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Chikirinの日記 RSSフィード

2012-02-28 海外旅行はあと10年

ちきりんは旅行好きで、今までも多くの国を旅してきました。ただ、海外出張の多い仕事をしていたため、一昨年に会社を辞めた後は「これからはいつでも海外に行けるから、急いであちこちいく必要はないかな」とも考えていました。

ですが最近、考えが変わりました。「海外で行きたい場所は、早めに行っておこう」という気になったのです。

理由は・・・「円が世界で通用するのも、あと10年くらいかも」と感じ始めているからです。


若い人にとっては「日本円が世界で通用しない時代」なんて想像できないかもしれません。けれど1985年のプラザ合意の前は1ドルは240円もしていて、海外旅行に行けるのは芸能人やお金持ちだけでした。普通の人が海外旅行をするのは(円という通貨の力が足りないために)ほとんど不可能だったのです。

その後の27年の間、日本円と日本のパスポートを持っていれば、学生でさえ世界を旅行することができました。でもそんな時代もせいぜいあと10年、合計40年くらいで終了かも、と最近は思っています。


たかだか5年ほど前、1ユーロは170円もしていて、「円で、欧州を旅行する」のは本当に大変でした。パリではビジネスホテルみたいな部屋が2万5千円もするし、ポンドも高くて、ロンドンでも日本人は自分達をものすごく貧乏に感じたはずです。

今はユーロ危機が騒がれ、消去法で選ばれた円に信任が集まっています。しかし日本がこのまま、消費人口・生産人口の減少を頑なに死守し、巨額の財政赤字を放置して増税も拒否し、中央集権ガチガチの40年体制を維持し続けるつもりなら、日本の通貨・円がこれから相当程度チープになっていく、というシナリオも十分にありえます。

なのでちきりんとしては、円の価値がもちそうな間に、世界の行きたい場所には全部、行っておこう!と思いはじめたわけです。


★★★


「何を呑気なことを! 円が信任を失えば石油も買えないし、小麦も、薬も買えない。海外旅行どころじゃないでしょ」という方もあるでしょう。

「円がダメだと思うなら、海外旅行じゃなくて海外移住して働くとか、貯金を海外の銀行口座に移すべきでは?」と考える方もいらっしゃるかもしれません。


でも、

円が超安くなって石油が買えなくなるからといって、「じゃあ、石油を買いだめしておこう」なんてありえません。小麦も薬もないと困りそうだけど、だからといって今から買っておくのは不可能です。

それにちきりんは「日本が大好き!」で、旅行には行くけど海外に住もうという気は全然ありません。そんなところに資産を移して「今、持ってるものを必死で守る系の姿勢」をしていては、新しい時代を乗り切るのはいずれにせよ無理でしょう。

でも海外旅行に関しては、「10年後に行けなくなる可能性があるなら、今のうちに行っておく」ことが可能です。「いつでも行ける」と思っていたら、円が安くなって高くて行けなくなったらスゴク後悔しそう。

今40代で「定年してから海外旅行を楽しもう」など思ってる人も、その頃には円で貯めたお金で海外旅行するのは難しいかもしれません。


ここ何年も韓国のウォンは安く、日本からも観光客が押し寄せています。誰も彼もが「安い安い」と山ほどのお土産を買い込んでいます。一方の日本は円高に原発事故もあって、海外からの旅行客は大激減。観光業という産業で見れば、韓国のほうが圧倒的に競争力が高くなっています。

それでも個人としてのちきりんは、「自国の通貨がウォンでなくてよかった!」と心から思っています。自国には海外からの旅行客が溢れているのに、自分達はどこにも行けないなんて哀しすぎでしょ。

特別な大金持ちでなくても、世界を見て回れる、強い通貨の国に生まれたことは本当に幸運だし、そういう時代に生きていることにも心から感謝しています。

そして、今は当たり前に思えるこんな状況も、最近は「あと10年かも!?」と思い始めました。だから早めにどんどん旅行しておくことにしたんです。


そんじゃーね



死ぬまでに絶対行きたい世界の旅 (PHPビジュアル実用BOOKS)

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この本はなかなかよかった。「確かにここは行きたいよね」と思える場所が網羅的&コンパクトにまとまってます。「行きたいところがいっぱいある!」人にお勧め。写真もキレイです。

2012-02-24 解雇するスキル

日本には「解雇規制」という判例法があり、大企業はこれをしっかりと守っています。公務員や準公務員も、原則として解雇されることはありません。

反対から見ると、日本の大企業や公務員組織の管理職は、「能力のない部下をクビにする」という職務を経験したことがない、ということです。


大企業がやったことのある解雇とは、「みんなで渡れば怖くない」方式の解雇ばかりです。たとえば工場を閉めるので全員解雇とか、業績が非常に悪いので一定年令以上に早期退職を募集する、などですね。

この場合、人事部スタッフは早期退職を促すための個別面談を行ったり、(ひどい会社になると)仕事を取り上げて電話もない部屋に対象者を幽閉し、退職を促すこともあると報道されます。しかしいずれの場合も、解雇理由は「会社の業績がどうしようもないから」であって、「会社は儲かっていますが、あなたの能力が足りないから」ではありません。

