。

天安門の戦車の前に立ちふさがった勇気ある中国市民にしろ、

フリーで戦地に赴くカメラマンやジャーナリストにしろ、

彼らは“個人”として闘っていたのであり、「メディアという報道機関」そのものが反権力として、最後まで自らの存立を賭けて権力に対抗したことなど、いったいどこに例があるのか。


世界の大勢においてメディアの歴史とは、クチでは勇ましいことをいいながら、いざとなればごく容易く権力に利用され、服従してきたその経緯、そのものです。

こうして、無防備な生身の体一つで権力への抵抗を止めなかった一般の人々に、欺瞞に溢れた惨めな姿をさらしてきたのがメディアの正史とでもいうべきものでしょう。

グーグルだって中国当局の求めに応じて大幅な検索エンジンの調整に協力しています。

“メディア=反権力”である、という言葉は、壮大な“歴史の冗談”のような言葉です。

反権力であったのは、メディアなどではありません。闘ってきたのは、常に「個人」だったのです。



天安門事件20年を迎えて



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そんじゃーね。


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*1:関連エントリ:メディアの見識 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20090218

2009-06-03 すれ違う前提 (医療編)

ずっと前に、ある高名な医師の方が退任記念講義をされた時の話を雑誌で読みました。

その方は集まった教え子達(大半はベテランの医師、研究者)に向かって、「これまでの自分の誤診率は約14%だった」と話されたのです。*1

会場からはどよめきが起こりました。その後、この話は外部にも伝わり一般の人達もまた、衝撃を受けました。


けれど最初の会場でのどよめきと、一般の人の衝撃は異なるものでした。

会場にいた医師達はその誤診率の“低さ”に驚いていたのに対し、一般の人達はその分野で一流といわれた高名な医師の誤診率の“高さ”に驚いたのです。

この話からは、両者が持っている前提が大きく異なっていることがわかります。今日は、医療分野の専門家と一般人のもつ前提の違いについて書いてみます。


★★★


体が不調で病院に行き、様々な検査をしたのに原因がわからなかった時、「高い金を払って検査したのに無駄金を使った。藪医者だ」的な不満をもつ人がいます。

一般の人は往々にして「人間の体の仕組みは科学的に解明されている」もしくは「最先端医療技術をもってすれば病気の原因は必ずわかる」という前提を持っているのでしょう。

けれど残念ながら、実際にはまだ人間の体の仕組みなど解明にはほど遠い状態です。

医療行為の多くは対症療法(原因を治しているのではなく、症状を緩和させることが目的)だし、胃にガンができた時に外科手術で胃を摘出するのは、「胃がんが治った」のではく「治せないから切り取った」だけです。

多くの病気が未だ治せないのは医師のせいではなく、私たちの医学レベルの話なのです。


「わかってないことも多い」ということを前提とすれば、「検査をしたのに原因がわからなかった」としても、一概に無駄な検査とは言えません。

なぜなら検査によって、もともとの「○○という病気ではないか?、という仮説」は否定できたのです。

わからないことに関しては仮説検証を繰り返す、別の言葉で言えば「トライアンドエラーで正解を探していく」のがひとつの方法論です。

そういうプロセスにおいては仮説の証明だけではなく、仮説の否定も検査の重要な成果と言えます。

けれど中には「医者が仮説を検証するためにトライアンドエラーでいろんな検査をしていく」という概念自体、受け入れがたいと思う人もいるでしょう。

「オレの体はおもちゃじゃねーぞ」と思うのかもしれません。

けれど今のところは、一番ありそうな仮説(発生頻度の高い疾病ではないか?、症状から判断して最もありそうな疾病ではないか?)から順に疑って調べていくしか方法がないのであれば、

患者側にできることは「医者ができる限り早く正しい仮説にたどり着けるよう、症状や状況を詳細に、間違いなく、ビビッドに伝え、トライアンドエラーに貢献する」のが自分のためになると言えるのです。


★★★


もうひとつ前提に違いがあると思われるのは、「生きているすべてのものは死ぬ可能性があるし、しかもそれは避けられない時がある」ということでしょう。

たとえば「出産は母子ともに健康であたりまえ」というのが、産む側の前提のように思えます。

しかし医療従事者側からすれば必ずしもそうではないでしょう。

特に初産が 20代前半であった昔と、30代後半での初産が珍しくない現代では、出産のリスクは大きく異なるはずです。

また手術といえば「簡単な手術」「難しい手術」などという区分をしがちですが、実際には、麻酔や“切る”という行為自体(出血自体)が、死亡原因になりうるリスクを含んでいます。

