シートン俗物記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-09-24 豪雨

[]女性の「資源」扱いはやめましょう

信じてくれよ。たとえ世界じゅうでもっとも哀れで惨めな男になろうと、女でいることよりはましなんだ。考えてみろよ、女が男に対するときにいつも、真面目な会話をしていると思われるときでさえ、顔のかわりに男の股間を見つめていたとしたら?そんなことはありえないと思うか?ぼくらがホテル出会ったときに、きみはまさにそれと同じことをぼくにしたんだ。八割がた、きみの目はぼくのおっぱいに向けられ、ぼくにはきみがなにを考えているかが手に取るようにわかった。

(震える血 祥伝社文庫 より引用*1 )


ひどい動画を見てしまいました。(グロ注意!)


鹿児島県志布志市が、ふるさと納税PR動画『うな子』を公開

http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000021507.html


ウナギ擬人化、それも少女に、して、「養って。」と言わせるとか、もう作ったヤツの神経を疑うレベルです。

こんなものが公開されるまで誰かが批判したりしなかったんでしょうか?それとも、女性側から批判しにくい組織だったのか、批判を受け付けないような組織だったのか。

いい加減、女性自分たちに都合のいいモノ扱いするのはやめたらどうですか?

都合のいい存在としてチンコ妄想を膨らまさなければいられませんか?


この話はエロセックスが好き、という話とは違いますよ。キモイ願望丸出しなのを、表現の自由だ、と開き直るのをやめろ、という話です。


女とエロス 浜野佐知

暴走女子と行くピンクツアー」という女性だけでピンク映画を見るツアーが私の新作映画の公開のたびに企画され、女性専用席を作ってもらった成人映画館で、女性たちが笑い声を上げながらスクリーンに観入っている。1962年から始まったピンク映画歴史の中で、かつてこんな光景があっただろうか?

作り手も男、観客も男、描かれる性の主体も男、というピンク映画業界で、たった一人の女性監督として孤軍奮闘しながら、私が40年以上にわたって撮り続けてきたテーマは「女の性を女の手に取り戻す」ことだった。

レイプされても女は感じる?女は身体で分からせる?ふざけたこと、言ってんじゃねーよ!と男の身勝手な性幻想にNO!を突き付け、私の身体は私のもの、男の欲望のためではなく、自らの意思で性を楽しむ女を描いてきた。

だが、作品にどんなメッセージを込めてもピンク映画である以上、観客は男ばかりで女性には届かない。それが長い間私のジレンマだったのだが、今、目の前で世代を超えた女性たちが私のピンク映画共感し楽しんでいるのだ。

先月、北九州市高齢女性性愛を描いた「百合祭」の上映会があり、観に来てくれた女性たちから、私のピンク映画が観たい、との声が上がった。女にだってエロスを楽しむ権利がある。ジレンマから解放された私の真のピンク映画監督人生がこれからなのだとしたら、100歳になっても女のエロスを撮り続ける覚悟である。

映画監督)(静岡新聞 2015年9月15日夕刊 コラム窓辺 より引用

女が映画を作るとき (平凡社新書)

女が映画を作るとき (平凡社新書)


いい加減、女性を手前に都合のいい「資源」扱いするのをやめて、一人の人間として向き合った方がいいですよ。

でなければ、キッチリそのツケを払わされることになりますよ。

では。


(略)きみを人間じゃなくセックスの道具とか見ないクズどもに復讐するために、だれかを物色しはじめるだろう。

抱く女

抱く女

*1アンソロジーですが、引用元タイトルと著者はネタバレ防止のために記述しません

2016-09-22

[]アパルトヘイト大国日本

もうすぐ米大統領選挙が本格的に始まりますね。前々回、前回の大統領選挙では“バーザーズ”と呼ばれる人たちがちょっとした話題となりました。


過激な米右派オバマ氏の出生地大統領資格に難癖

http://www.afpbb.com/articles/-/2626263?pid=4409886


町山智浩さんの「99%対1%アメリカ格差ウォーズ」にも載せられていますが、「オバマ大統領)はアメリカ生まれではない」と主張し、大統領としての資格なし、と騒いだ人達のことです。オバマ大統領出生証明書まで公開して、アメリカ国籍であることを示しましたが、バーザーズは疑いの目を向け続けました。なぜなら、彼らの本当の動機は、オバマ大統領がどこで生まれたのか、にあるわけではないからです。人種差別的意識民主党大統領の足を引っ張れればよかったのであって、その口実が生まれだっただけであり、いくら証明しようと、その主張に正当性がなくても、関係がなかったのです。