また、このタイプの解雇では前面にでるのは人事部のスタッフであり、「解雇される人の直属の上司」ではありません。


しかし、解雇規制が事実上、適用されていない中小・零細企業や、外資系企業では、解雇とは「その人の能力が足りないので、辞めてもらう」ことを意味し、この業務を遂行するのは、その人の直属の上司(もしくは小規模企業なら経営者)です。

この場合、解雇目的は人件費削減ではありませんから、能力のない人を解雇した後、他の人を雇う場合もあるし、時には後から雇う人のほうが給与が高かったりもします。

そして、解雇にあたり「業績が悪いから仕方ない」ではなく、「あなたが仕事ができないから辞めてもらいます」と伝えた上で、次の人に仕事を引き継ぐよう指示をする必要があるのです。


さて皆さん、皆さんの部下に「かなり仕事ができない」人がいるとしましょう。「こりゃ、もう救いようがないな。アカンわ」というレベルの部下だとしましょう。

解雇規制のない世界では、その人を解雇するのは、あなたの仕事です。


具体的に想像してみてください。あなたはどうやって、その人を解雇しますか?

個別面談をしますか?

面談では、どう話を切り出しますか?

何か資料を用意しますか?どんな資料ですか?

相手からはどんな質問が想定されますか? いや、質問の前に、「相手はどんな反応を見せるでしょう?」、そして、それにたいしてあなたはどう対応しますか?


ちきりんは思います。解雇規制が撤廃されたら、大企業や公務員組織の管理職はパニックだろうな、と。

解雇に関しては、首になるほうの負担ばかりが強調されますが、当然ですが、解雇するほうにもそれなりのプレシャーがかかります。

最初に解雇には2パターンあると書きました。「業績が悪いから全社一斉でリストラ」する場合と、「業績は問題ないけれど、個人の能力が足りないから解雇」する場合です。解雇する側にとっても、それぞれに異なるつらさがあります。

前者の場合、仲間の解雇は会社から指示された仕事であり、自分としては納得できない仕事かもしれません。さらにたいていの場合は(会社の業績がひどいのですから)自分の給与も下がるし、仕事はより忙しくなります。大量の社員を解雇しても自分にはなんのメリットもないのです。

それなのに、恨まれるのは解雇という仕事に直接関わった人たちです。一定数を一定期間までに解雇に追い込め(早期退職プログラムに応募させろ!)とプレッシャーを掛けられ、そのノルマを果たすために、口汚く社員をそしらなければならないとは、どれだけつらい仕事でしょう。

このタイプのリストラに関わった人事部スタッフの中には、その後メンタルな障害を発症したり、自分自身、仕事へのモチベーションが保てなくなって退職してしまう人が少なくありません。


もうひとつの「個別解雇ケース」にも、また別のつらさがあります。全社リストラであれば、「なぜリストラが必要か」を説明する必要はありません。しかし個別解雇では、「景気が悪いから」「円高で」「業績が悪いから」ではなく、「あなたの能力が足りないからクビです」と伝えなければならないのです。

その伝え方は個々の管理職に任されており、人事部やコンサル会社が口上を用意してくれるわけではありません。相手の反発や反応も、すべて管理職個人が受け止めなければならないのです。

さらに解雇が成功した後、他の部下からの冷やかな視線を受け止めつつ、彼らのモチベーションを高めていくのも管理職の重要な仕事です。

「部下を解雇したことが一度もない管理職」の溢れるこの国で解雇規制が撤廃されたら、大企業の管理職がまず覚える必要のある新しい仕事が、「解雇するスキル」だというわけです。


そんじゃーね。

2012-02-21 その船を、いつ降りる?

最近、東電を辞める若い人が増えてるらしいけど、「退職が震災前の3倍のペース」などと報道されていて、「すごいな。そんなに辞めないんだ」とびっくりした。

だって震災前なんて、あんなに条件のいい会社を辞める人はすんごい少なかったはず。それが、震災後に3倍にしかなってない(純増分は2倍に過ぎない)なんてスゴイ。ほんと、みんな辞めないもんだね。


人間にとって、自分の乗っている船が沈みそうになった時、「どのタイミングでその船を降りるか」という判断はすごく大事。ちきりんがこのことを痛感したのが長銀だった。

日本長期信用銀行が破綻したのは1998年の秋だけど、金融界ではその数年前から「相当ヤバイでしょ」というのはみんなわかってた。経済的には破綻してるけど、政治的にどうするのかがよくわからない、というだけの状態だった。

もちろん、その頃も学生だけは相変わらず、超一流企業、長銀への就職に殺到していたけれど、内部にいる社員には、実質的にはもう終わってることがよくわかってた。だから、少なくとも破綻の数年前からは「船を降りる」人が増え始めていた。

そしてこの時期に船を降りた人は、再就職にもそんなに困っていない。もともと優秀な人も多いし、「人に先んじて船を下りる決断ができる」というのは、「見切りが早い」「損切りできる」という金融業界で重視される能力だからね。彼らの多くはなんなく他の金融機関に転職した。