どんなに簡単と言われる手術でも“絶対安心”などということはありえないというのが医師側の前提だと思います。

患者側からすれば「簡単な手術だと言われていたのに、こんなことになるなんて医者のミス以外にあり得ない」となりがちですが、「リスクのない手術などない」のが現実です。

だからこそどんな手術でも、本人か家族がそのリスクを理解したという同意書が必要なのです。


また、「副作用のない治療方法など存在しない」ということも前提として理解すべきかもしれません。

放射線は細胞をぶちこわすし、体にメスを入れれば体全体の抵抗力や免疫力は大きく毀損されます。すべてのケミカル(化学的な薬品)は体の中に“不自然な作用”を残していくのです。

しかし一般人でそんな前提をおいている人はほとんどいません。だから薬を飲んでみて、本来の病気とは違う全然別の症状が現れるとびっくりします。

で、医者にそれを言うと「ああ、その薬はそーなるんです」と軽くいなされてしまい・・・この時点で初めて“お互いの前提の違い”に気づいたりします。


★★★


もうひとつ「医者の目的と患者側の目的は必ずしも同じではない」ということも理解しておくべきことでしょう。

多くの場合、医師は「病気を治そう」とするけれど、患者側にとっては、必ずしもそれが第一優先順位にあるとは限りません。

反対に、医師が治療の効果はないと考えていても、患者側が“たとえ無駄であっても医療行為を続けてほしい”と願う場合もあるでしょう。

最近は、末期ガンで余命を宣告された人が入院ではなく家族とすごすことを選ぶというストーリーの映画が作られたり、妊娠中に病気が判明し、治療と出産のいずれを優先させるかをテーマにしたドキュメンタリーも作られました。

クオリティオブライフとか緩和ケア、さらには尊厳死や安楽死問題なども、治療の目的は何か、という問いの延長線上にある議論です。


治療に関する意思決定では、病気になった自分が“主役”です。

自分の人生や生活をどうしたいか、という点から考え始め、「どんな治療を受けたいか」という判断を“自分が”よりよく行うために、医療のプロである“医師のアドバイスを活用する”という思考が必要となります。

医師は「医学的に専門的なアドバイスをくれる人」であって、「治療判断における主権者は患者である自分」という関係をお互いが理解することが重要なのです。


というわけで、


(1)人体や生命の仕組みは、科学的に解明されていない、という前提

  (対:最先端医療技術をもってすればわかるはずだ、治せるはずだ、という前提)


(2)すべての生き物は死を避けられない、という前提

  (対:こんなことで死ぬわけないだろ!? という前提)

   

(3)医者の目的と患者の目的は必ずしも同一ではない、という前提

  (対:目的は同じだから“お医者様”に任せておけばいいのだ、という前提)


にすれ違いがあると、医療側と患者側の信頼関係の構築や意思疎通に混乱が生じ、ベストな治療効果が得られないのではないかと思ったりしました。*2


なお、最後にふたつ。

私は医療に関しても完全な素人なので、いつものことながら今日のエントリも鵜呑みにされませんよう。

私も身近な人が大病で入院したり、また亡くしたり、という経験をしていますが、それらの時の経験から日本の医療体制を深く信頼しています。自分が深刻な病気になってもアメリカで治療を受けたいなどとは全く思わないです。


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そんじゃーね!


<関連エントリ>

医療って何なのか、ちょっとは理解しておきましょう


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*1:最初うろ覚えで12%ぐらいだっけ、と思っていたのですが、どうやら1963年に沖中重雄教授が最終講義で 14.3%と語られた、という話を読んだのだと、kamezoさんの調査をみてわかりましたので修正しました。多謝です。http://d.hatena.ne.jp/kamezo/20090604

*2:沖中先生について下記の情報も頂きました。ありがとうございます。

2009-06-02 無理だと思う

アメリカ人って「省エネ」とか「エコ」とかが根源的に推進できない(理解できない?)国民だよね。

なんでもかんでもとにかく「大きいことはいいことだ」と信じてる。

とりあえずレストランとかで、量の少ない店がアメリカで成功するのは無理でしょ。

いくら食べきれない人がいて、廃棄食品がいっぱいでても気にせず、まずはドデカい皿にどーーーーーんと大量のフライドポテトを載せないと話にならない。

エネルギーを無駄にすることの天才というか、技術の問題じゃなくて意識の問題として、節約とかエコとか省エネとか環境とか理解できない国民性に思えます。


彼らは大トロをばくばく何個も食べながら“寿司はヘルシー!”とか言ってるし、アジア料理はみんなヘルシーだよねーとかいいながら酢豚や回鍋肉をどか食いする。

ハリウッドのセレブもドデカい家を全館暖房して、全館冷房して大量の電気を使いながら、車だけプリウス買ったら“エコだ!”と威張ってる。


最近ほんと、「猫に小判、アメリカにエコ、中国に人権」とか思うよね。

「猫に小判、アメリカにエコ、日本に二大政党」でもいいけど。


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そんじゃーね!