同じく、EU離脱騒ぎであまり話題にならなくなりましたが、ロンドン市長選でパキスタン系のサディク・カーン氏が市長に選ばれました。その選挙戦においても生まれを問題視する声が保守党候補ゴールドスミス陣営から発せられました。テロリストと同一視するなど、差別的な主張が繰り返されたのです。この問題移民問題EU離脱と相まって英国保守層差別的意識を浮き彫りにしました。


ロンドン市長選で労働党候補カーン勝利したことの意味

http://bylines.news.yahoo.co.jp/onomasahiro/20160508-00057445/


フランスでも極右政党国民戦線FN)」が移民移民ルーツに持つ市民に対して“ペーパーフランス人”なるレッテル貼りで“本当の”フランス人と、“それ以外”という差別的主張を行い、テロ問題への不安と相まって拡がりを見せています。


テロ遺族に「死んでよかったな」 仏に広がる排斥憎悪

http://www.asahi.com/articles/ASJ9M7QS8J9MUHBI01H.html


これらの主張は、日本での報道では人種差別的偏狭極右思想として扱われていますが、問題日本で起こると異なるようです。


民進党代表選 党員ら8割、蓮舫氏に投票

http://www.yomiuri.co.jp/local/fukushima/news/20160915-OYTNT50374.html


一見国籍問題にしているようでありながら、問題論点はどんどんずれていっています。実際には、差別民進党に対する攻撃ができれば構わないのでしょう。他国差別的状況を報道しながら、蓮舫氏に対して、攻撃者の差別的態度を不問にするのはどうかと思いますね。


今や日本は各国の極右憧れの国になっています。なにぜ、難民申請もほとんど受け入れず、移民に対しても後ろ向きで、国籍取得者に対しても二級市民扱いなのですから。(ちなみに、Twitterで「入管」という言葉検索すると、クソウヨの呟きがやたら目に入るので、気分が悪いです)

「スゴイ日本」が大好きな方々の認識と異なると思いますが、今の日本は、トランプや「国民戦線」が政権を取った様な、または、オルバン政権ハンガリーエルドアントルコプーチンロシア習近平中国、の鏡映しにしかすぎません。他人の振り見て我が振り直せ、とはまさにこの事です。

では。

参考:仮放免者の会(PRAJ)

http://praj-praj.blogspot.jp/

「どん底よりも底」 ― 届かない収容外国人の声  東日本入国管理センター

http://spork.jp/?p=4997

[]「感動ポルノ」と貧困問題

先日、Eテレバリバラで。「検証!『障害者×感動』の方程式」という、日本テレビ24時間テレビ念頭においたプログラムが放映され、話題になりました。番組では、障害者の“頑張り”にだけ焦点をあて、“頑張る障害者”という感動のネタにすることを「感動ポルノ」と批判します。また、「感動ポルノ」を手厳しく批判した、ステラヤング氏のスピーチも取り上げていました。


生放送検証!「障害者×感動」の方程式

http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=239


障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは

http://logmi.jp/34434

(前略)障害者生活には、実際それなりに困難がつきまといます。乗り越えなければならないことはいろいろとあります。でも私たちが克服しなければならないことは、みなさんが考えるようなたぐいのものではありません。身体障害関係ないのです。

私は「障害者」という言葉意図的に使ってきました。なぜなら、私たちの身体と病名よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているからです。(後略)


障害者障害とは、障害者の側にあるのではなく、社会の側にあるのだ、障害者は頑張る事で社会に感動を与えるための存在では無い、という言葉です。

私は、同じように社会の側に問題のある事柄を当て嵌めたいと思います。


(前略)貧困者の生活には、実際それなりに困難がつきまといます。乗り越えなければならないことはいろいろとあります。でも私たちが克服しなければならないことは、みなさんが考えるようなたぐいのものではありません。家庭の事情関係ないのです。

私は「貧困者」という言葉意図的に使ってきました。なぜなら、私たちの収入雇用よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているからです。(後略)


どうでしょうか?我々は貧困者に対して勝手な像を当て嵌めていませんか?つましく、努力して節約に励み、僅かな楽しみさえも我慢して他人の施しを受けまいとする。そんな勝手貧困者像を作り、頑張る貧困者に「感動」していませんか?感動するのはまだ良いのですが、感動出来る貧困者像を押し付けはいませんか?