一方で、「実質的にアウトなのはわかってるけど・・」「まさか潰れないよね?」って感じで思考停止していた多くの人たちは、ずるずると居残り、船が沈むのとともに海に沈んでいった。

完全にやばくなって、金融業界内で長銀からの転職希望者が多くなると、採用側の企業も足元を見始める。屈辱的な面接に耐えられなくて、慣れない起業に乗り出したり、いきなり田舎に隠遁しちゃう人まででた。

ごく少数だけど、中には「オレはこの船が沈むのを見届ける」という意思をもって残った人もいた。長銀がぶっとび、リップルウッドに買われて、新生銀行として全く違う銀行になる、というプロセスを全部見届けるのはそれなりにおもしろかったとは思う。

もちろんリップルウッドに買われた段階で(事実上)解雇されてしまった人もたくさんいるけどね。“長期信用銀行サマ”から、外資系オーナーが経営するエグエグのリテールバンクへの転換についていけなかった人も多い。

また、いったん再生を果たした後のぐちゃぐちゃに飲み込まれて、大変な思いをした人もいる。残った人の給与もかなりレベルダウンした。トップにはわけのわからん外人さんがやってくるし、もちろん当然に“実力主義”の世界になった。


ちきりんが思うに、長銀って「いつ船を降りるべきか」を学ぶ事例として最適だと思う。日本にハーバードビジネススクールがあれば、間違いなくこれをケーススタディのネタに採用するだろう。お題はもちろん「タイタニックを逃げ出すタイミングについて」・・


最近また、同じような決断が重要になりつつある企業が続出してる。JALやANAもそうだし、東電もそう、オリンパスもそうだし、「70歳まで経営職につけない」ことが明らかになったキヤノンや、何年でも赤字を続ける覚悟のソニー(テレビ部門)も同じ。新聞社やテレビ局もかな。そしてもちろん霞ヶ関も。


「自分はこの船にいつまで乗っているべきか」

「どのタイミングで降りて、大海でのボートの漕ぎ方を学ぶべきか」

「どの時期に、他の船に乗り移ることを決意すべきか」


それが問題だ。


そんじゃーね。

2012-02-17 どの常識の世界で生きるか

以前、知り合いの起業家から聞いた話がとても印象深く、記憶に残っています。

彼は若い頃から起業を志しており、その思いはブレることなく 20代で起業、今も順調に会社を育てています。今は IPOも実現し、上場企業の社長になっています。

この会社、最近は海外展開も始めているのですが、そのきっかけとなったのが、「海外の起業家との交流」だったそうです。


彼が初めてアジアの起業家が集まるカンファレンスに出席した時、交流会での起業家間の会話において、

最初の質問は常に「あなたの会社のビジネスモデルは?」というもの、

そして、二番目の質問が「で、その事業は何カ国で展開してるの?」だったというのです。


彼が最初の質問に答えて自分の事業の説明をすると、みんな「おー、それはユニークなビジネスモデルだ。おもしろいね!」と言ってくれる。

ところが二番目の質問に彼が「今は日本だけでやってる」と答えると、みんなが「へっ!?」という顔をして、「なんで????」となってしまう。

「まずは日本で基盤を固めてから・・」と説明しても、「なんだそれ? おかしな考えをする奴だな」といった扱いを受けてしまう。

しかも同じことが交流会の最中に何度も繰り返されたと。

これで衝撃を受けた彼は、その後、事業の早期海外展開に取り組み始めたというのです。


この話は非常に示唆に富んでいます。

もうずっと前から彼は、有望な若手起業家として注目を浴びていました。

同じ世代の起業家仲間との交流はもちろん、大御所の先輩経営者を含め、様々な経済人、ビジネスパーソンと知り合いだったし、多くのメディアからの取材も受けていたのです。

にもかかわらず、彼は日本ではそういう質問を“当然のように投げかけられる経験”をしていませんでした。

誰も彼に、そういう質問をしてこなかったのです。


ところが海外の若手起業家と会うと、全員が「世界で成功するビジネスを興す」ことを目指しており、若い起業家ならさっさと世界を目指すのが当然であるという、「今までとは違う常識」に出くわしました。

そして、「異なる常識の世界」に触れることで自身の常識も変わり、異なる世界へ足を踏み入れるきっかけを得た、というのです。


★★★


笑い話のようですが、経済産業省から民間企業に転職したある知人は、「最初の頃“予算“という言葉の意味が人と違っていて笑われた」と言っていました。

霞ヶ関で育った彼にとって「予算」とは、「年度末までに使い切ってしまわねばならない経費の総額」を意味していました。

予算を余らせると翌年の予算が減額されてしまうため、どの省庁も期末までに必死で予算を使い切ろうとします。(だから年度末は道路工事が集中します)。


一方、民間企業の多くでは、予算とは売上げ目標のことです。

「使い切らなければならない経費の額」を予算と呼んだり、そもそも最初に「今年中に使い切ってしまわなければならない費用の最低額」を決める民間企業など、ほとんど存在しないでしょう。