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2009-06-01 “あるべき論”が生み出す不幸

社会というのは長く続く中でそれぞれ固有の“前提”を作り上げる。

“規範”と呼んでもいい。「こうあるべきだ」「こうなのだ」という社会共通のルール、思想、考え方、みたいなものをどの国も有している。そしてそれらの規範を前提にして、社会の諸制度は設計される。

しかし、実際には社会にはいろんな人がいる。多数派が作り上げた前提に合致しない少数派の人にとって、それらに基づいて作られた社会制度の中で暮らすのは楽なことではない。

また、時代に応じてもともとは少数派だった人が多数派になることもある。基本的には経済的に豊かになればなるほど、人の志向、選好は多様になり、少数派の合計割合はどんどん大きくなるわけで、つまり「社会が前提とすべき考え方」は本来は少しずつ、しかし、確実に変化していく。

ところが「社会のあるべき論」やそれに基づいて設計された「社会制度」が変わるスピードは、現実が変わるスピードより圧倒的に遅い。「社会のあるべき論」は長い間に一種の「道徳化」を起こして簡単には変えられなくなっているし、時には宗教と密接に結びついたりもしているからだ。また制度設計者達は既存制度に基づいて選任されているわけだから、彼らには常に「古い側」の人達が多くなる。

かくして、「昔の社会のあるべき論」に基づいて設計された制度が、その前提と合わない生活を始めた(既に少数派でさえない)多くの“現在を生きる人達”の生活に不便や苦痛を強いることになる。


★★★

以下、具体例を「社会の前提」→「社会制度」という形で表記。


「母親は外で働かず、家事と育児に専念する。」→「保育園を増やす必要はない。」


「夫は妻を働かせなくても十分な稼ぎが得られる」→「女性のための“働く環境の整備”は後回しでよい。」


「家事は妻が担当する」→「男性は長時間労働を慣習とする。」


「妻は仕事をもっていない。or 妻のキャリアは大事ではない。」→「男性はいつでも辞令で転居を伴う異動を受け入れる。(ことを労働慣習とする。)」


「妻は現金収入を持たない」→「妻の年金は夫の払った分でカバーしたことにする。」


「長男夫婦は親と同居する」→「介護制度は在宅介護を基本として設計する。」


「高齢者は子供と同居している」→「年金はお小遣い程度の額でよい。家賃分などを含む必要はない。」


「女性は結婚か出産で仕事をやめる」→「スキル蓄積の不要な補助職は女性に割り当てる。」


「若夫婦は親と同居している」→「育児支援は不要。姑に教えてもらえばいい。」


「若夫婦は親と同居しており、家の中に姑、舅、小姑の目がある。」→「幼児虐待は起りえないので、早期発見や厳しい取り締り制度は不要。」


「会社が潰れない限り転職しない」→「給与、退職金などすべてを“年齢テーブル”に基づいて、個別の会社内の制度として決める。」


「日本は解雇規制が強いので失業率は低い」→「失業保険は最低限でよい。」


「病気になっても家族や兄弟が助けてくれる」→「生活保護制度は拡充しなくていい。」


「子供がいる夫婦は、離婚なんてしない。」→「母子手当は最低限でよい。」


「子供がいて、妻の方が死亡した場合は、男性はさっさと再婚する」→「父子手当という制度はなくてよい。」


「高卒・中卒で働く人は、地元で地道に働ければ人生に満足する。また、つらくても簡単には辞めない。」→「高卒、中卒の就職活動は高校による“割り当て受験制度”とする。自由応募を認める必要はない。」


「すべての人が結婚するし、子供を持つ」→「少子化対策なんて不要」


「貧困に陥るのは努力をしていない人だけである」→「貧困対策なんて不要」


「日本は武器の規制をしているので、犯罪者も武器を持っていない」→「警官は原則として発砲してはいけない。」


「女性の初産は20歳前半。20代の間に3人の子供を産むのが普通」→「お産のリスクは小さい。母子共に健康に生まれるのが当たり前。お産で死ぬのは医師のミスだから医師を逮捕せよ。」


「子供も生めないような嫁は離縁されてもしかたない。」→「不妊治療への支援など不要。」


「日本における農業は競争力をもちえない。やり方が悪いのではなく、誰がやっても儲からない産業なのである。」→「新規参入や市場化ではなく、補助金で支えるのがベストな方法。」


「自ら“死”を選ぶことは、時に尊い行為である。戦国武将以来の日本の伝統である。」→「圧倒的に自殺が多い国であることは恥ずかしいことではないので、自殺対策は不要。」


「他人に助けを求めるのは甘えた考えである。」→「生活保護の申請者には説教をして追い返すべき」




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まっ、“おちゃらけ”ブログってことで。


そんじゃーね。