実際にこういう話がありましたよね。


貧困女子高生”が映し出した深刻な報道危機

相対的貧困」への理解を欠く、日本ジャーナリズムの現状

http://webronza.asahi.com/national/articles/2016091300003.html


これは、勝手貧困像を押し付け、その像に合わないからニセモノだと決めつけ、個人中傷に走った騒動で、いわば貧困の「感動ポルノ」の強要とでもいえる話です。片山さつき氏が加わっているのはいつものことながらヒドイですね。


https://twitter.com/katayama_s/status/766895331401347072

拝見した限り自宅の暮らし向きはつましい御様子ではありましたが、チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古パソコンは十分買えるでしょうからあれっと思い方も当然いらっしゃるでしょう。経済的理由で進学できないなら奨学金等各種政策支援可能


最初に述べた障害者の「感動ポルノ批判同調し、24時間テレビ批判した人でも、貧困問題となると「感動ポルノ」を押し付けようとする方々は結構見られました。つまり、本当に障害者立場社会的包接の必要性共感したわけではなく、24時間テレビの“偽善”を叩くネタがあればよかった、ということなのでしょう。


24時間テレビは確かに“偽善的”で「感動ポルノ」です。でも、“偽善”を嫌う人々が善を為すか、マイノリティ共感を寄せ、彼らに対する社会的問題解決に取り組もうとするか、といえば、そういうわけではありません。むしろ差別的だったりします。

であれば、24時間テレビの“偽善”の方が、“露悪的”な人々より、何万倍もマシと云えそうです。

では。

2016-09-08 台風

[][]踊る大捜査線×エヴァンゲリオン シン・ゴジラ

あまり期待してはいなかったのだが、批評するなら見ないとイケないかな、と「映画の日」で見てきました。まあ、一応、1000円を損しない程度は楽しめたかな、という感じ。

まず、ゴジラ自体はよかった。東京都下に上陸して破壊を続けるところも、変態を続けるという設定も、人々が混乱する様もなかなか見せる。東京大破壊もよかった。もちろん、そのパニックぶりが3.11を想起させるところは上手いなと思う。東京運河ゴジラが遡って水や船が溢れ出るところで津波を思い起こさせたのはショッキングだったし。


問題はやっぱり、ゴジラ対策を練る面々の部分。

正直なところ「シン・ゴジラ」では、この『巨大不明生物特設災害対策本部』の面々にまったく共感できなくてしんどかった。

あまりにも、“実質日本を支えているのは、表に出ているパフォーマンス重視の政治家ではなく、裏方の俺達なんだ。今回の危機も俺たちがやらなきゃダメなんだ”みたいな感じが強すぎて、現場レベルの人たちは、本当にこんな連中の差配というものを受け入れていたんだろうか、と違和感だらけだった。

こういうのが好きな、そしてシン・ゴジラ熱狂的に支持している連中って、どう見ても“オレって参謀タイプだから”みたいな、そして「いざとなったら師団を率いる覚悟がある」的認識からさらに進んで、「いざとなったら大本営参謀を務める覚悟がある」的自負を持ってる感があって、キツイキモい

庵野自身岡本喜八の影響であることを隠していないけど、どうみても岡本というより「踊る大捜査線」。

ちょっと前に「踊る大捜査線」がTV放映される直前の織田裕二インタビューたまたま見つけたのだが(古新聞で!)、警察会社も似たような組織論理で動き、働いている刑事警官達もサラリーマンと変わらない、捜査では電車に乗ったり(パトカーで走り回るだけでなく)、タクシー領収書を貰ったりする、みたいな事が書かれていて、「踊る〜シリーズ全体の、平凡な組織の部分が当初から窺えて面白かった。