けれど役所や、もしくは補助金を収入としている大半の公的な組織にとって「予算」とは、使い切るべき経費のことなのです。

このように世の中では「まったく異なる常識」をもつ世界が、いくつも並立して存在しています。


★★★


もうひとつ別の話です。

ずっと前、今よりまったく知られていなかった私のところに、「ちきりんさんと会って、こういう話をしたい」というメールを送ってくる人がいました。

当時、そう言ってきた人の一人に「全く知らない人に、会いたい、話がしたいとメールを書くなんてスゴイですね。そういうことは、○○さんにとってごく普通のことなんですか?」と聞いてみたことがあります。

すると彼の答えは「実は僕、以前は出版社で編集者をやっていたんです」というものでした。

なるほど、それなら見知らぬ人に連絡をとって会いに行くのは、ごく普通のことでしょう。出版社の編集者にとって極めてそれは日常的な行為であり「常識」でさえあります。


そう納得した後、話を続けているうちに彼が口にした言葉が、これまた大変に興味深いものでした。

というのも彼は、今は自分でビジネスをしながら本も書いているのですが、

「ちきりんさんは本も出しているのに、ブログにあれだけの文章を書くなんて勇気がありますよね。僕はネット上の無料の場所に、気合いを入れた文章を書く気がしないんです」と言ったのです。


これは私にとって大きな驚きでした。そして「なんでこの人はそんなふうに思うんだろう?」と考えてみました。

おそらくそれは、彼が「元々編集者であった」頃に身につけた常識から、きているものなのでしょう。

彼には(当時、出版社の編集者として身につけた常識に照らして)、「価値ある文章をネットに無料で開示する」ことに抵抗感があったのだと思われます。

一方の私、「ちきりん」は、つい最近まで「文章を売って稼ぐ」という経験をしたことがありません。今でさえ、ネット上で得られるものは、本を出して得られるものより圧倒的に大きいと感じています。

だからネット上に価値がある(と自分で感じる)文章を無料で開示することになんの抵抗感もないのです。「みんな、どんどん読んで!」という感じです。

この「私の常識」は、対価を頂いて記事を書き始めたり、書籍を出版し始めた今でも変わることはありません。

でも、最初に「価値ある文章は本にして売るのが普通」という業界からスタートしてしまうと、そこから飛び出すのは簡単ではありません。

私だって、もし最初から「紙の本を書く作家・文筆業」としてキャリアを積んでいたら、こういう常識をもつことは決してなかったでしょう。


★★★


人は誰しも「自分の常識」を持っているけれど、実はそれらは必ずしも「世間の常識」と同じではありません。

最初の例で見られるように、日本と世界の常識が大きくかけ離れていることもあります。

しかも、「いったん身についた常識」を変えるのには、大きなエネルギーが必要です。

だから、「どんな常識を身につけるか」、「どんな常識の下で生きるのか」、「どんな常識を持つ場で最初に働くか」は、その人の行く道を大きく左右します。

いったん働き始めた後でも、「どんな常識に出会えるか」が勝負なのかもしれない。


少なくとも、「自分の常識」「自分の業界の常識」が、外の世界の常識とどう違うのかについて意識的であることは、とても大事なことだと思います。


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そんじゃーね。


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関連過去エントリ) 「伝統的大企業に就職することの大きな罠

2012-02-14 「作り込み」と「ダダ漏れ」の間

既存メディアとネットメディアの大きな違いに、「作り込みレベルの差」があります。テレビ、新聞、雑誌や書籍など、既存のメディアは、ものすごい勢いで“作り込む”んです。

テレビの公開収録を観にいくと、司会者から出演者のタレント、評論家を含め、全員が「役者」だとわかります。全員が整然と「自分に割り当てられた役」を演じる。「まさにプロ!」です。

細部の細部まで書き込まれた台本に沿って、表情作りや会話、ボケ&つっこみ、“白熱した(ように見える)議論”が進み、

さらに編集で「あらかじめ決められた構成」に向け、余分な部分を切り取り、見せたい順番に並び替え、強調やらなんやらと効果(エフェクト)を追加し・・。

NHKだと3日くらい密着取材して得た材料を“煮詰めに煮詰めて” 1 時間の番組にするし、討論番組でさえ 2時間の番組のために 10時間近く(しかも複数の)カメラを回してるんじゃないでしょうか。

驚くほど大量の材料を集めてその大半を捨て、事前に想定した構成に合わせて組上げる。これはラジオも同様で、収録した音声をバラバラにぶった切った上でつなぎあわせたりする。

ほんとスゴイです。


あの「作り込み」の中には、一種の「美学」があります。職人のこだわりとか匠のワザみたいな。

だからできあがった番組を見ると、(内容のばかばかしさは別として)非常にテンポ良く物事が進んで安心感があり、上げるトコで上げる、落とすトコで落とす、笑うところで笑わせる、と、“想定ストーリー”が滞りなく進行します。


これはテレビに限らず、雑誌も書籍も(多分)新聞も同じでしょう。雑誌の 1ページの取材記事でも、最低 1時間は話を聞いてるだろうし、

誌面に載せるたった1枚の写真のために何十枚も撮影します。そして大半を捨て、残したモノを「どう配置するか」「どう見せるか」をめっちゃ細かく考える。

これが「作り込みメディア」とも言える、既存メディアの手法です。


それに対してネットメディアは基本が“ダダ漏れ”です。

ブログにしろツイッターにしろ「垂れ流し系の文章」だし、動画だって「単にカメラが回ってるだけ」みたいなのが多い。

ustの対談なんて、出演者や話の内容が相当に興味深いものであったとしても・・・「それだけを見る」って、かなりキツくないですか?

