全国学力調査の意味は?

今ね、ドラマ「ドラゴン桜」を観てるんです。日本ではかなり前に放送されたものでしょうけど、こちらは今 DVD で観てます。まだ半分までしか観てませんが、面白いですね。

ドラマを観ていて、教育って何だろうなとつくづく思います。学力重視というのは、ある意味必要なテーマだとも思いますが、問題はやり方ですね。



ちょうどタイミングよく、全国学力調査の結果が出たというニュースがありました。都道府県単位でランキングを出し、後は勝手に解釈してくださいってことみたいですね。こんなの、すでに大手予備校とかがやっているようなものと変わらないですよね。いや、具体的な評価がないだけ、もっと価値が低いといえるでしょう。

でも、この結果から何を学ぶべきかを議論している大人たちの様子を見ると、さらにがっかりさせられます。だって、この順位の結果は、「子供の能力」ではなく、「教える側の能力」のランキングなんですよ。なのに、そういう議論は見えてこない。

教えている内容は同じようなもの (学習指導要領で決められている内容) だし、子供の能力が都道府県単位でそんなに違うはずがありません。なのに大きな差が出るということは、教える方の問題以外にないでしょう。直接指導する教員だけでなく、学校そのものの環境や、家庭環境にも左右されます。

でも、やはり一番影響が大きいのは、直接指導している先生ですよね。授業が面白くなければ、誰もやる気になんかなりません。単に「教師の立場で上から教えてあげる」ということではなく、生徒の目線に立って、子供の心を掴む努力をしている先生って、いったいどれだけいるんでしょうか。



子供の能力は、もちろん個人差はあるでしょうが、学校の勉強ができるかどうかとはあまり関係ないと思います。誰だって、学校の勉強の「内容」を理解することはできるはずなんです。でも、実際にはできない生徒もいる。これは、その生徒の能力の問題ではなくて、能力を引き出せない大人の側の問題だってこと、どうして教育者は気づかないんでしょうか。

学校の試験なんて、コツさえつかめば内容を理解してなくてもある程度の点数が取れます。入試も同じ。ドラゴン桜では、東大の英語の採点が減点法であることを知っているかどうかが大きな違いだと言ってましたが、まさにそうだなと思います。試験なんて、コツなんです。

それでも、いつも同じ方法で試験が行われるわけではないし、学校でのテストは入試とは別。なのに、学校のテストで進学先を決められたり、お前はこの程度の学力しかないと決めてしまう学校って、いったい子供に何を教えているんでしょうか?

ドラゴン桜の桜木先生のように、理想とはかけ離れた教師がいて、現実の厳しさを教えることも必要です。逆に、学校は競わせるところでも、入試のための予備校でもないのですから、他の大切なことを学ぶことも必要です。ここ、大事ですよ。学校側が「教える」のではなくて、生徒が「学ぶ」ということです。

今の学校は、全部中途半端。試験の結果に大人が右往左往していたら、子供はどうすればいいのか、余計に迷ってしまうでしょう。しっかりとしたスタンスを持っていない大人は、すぐに子供に見抜かれます。そういう見透かされた教師も、少なくないんでしょうね、今の日本には。



学校の成績が悪かったにの、大人になって立派になった人、事業で成功した人、人の尊敬を集めるようになった人はたくさんいます。むしろ、一流大学を出て一流企業やら官僚なんかになった人は、世の中を支配しているような顔をしているものの、心から尊敬なんてされてません。それどころか、横領したり、わいせつ行為をしたり、国民をバカにしたり、クダラナイことばかりして身を滅ぼしている人が多いですよね。これ、みんな成績が良かった人たちですよ。



全国学力調査は、現場の声を無視して行われました。ただでさえ時間がない教育現場で、その貴重な時間を割いて全国の子供達に課したその調査結果は、半年かかってやっとランキングを出しただけ。何てクダラナイことをしているのか。今の子供達は、本当に可哀想です。