踊る〜」では、現場組織上層部との齟齬組織の体質みたいなものが見えて、主人公達に共感できたのがヒットの理由だったと思う。しかし、「シン・ゴジラ」では理想的上層部の的確な指揮の下で危機的状況を乗り越える、みたいな部分がどうしても鼻につく。クライマックスの訓示なんて、乾いた嗤いしか出てこなかった。

だから、列車爆弾にしてゴジラに突っ込ませる、みたいなところや、ポンプ車のシーンは悪ふざけにしか見えない。

初っ端のゴジラの登場でも、海底トンネルの異常に対して、地殻自然現象だろうという首脳陣の認識に対して、主人公矢口蘭堂の「生物可能性も…」みたいな部分に違和感があった。

だって、あの状況なら、そして現在日本社会の状況なら「某国秘密兵器による破壊工作可能性があります」じゃないの?その認識ミスリードを誘う、みたいな方が面白く出来たんじゃないだろうか。

それから庵野作品の特徴として、キャラクターステロタイプ的すぎて深みがない、説得力がない。

典型例が、石原さとみ演じるカヨコ・アン・パターソンいかにもいそうな“次席補佐官”。無意味英語交じりの会話とか、もうイーオンCMそのものにしか見えない。

実は、その昔、他国外交関係者と話をしたことがあるのだが、そのイメージと裏腹に、彼らは日本語を極めて流暢にしゃべる。そして、一般的日本人以上に日本社会文化歴史などに通じていた。

特に凄いな、と思ったのは、外交関係者というのが、相手国の状況に深く通じ、相手方思考トレースして考える事が出来る、ということだった。

つまり、カヨコのような、居丈高高飛車で、相手側を舐めてかかっているような外交担当者など、フィクション世界しかいない*1彼女プロパー外交官では無い点を鑑みても、その場合プロパー外交官を挟むだろう。その方が交渉が円滑に進むからだ。

というか、カヨコは未来大統領さえ目指せる優秀な逸材、ということになっているが*2、どこが優秀なのかが全然説明されない。

これは、庵野の悪いところで、エヴァンゲリオンでもキャラクター紹介と描写が噛み合わないケースが多々あった。例えば、アスカ天才少女、という触れ込みで登場するのだが、その天才ぶりを示すようなエピソードはまったくなかった*3。あのキャラクター設定必要だったのだろうか。

カヨコもアメリカ側の傲慢姿勢を示すキャラ、というなら有りだろうが、もし、穏やかな口調ながら、相手への恫喝として本人しか知りえない秘密さりげなく持ち出す、みたいなキャラクターだったら、カヨコの力量ぶりはより強く印象付けられたのではないだろうか。

とにかく、話が進むにつれて登場人物薄っぺらさが目立つ。例えば、市川実和子の演ずる尾頭ヒロミも人の目を見ないで早口で抑揚もなくしゃべる女性研究者って、あまりに典型的な“リケジョ”像であり、簡単にいえば、記号としてしか機能していなかった。

日本自称冷静で物事を高みから見る事が出来る(と自負する)現実主義者には受けがよさそうだけど、他の国には通用するんだろうか?内輪では受けても、外の事は考えない、というのは、昨今の日本社会の特徴ではあるのだが、これほどハッキリと内輪で受ければいいじゃん、的なゴジラを見せられたのは残念であった。

謎の敵性移動体に翻弄される東京組織、を楽しむなら、「エリアル」の方が楽しめるんじゃないかな。

では。

踊る大捜査線 THE MOVIE [DVD]

踊る大捜査線 THE MOVIE [DVD]

スパイ・ゲーム [DVD]

スパイ・ゲーム [DVD]