なんの背景もない壁の前で、公民館のテーブルみたいなところに、メークもしてないダラケた恰好の人が数人座り、なんのストラクチャーもない話を延々としてて、時々内輪話が紛れ込む・・・他の作業をしながら聞くのはいいけど、あれを集中して視聴するのは、ちょっとキツイです。

ust対談などをみるたびに、「あー、ほんと、テレビ番組ってすんごい作り込まれてんだなー」と痛感します。これってテレビや映画しか動画コンテンツがなかった時代には意識していませんでした。あまりに「そのまんま」なネット動画がでてきて、初めて気がついたのです。


しかし・・・作り込みは時に「マンネリ」につながります。

また、作り込みはヤラセとの相性もすこぶるヨイです。「できあがりの姿」にこだわりすぎ、それを忠実に作り込もうとする余り、材料として存在しないモノまで入れ込んでしまう、それが「ヤラセ」です。


一方のダダ漏れ系は、何が起こるかわからない「ハプニング性」をもっています。なんの脈絡もなく、いきなり「えー、ソレを言っちゃう!?」みたいな発言が出てきたり、時には「マジの喧嘩」がそのまま流されたり。

そして今、その二つの間に、様々なバリエーションが出現し始めています。

Youtubeにアップされている動画には、「完全に素人のダダモレ映像」から、「それなりの経験と技術を持った人が、ある程度作り込んだモノ」が混在しています。

ネットメディアでも「とりあえず配信」もあれば、なんらか“形”を作ろうと試行錯誤を始めているところもあります。

超作り込みのテレビと、完全ダダモレ配信の間に、グラデーションを描くように「いろんな作り込みレベルの映像」が出始めている、わけです。


これはテキストも同じで、たとえば私が文章を書く場合、

ツイッター → ブログ → メディア記事(ネット) → メディア記事(紙媒体)→ 書籍

の順に、作り込みのレベルが上がります。メディア記事と書籍の場合は「編集者」という作り込みのプロが付くし、「作り込みのためのプロセス」もある程度、標準化されています。


ここで興味深いのは、「いったい視聴者や読者は、コンテンツにどのレベルの作り込みを求めているの?」ということです。

テレビ番組のレベルまで作り込まれたものについては、多くの視聴者が「作り込みすぎ」「予定調和すぎ」「毎回同じパターン」「ヤラセ」「お仕着せ」と感じ始めています。

じゃあ ust対談やニコ生対談のレベルが好まれているかというと、もう少し作り込まないとコンテンツの内容が発散して密度が高まらず、途中でどうでもよくなってしまいます。


その中間にある、「軽ーくストラクチャーされており、うっすらとストーリーじみたモノも見える。余りに不要なものは切り捨ててあるから、それなりの密度になってる」けど、「おきまりのパターン」でも「作り手の意図通り完全に作り込まれたもの」とも違う。あたりに、今後の主流があるような気もします。

いずれにせよ、電子書籍もニュースサイトもネットラジオもこれからは、「自分達はどのレベルまで作り込むのか」を、意識的かつ戦略的に選択していくことになるのでしょう。


そんじゃーね。



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追記)エントリアップの後 頂いたtweetsです。


↓どっちからスタートした人か?によって、正反対になってるかも・・。


↓これは「なるほど」と思った。



↓たしかにスポーツ番組って、あの実況で興奮するところもあり、だけど行き過ぎると興ざめる。なかなか“適切な作り込みレベル”が難しい。



↓これは、ちきりんは違う意見かな。たかじんさんの番組(そこまで言って委員会)は収録を観にいったけど、あまりに完璧な作り込みようでビビった。なんばグランド花月も、たかが素人の客の反応くらい完全に読まれてて、その上で作り込まれてる。まさにプロと感じました。

2012-02-10 世界はロールプレイングゲーム

私が過去に、最も長い時間を費やしたゲームがシムシティです。

EA BEST HITS シムシティ4 デラックス

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これは、自分が市長となって市の運営を行うゲームです。地形(平地、山、川、海など)から成型し、土地用途(住居、商業、工業地帯)を決め、水道や電気などインフラを整えて、街を発展させます。

市長として様々な予算を決裁するのですが、交通予算を削減すると道がでこぼこになるし、文教予算を削ると(教育レベルが落ちて)IT産業が落ち込むし、高密度の開発を続けてると治安が悪くなる上、空気も悪くなって病気の人が増えて、医療予算が圧迫されます。