ちなみにドラゴン桜では、英語を歌で覚える方法を採り入れていましたが、これは本当に役立つと思います。私事で恐縮ですが、中学高校と英語が赤点ギリギリだったのに、学校を卒業してから (日本の大学には行かずに) 英語をやり直し、アメリカに正規留学して、今じゃ英語で飯を食っている人間がここにいる訳です。勉強法は、これと同じ音楽でした。英語の歌詞で、生の英語のリズムを掴み、実際の発音の仕方を身に付け、メロディーで言い回しを身体に染み込ませ、英語の韻を踏むことが何かを実感する。それも好きな曲で。

例えばビートルズの Eight Days A Week という曲。1週間は7日間しかないけど、「君のことは週に8日も愛しているよ」というシンプルなフレーズですが、すごい表現です。こんなの学校じゃ教えてくれない。

例えばロバータ・フラックの名曲 Killing Me Softly with his song のタイトル自体も、色んな人が持ち曲として歌っている Crazy for you といった表現も、教科書には出てこない生きた英語の典型です。シンプルで、とても響いてきますね。これなら、覚えたくなるし使いたくなる。

それに比べて、中学と高校の英語の先生は、いったい何を教えてくれたんでしょうか?

高校の時、L.A. (だったか N.Y. だったか) に10年住んでいたというスパルタ式の先生がいて、毎時間のようにプリントを配ってました。ものすごい情報量で、そりゃそれだけのことが頭に入るなら、みんなペラペラに英語が話せるようになるだろうなと思ったのですが、結局何ひとつ頭に入りませんでした。だって、理詰めでつまらないんだもん。

授業もめちゃくちゃおっかなくて (英語の先生のくせに白衣着てたし  ← 訳わかんないでしょ)、指されて出来ない生徒はバンバン叩くし (今なら暴力教師の典型)、立たせておいて無視。そんな授業でやる気が出たり、成績がのびる訳がありません。英語の授業なんて大嫌いでした。英語自体は好きだったのに。

せっかく海外生活が長いという経験があるのだから、現地でのハプニングなんかを織り交ぜて楽しく話しをして、その中から身につくような英語をそれとなく覚えられるように工夫してくれれば良かったのに。そういう発想は皆無だったんでしょう。

その先生にはものすごくバカにされましたが、今こうやってカナダで暮らし、翻訳で食べていることを知ったらどう思うでしょうか。反省してもらいたいものです。英語ができることと、英語をうまく教えられることは別なのだと、その先生は分からなかったんでしょう。自分の教えていることが分からないやつは、バカなんだとしか思ってなかったんだろうな。

自分が分かっていることを、自分が分かった時と同じやり方で教えようとするのは簡単です。でも、それは教えられている人が理解できるかどうかとは別問題です。結局一方通行の授業になって、全部自分と同じとしか考えられない未熟な教師がよくやる失敗です。

人には、人それぞれにやり方があるんです。でもきっかけを作るのは簡単なこと。きっかけさえ掴めば、あとはその人のやり方を伸ばしてやればいい。それもできないクセに押し付けの授業をしては、生徒が引いてしまう。生徒が先生を選べない小学校から高校までの生徒は、可哀想です。



話がかなり飛びましたが、全国学力調査、いったい何がやりたかったんでしょうかね。これで恩恵を受ける子供が果たして、どれだけいるんでしょうか。子供の立場ではなくて、教育現場の面子を競う道具として、こんなものをやらないでもらいたいものです。

それから、学校での成績がよくないこと、よくなかったことなんて、気にすることはないんです。教え方が悪いだけのこと。勉強はいつでもやり直しができます。自分でやろうと思えばいいだけのこと。そのための「きっかけを自分で掴む」のはちょっと大変ですが、難しいことでもないんです。勉強なんて思わないで、「知りたい」とか、何かをするために「これがどうしても必要」だと思うことが、十分な動機になります。

つまり、自分で何をしたいかってことを見つけることが大事なんですね。でも今の学校って、そんなこと教えてくれる教師がいないのかなぁ。いないんだろうなぁ。