ARIEL04

ARIEL04

*1:もしくは、日本外交官くらいしかいない。日本外交担当者が他先進国では卑屈、開発途上国に対しては尊大、というのは幾らでも事例がある

*2政府関係者とそういう話をしているシーンがあるよね

*3:#10「マグマダイバー」での熱膨張を利用して使徒を倒す、みたいなエピソードがかろうじて頭を使ったかな、という気がするが、あれで“天才”はショボすぎる。

2016-09-06 曇り

[][]自滅する地方 三島駅南口再開発

先日のエントリーコメントを頂きました。

斎藤と申します。 2016/07/15 18:35

はじめまして、突然のメールにて失礼します。

貴殿ブログを拝見させて頂きました。斎藤と申します。

私は現在不動産関係(開発デベロッパー)の仕事静岡担当しております。

三島駅南口再開発について、非常に興味を持ってます。本駅の開発はどのような形が良いか、テナント業態集客ターゲット等、調査をしているところです。

是非とも、三島駅南口開発について、貴殿考察をご教示頂ければと思い連絡させていただきました。

現在計画ではマンション棟と商業棟のコンソーシアムにて、プランを練っている状況です。店舗は一階にスーパードラッグストア珈琲店、二階に病院調剤薬局を誘致する予定です。

本開発について貴殿の率直なご意見と、お考えを賜りたく存じます。

一方的なお願いで恐縮ですが、ご検討願います。

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20150712/1436692086#c1468575344

まず、わざわざコメント頂いて申し訳ありませんが、私自身はそもそも「再開発事業自体懐疑的です。なぜなら、県内を調べまくった結果として、いわゆる駅前再開発(≒中心市街地活性化事業)が効果を発揮している事例が無いからです。前々から述べていますが、自動車交通の中心に据えた郊外開発を進めた段階で、中心市街地に集約的な複合商業施設を造るというのは矛盾した行為となります。ですから、自らの進めてきた郊外化の産物であるショッピングモールに対抗する事は出来ません。地方においては既にショッピングモールでさえも採算に合わなくなり、撤退するケースが増えています*1。このような状態で、郊外施設市街中心地に建設し、運営する、というのは決定的に無理があります。


静岡県でいえば、沼津の「イーラde」「BiVi沼津」、静岡の「サウスポット」「エスパティオ」「葵タワー」、焼津の「アトレ焼津」、藤枝の「オーレ藤枝」「BiVi藤枝」、浜松の「アクトシティ」「ザザシティ」これら全てが失敗です*2。恒常的に店舗が閑散としており、行政の補助なしには成り立ちません。


これは、すでに古典として評価されているのに、現在の状況をあまりに的確に言い当てているジェーンジェイコブスの「アメリカ大都市の死と生」に記された街の原則

地区は二つ以上の機能を果たすのが望ましいこと。 (つまり単機能になるゾーニングはしない)

2. 道は狭く、折れ曲がっていて、一つ一つのブロックが短いこと。 (幅が広く、まっすぐな道路はつくるべきでない)

3.建てられた年代が違う建物が混じり合っていること。 (古い建物を壊さないで残す)

4.人口密度が十分に高い状態にすること。

http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/mailletter37.htm


からも予測される結果であります。

静岡けが他より若干マシですが、それは静岡市郊外化があまり進んでいなかったからです。静岡市郊外化の影響は合併した旧清水市の方へ多く現れています。


ですので、返事が遅くなってから申し上げるのも何ですが、もし、この三島駅南口再開発三島市の発案によるものであるならば、斎藤様らは手を引かれるのが宜しいかと思います。


三島市比較的纏まった市街を持った地域ではありますが、郊外化を止める気はなさそうですし、たとえ三島市けが郊外化を止めようにも長泉町裾野市御殿場市沼津市積極的郊外化を進めていますから、中心市街地活性化が上手くいく保証はありません。斎藤様が記された誘致案は、正直なところ駅前(中心市街地再開発事業典型例ですので、結果も同じになるだろう、と予想いたします。