せっかく街を作り上げても地震や台風であっというまに壊れてしまったり、発展を続けてるのに渋滞が激しくなって市民の不満が高まったり(デモも起こります)、だけど地下鉄を作るには財政が厳しすぎるし・・・

街が発展すると「原発を誘致するか」「国が軍事基地を移転したいといってきている。補助金は○○円だが許可するか」など、いろんな判断を迫られます。

本当によく作り込まれており、マジで市の運営をやっている気分になれ、全く飽きません。

様々な指標とともに市長の支持率も常に示されていて、(本当の政治家のように)胃がキリキリするし、発行されている新聞は毎回毎回、無責任なことをかき立ててくれます。


このゲームの特徴は「決められたゴールがない」ことです。「勝つ」という定義がありません。

街を巨大にして人口を増やすことを目的にしてもいいし、財政を豊かにして住民税をゼロにする!が目的でもいいです。公害や犯罪ゼロの街を目指す、市長の支持率 100%を目指すなど、多彩なゴールがありえます。

原発をバンバン造って街を発展させてもいいし、風車だけで運営してもいいです。(んなもんで街を大きくするのは無理だとヨク分かります。)

このように「目指すべきものを、ゲームのプレーヤーが決められる」のも、このゲームのすばらしいところです。実際の市長だったら「仕事はここから始まるのだ」とわかります。


あまりによくできたゲームなので、私は「政治家を目指す人は、シムシティを 500時間以上プレイすること」を条件にしたらいいんじゃないかと(真剣に)思ってます。

たぶん、ちょっとした政治塾なんかより役立つかも。地形も実際の市と同じ条件に成型できるから、臨場感もたっぷりですし。(どうですかね?大阪の新区長のみなさん!?)


私はシムシティに余りにのめり込みすぎ、それ以来、「世の中がシムシティに見える」という病気に罹っています。

たとえば現在の国際世界は、「中国をいかに暴発させないまま、国際社会に組み込んでいくか」ということを目的としたロールプレイングゲームのようなものです。日本はこのゲームのイチプレーヤーにすぎません。

WTOからTPP交渉、さらには米軍のアジア再編成など、すべてはその目的のための施策なんです。

ところが、この長期的な「地球ミッション」にみんなで取り組んでいる時に、資源や食料が足りなくなったり、中東では海峡封鎖だのなんだのいいだしたり、さらにヨーロッパで通貨危機が起こったりします。

次々と続く災難に「うぎゃー!」とかいって対応してると、足下の自分の国でも大きな災害が起こり、その上、原発事故まで・・・


現実がシムシティと違うところは、(それがまさにゲームではない、という点以外に)、プレイヤーが複数だということです。

シムシティではプレーヤーは一人(自分だけ)ですが、世界にはプレーヤーが複数いて、相手がどうでてくるか、わかりません。まさに“ロール・プレイング”なんです。

ギリシャがああ出てくるなんて、ドイツには分からないし、北朝鮮がどうでるか、イラクがどうでるか、シリアがどうなんのか、全くわかりません。そのうえ、世界のあちこちで災害は起こり続けます。


いったいどーすればいいのか!?


メタな視線を持ちたい人、権力を振り回してみたい人、人生をムダにしたい人にお勧めです。


そんじゃーね。



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2012-02-07 金正男氏の運命やいかに・・・(いろんな意味で)

10年ぶりくらいにハードカバーの本を買いました。

しかも付箋を貼りながら熟読!

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私は連合赤軍、よど号事件などの新左翼や北朝鮮関係の話題が好きで、「どんだけ?」っていうくらい関連本を読んでいます ↓

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金正男氏に興味を持ったきっかけは、金正日氏の2番目の妻であり、金正男氏の実母であるソン・ヘリムさんの姉、ヘランさんが書いた本(下記)を読んだこと。

北朝鮮はるかなり―金正日官邸で暮らした20年 (文春文庫)
成 〓琅
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彼女は自らも息子と娘をつれて、妹家族(=金正日、金正男、ソン・ヘリム)と長い間、同居しており、その頃の話を書いた本です。

(ヘリム、ヘラン姉妹は韓国出身なので、親に連れられて北に来た経緯や、その後の体験についても書いてあります。)


表紙の写真は、前列が金正日氏と幼い頃の金正男氏。正男君はごく普通の男の子に見えます。

そして後ろが著者のソン・ヘランさんにその息子と娘。なぜ金正男の母親であるソン・ヘリムさんが写ってないかというと、病気だったからです。

鬱病とか不眠症といった病気ですが、そもそも「美人で映画女優になり、有名作家と結婚して子供もいたのに、金正日に見初められて略奪され(?)て離婚&再婚。

ところが義理の親の金日成に反対されて(長男を生んだにも関わらず)正式に妻と認めてもらえず、加えて金正日が浮気を始めて別の女のところに・・・」みたいな状況では精神の安定を保てる方がおかしい。


ちなみに、姉一家は後に北朝鮮を脱出しており、著者の息子(正男の従兄弟)の李韓泳氏は韓国で北のロイヤルファミリーに関する暴露本(下記)を出版しました。


そして・・・


ある日、


待ち伏せしていた男等にピストルで頭を撃ち抜かれ殺害されました・・・


こわーーーーーー!