もちろん、三島市から金を引っ張れれば構わない、ということでしたら、それでもよいだろうと思います。


それでもなお、というお話なら、私よりも以下の話を参考にされる方が良いかと思います。


あの表参道ブーム仕掛け人 現在地域再生カリスマとして活躍 藻谷浩介 清水義次 地域再生成功

http://www.dailyshincho.jp/article/2016/06271100/


予算で実現できる「歩行者に優しい街づくり成功のカギ

http://wired.jp/2014/10/15/one-thing-every-city-can-pedestrian-friendly/


歩行者に優しい街をボトムアップでつくりあげる7つの方法

http://wired.jp/2014/10/15/7-simple-ways-make-every-city-friendlier-pedestrians/

1.歩行者が回遊できる小さな空間を多数つくる

2.建物には通りから直接入れるようにする

3.「人々の活動」で街を活気づける

4.駐車場建物の裏や地下に

5.建物風景の細部を工夫して「人のサイズ」に合わせる

6.わかりやすい地図サイン

7.「コンプリートストリート」をつくる

Getting to Great Places

http://www.designforwalkability.com/


自転車の街へ変貌するロンドン。15年間でクルマは半減、サイクリストは3倍に

http://www.gizmodo.jp/2016/02/bikeinlondon.html


あまり参考にならなくて申し訳ありません。

私は、街は小さく保つべきだ、とは考えておりますが、優先すべきは「自動車に頼らないこと」であり、大概の再開発事業立体駐車場を設置するなど郊外に対抗すべく“自動車対応”しようとする事に強く疑念を抱いております。逆に、郊外開発をやめ、自動車交通抑制するならば、中心市街地活性化事業もそれなりの価値があるだろうと思います。


ついでに、残念な事例です。


静岡市の「I Love しずおか協議会」というところが、静岡市は駅近くに駐車場が少ないので、もっと造れ、というような事を提言しました。


中心街駐車場「不満」3割 静岡協議会調査

静岡市中心市街地活性化に取り組む「I Loveしずおか協議会」(森恵会長)は13日、駐車場利用者や設置事業者対象実施したアンケート結果を市に報告した。滞在時間や満車時の対応既存の案内システムなどの現状や課題を共有した。

 アンケートは、街なかのアクセス向上を目的に昨年11月からことし1月に実施し、利用者295人、事業者42社が回答した。利用者の平均駐車時間は、全体の約7割が1〜3時間以内。中心街の駐車に「非常に不満」「不満」を感じている割合は3割を超え、理由は「料金が高い」「駐車場が不足」「空いている駐車場が分かりにくい」が上位だった。

 目的駐車場が満車だった場合の探し方は「回遊する」が77%で最多。満車・空車情報看板表示する「市駐車場案内システム」やスマートフォンなどで駐車場情報確認できる「おまちくーる」があるものの、認知度や活用は低調な現状も浮き彫りになった。

http://www.at-s.com/news/article/politics/shizuoka/260761.html


静岡市静岡県どころか、日本全体で見ても珍しく駅前(中心市街地)の賑わいが比較的保たれている地域です。これは、郊外開発がなかなか進展しなかったこと、が効いていますが*3自動車利用を促進するような施策を取れば、郊外への商業機会流出は酷くなるでしょう。静岡市はむしろ自動車抑制を進めるべきだと思うのですが。

では。

参考文献

リノベーションまちづくり 不動産事業でまちを再生する方法

リノベーションまちづくり 不動産事業でまちを再生する方法

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

鉄道は誰のものか

鉄道は誰のものか

ドイツ・縮小時代の都市デザイン

ドイツ・縮小時代の都市デザイン

*1:薄利多売形式の大規模商業施設は、その地域経済の衰退に大きな影響を受けるため、迅速に撤退する

*2:これら以外にもマンション併設型があるが、店舗は大体赤字っぽい。ここには、熱海御殿場裾野富士清水島田掛川袋井磐田などが無いが、現在再開発中のところと既に破綻したところがある

*3静岡市でも近年は、安倍川西岸地域草薙瀬名、小鹿・大谷、駅南地域など郊外地の区画整理事業を進めたこともあって大型店舗出店による地域衰退が顕在化してきています。しかし、静岡県の他の地域比較して未だ保たれた状態ではあります

2016-08-27 晴れのち雨

[][] 「水素」 に期待するのはやめよう

ちょっと宿題になっていた話です。


再生可能エネルギーはもう終わり(日本では)回答編

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20150909/1441799763


現在トヨタのMIRAIが登場して以来、水素社会がなんちゃら〜のような水素エネルギー源として期待する動きがあります。国も都もオリンピックへ向けての目玉政策として盛り込んでいたりしますね。


水素社会の実現

http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/energy/tochi_energy_suishin/hydrogen/


私のところでも、水素燃料電池水素供給インフラを含めた研究開発の話が舞い込んできたりしています*1

ですが、私としては、この「水素社会」というものは、壮大な失敗に終わる可能性が高いのではないか、と思っております。もちろん、このへん、実名では云えませんので(仕事愚痴を兼ねて)ここらで述べさせて頂きましょう。