彼の母であり『北朝鮮はるかなり』を書いたソン・ヘランさんも、北朝鮮から亡命後は、滞在先を超極秘にして隠れまくっている(いた?)とのこと。

実際、この本の原稿を編集者とやりとりする時にも、世界中に点在する何人ものダミーのエージェントを介してやりとりしたらしいです。今も彼女がどこにいるのか誰も知りません。

で、この本『北朝鮮はるかなり』は内容がすごくいい。

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『金正日が愛した女たち』の方は世界が想像しているとおりの「北朝鮮の権力者のめちゃくちゃな生活」が描かれてるんだけど、

『北朝鮮はるかなり』の方は、もっとごく普通の「お父さんとお母さんと金正男くん」的な一家族の風景が描かれてる。

もちろんそれは「すごく特殊」な家族であることは間違いないのだけど、それでも政治とか経済とか独裁とか喜び組的な世界ではなく、

「家庭の食卓」とか「家の中のこと」「教育問題」「親子の会話」などについて書かれていて、とても興味深かった。

それ以来、正男ファンな私は、今回の本も超楽しみにしてました。


前から書いているように、ちきりんは「北朝鮮の崩壊」はそんなに簡単には起こらないと思ってます。

中東の春みたいなことがスグに起こったりはしません。(過去エントリ→ 「北朝鮮はそんな簡単に崩壊しない」)

でも数年後に、今回、三代目の後継者となった正恩氏が実質的なトップになる必要がでてきたタイミングでは、いろいろおもしろいこと(&やっかいなこと)が起こるかもしれないとも思います。

それがどんなことなのか、その時、後ろで糸を引いている人や国がどんな動きをするのか、興味は尽きないわけですが、

金正男氏と五味洋治氏のインタビュー&メール記録のこの本は、それらを想像していく上ですごく参考になりました。

なにげないメールのやりとりの中に緊迫感が漂っていたり、金正男氏の様子からいろんなことが伺えたり・・・、北朝鮮フリークの人には奥深い一冊になっています。


で、今回読んだこちらの本の話に戻ると・・・最初の感想は「こんな本、勝手に出しちゃっていいのかな?」ってことです。

上記に紹介した本とは違って、こちらは当事者である金正男氏が自分で出した本ではなく、インタビュアーが(ある意味、勝手に)出した本なんだよね。

こんな内容を暴露されたら、殺されちゃうんじゃないの? って思えます。

父・金正日と私 金正男独占告白
五味 洋治
文藝春秋
売り上げランキング: 2,953

とりあえずは、正男さんの無事を祈りたい。


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そんじゃーね


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2012-02-04 優秀な技術者を「一円も価値を生まないセクター」に幽閉する愚行

パナソニック、ソニー、シャープなど日本を代表する家電メーカーの深刻な業績不振が発表されています。

昨年は、天災・原発事故、タイの洪水、ユーロ危機や円高と、外部環境に突発的な悪条件が重なっており、すべてが経営責任だという気はありません。

けれどもう少し長い視点でみれば、「実質的にはずっと前に終わっていて、リーマンショックによってトドメをさされた事業が、政府から補助金をもらったり(エコポイント)、地デジ移行という一時的な外部環境(好条件)のために、数年だけ小康状態を保てていた」とも言えます。


「ソニーのテレビ事業が 8年赤字」と聞けば、誰でも「そんなに長い期間、赤字をたれながしている責任は誰がとってるの?」とも思うし、「これでまだ(なんの具体策もなしに)テレビは重要商品だから撤退はない」とか言い切れるって、すごい余裕だな」とも感じるでしょう。

でも、ちきりんが最も深刻な問題だと思うのは、そこで働いている技術者の力が、8年もの間ムダにされているということです。


ソニーで働く人達は、新卒入社の段階では日本で最も優秀なエンジニアの卵だったはずです。その人達が一生懸命働いて8年間、一円の価値も生んでいないなんてびっくりです。

想像してみてください。一流大学で修士課程まで学び、25歳で日本を代表する企業に選ばれた優秀な若者が、33歳時点で「まだ一円も稼いだことがない」んです。

もちろん給与も賞与ももらっているでしょう。でもそれは他部門の人が稼いだお金から、もしくは、過去の人が稼いでおいてくれたお金(留保分)から、もしくは借金から、まわしてもらったお金です。

20代、30代をそんなところで過ごした人が40代になった時、「世界で売れる、儲けられる、市場が認める価値がある事業」の指揮をとれる“事業リーダー”になれるんでしょうか?


自分の仕事に置き換えて考えてみて下さい。過去 8年間、一円も儲かっていなかったらどう感じますか?成長できますか? やる気を保てますか? 自分は意味のある、価値のある仕事をしていると胸を張れますか?

こういう状況に、日本で最も優秀な人達を幽閉していることの罪は、余りに大きいと思うのです。なんで彼らがこんな「罰ゲーム」みたいな部門で、働き盛りの 8年間もの期間を無為にすごさねばならないのでしょう?


「人材しか資源がない」と言われるニッポンで、優秀な人材をずっと儲からないセクターで囲い込む。この壮大なる資源の無駄遣いこそ、日本経済が未だ浮上できる兆しも見せない大きな要因のひとつだと思います。


そんじゃーね



<日本の製造業に関する過去エントリ>

・ 「2ステップ方式の限界

・ 「オーバースペックの本質

・ 「グローバリゼーションの意味

・ 「グローバリゼーション ステージ2

・ 「3Dテレビとかマジなのか?

・ 「古い客・新しい客、古い会社・新しい会社

・ 「エアコン設計に見る昭和的発想

・ 「SANYOの電子レンジ


さよなら!僕らのソニー (文春新書)  週刊 ダイヤモンド 2012年 2/4号 [雑誌]

2012-02-01 変わらない。替わるだけ

人にとっても組織にとっても、「変わる」ことは簡単なことではありません。

特に日本ではあまりに「変わる」のが難しいため、「替わる」方が「変わる」より早く起こることもあります。というか、「替わる」を待たなければ何も変わらないことさえある。


たとえば日本の大企業や公務員組織には、明らかに給料が高すぎる正社員がたくさんいます。でも彼らの給与を(下げる方向に)変えるのは非常に難しい。

だから経営者は彼らの給与は変えずに、新規に雇う人を非正規雇用に替えることにより、少なくとも今後雇う人に関しては給与を適切なレベルまで下げようと試みます。

弱者を支援する人は「非正規社員の給与・待遇が低すぎる」と言いますが、経営者からみれば「いや、そっちは妥当な額です。正社員の給与・待遇が高すぎるだけ」というのが本音。

労組の反対により正社員の給与を変えるのが難しいなら、労組が守らない雇用形態の労働者に少しずつ入れ替えていこう、と考えます。

今は被雇用者全体の3割である非正規雇用の比率も、そのうち7割くらいまで高まるのではないでしょうか。

正社員を非正規社員に替えていくことによって、日本企業は人件費をグローバル水準に変えようとしています。しかも「解雇規制を変える」のは不可能でも、これにより「大半の従業員は解雇可能な人に替えられる」のです。


先日、電子書籍の話を書きましたが、現時点で「紙の本の方が圧倒的に読みやすい」という人の意見は、いくら高性能な電子リーダーが出現してもなかなか変わらないでしょう。

そうではなく、最初から電子リーダーで本を読むことに慣れ親しんだ世代がでてきて、書籍市場における主流の顧客が、“紙派”から“電子派”に替わることによって、電子書籍の売上げが紙を上回るのです。

そういう意味では「紙の本はパラパラ読みができる」とか「デジタルなら検索ができる」などという機能比較の議論はあまり意味がありません。

電子化のメリットは(頭では)理解できても、特定の嗜好や習慣を身につけてしまった人が変わるのはやっぱり難しい。市場全体として主流派が替わるのを待つ方が早いでしょう。

この観点から教科書の電子書籍化は、「替わる」を促進するための有効な方法です。また変われない人向けには、「読むのは紙でもいいので、保管と活用は電子書籍にしましょうね」的に(紛争地帯を避けて)電子化を進めていけばいいわけです。(それについて書いたのが、こちらのエントリです。)


売れないと言われる自動車市場でも、コンパクトカーや軽自動車は人気です。そもそも日本みたいな小さな国で日常の足として使うだけなら、今の日本の普通自動車はハイスペックすぎるし、初期投資も維持費も高すぎる。だから本当は、普通自動車がもっと「ロースペック・格安」に変わればいいだけ。

でも普通自動車を作ってるメーカーはそんなことしたくない。高品質こそが日本車の売りだし、自らタタ(インド車)や軽自動車と差別化できない世界に突っ込むなんてありえない。だから普通自動車は相変わらず高くてハイスペックなままです。

でも、新たに車を買う顧客は大きな車を買わないので、市場にある車が少しずつ普通自動車から小さな車に入れ“替わる”。


ソーシャルネットワークや特定コンテンツの栄枯盛衰も同じ形で起こります。一旦、特定のサービスやコンテンツのファンになった人の多くは、長きにわたってそれを変えません。

コアなファンとして精神的な愛着を感じているし、技術的・手間的にも使用サービスを変えるのは面倒だからです。

しかしながら新たにネットの世界に入ってくる人が、異なるコンテンツや新しいネットワーキングツールを選び始め、そちらが多勢になりはじめれば、人気SNSも人気コンテンツも代替りが起こります。

どの世界でも“主役”が交代するのは、既存の主役のファンが心変わりをするからではなく、新たに入ってきたファンが別のものをまつり上げていくからなのです。



アメリカみたいに変化の早い国では、「替わる」をまたずに「変わる」ことが多い。だから生き残れる。

でも日本はもっぱら「替わる」方式なので、変化のスピードが超ゆっくり。そしてそれに安心してると、市場の変化に応じて自身を変えられない人や組織は、新しいモノにとって替られ、消えてしまうことになる。

企業も個人も同じです。変われば生き残れるのに、変わらないから替えられる。どっちがいいか、よーく考えよう。


そんじゃーね