まず、最初の誤解なのですが、「水素自体エネルギー源ではありません。水素自然界にそのまま大量に存在するわけではありませんから、なんらかのエネルギー源を使って水素に単離する必要があります。水素エネルギー源ではなく、エネルギーを運び蓄える「媒体」なのです。ですから、「水素」の利用に対しては、他の「媒体」との利便性について比較することになります。

一般エネルギー媒体」として最も優れているのが「電気」です。電気に比べると水素輸送でも使用効率でも遥かに劣ります。その「水素」をわざわざ媒体として利用するメリットがあって始めて意味が出てきます。そして、燃料電池媒体としての水素電気をやり取りする仕掛け、なのです。


その観点から考えると、ミライなどで利用されているPEFC高分子電解質燃料電池)は効率が高くありません。電力への変換効率ざっと30〜40%程度、大部分は低温(90℃程度)の熱として捨てられてしまいます。エコファームのような家庭設置型の燃料電池では排熱も給湯や暖房として利用価値があります。ですので、「総合効率」というような事が云われるのですが*2、電力しか利用価値の無いFCV燃料電池車)の場合、ムダになるエネルギーが多すぎます。


また、水素を作り出す段階でもエネルギーのロスがあります。現在、最も安価で大量に水素を作り出す方法天然ガス改質ですが、この改質の段階で天然ガスの持つエネルギーを全て水素に移す事は出来ません。推測ではありますが、FCVのトータルでのエネルギー効率は、ガソリン車とトントンでしか無いでしょう。

再生可能エネルギーによる水の還元による水素生産可能になれば状況は幾分か変わりますが、この場合はわざわざ水素にする意味が少なくなります。水素に変えるメリットとは何か、それは、貯蔵という点です。FCV開発に取り組む企業の多くが、航続距離EV電気自動車)に比べて長距離走れる事をうたいます。

現在EVの一回の充電での航続距離は200〜300kmというところです。これでは長距離ドライブに出掛けたときに充電が必要なのか、または充電ポイントはあるのかとか、充電時間が掛かるのかといったユーザー不安ゆえにEV一般的にならないだろう、と考えられ、それがゆえにFCVへの期待が膨らむわけです。FCVでは一回の水素充填で700〜800kmほどの航続距離と、充填時間が短いことが利点とされます。欠点水素ステーションが未だ整備されていないことで、政府の重点政策でも水素ステーションを増やす事がうたわれています。


燃料電池自動車及び水素ステーションについて(pdf)

http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg3/toushi/150126/item4.pdf


ですが、その水素メリットが、昨今の技術トレンドから疑わしいものになっており、それが私が「水素社会」に懐疑的理由なのです。

というのも、電池性能の向上は著しく、エネルギー密度、容量共に現状の2,3倍が視野に入ってきています。


二次電池技術開発ロードマップ

http://www.nedo.go.jp/library/battery_rm.html


つまり、一回の充電で500〜700km程度の航続距離可能になるわけです。こうなると、一般的ドライバーにとって充電は問題とならなくなります。1日でそれほど長距離運転するケースは稀ですから、常時は家庭で充電を行ない、長距離運転必要場合は充電ポイントで充電すれば良くなります。また、容量が大きくなると充電に時間が掛かる満充電が必要無くなり、急速充電で時間を短縮できる容量範囲で充電しても用が足りるようになります。


こうして航続距離を延ばしたEVは、現在自動車とはまったく違った存在になるでしょう。というのもEV部品点数が極端に少ないからです*3簡単に云ってしまえば、動力部は電池とPCU(パワーコントロールユニット)、モーターがあれば良くなります。内燃機関必要な可動部品などはほとんど必要ありません。PCUはエンジンなどに比べて制御が容易ですから、極めて単純な構成可能で、自動運転ネット接続と相性が良い。つまり、EVエンジンモーターで置き換えた自動車、ではなく、EVという新しい乗り物なのです。

FCVEVのようになることは出来ません。燃料電池ユニット制御エンジンと比べても難しく、部品点数も多く、部品特殊です。

電池性能と自動車車体素材の開発が進展した場合FCVEVに到底及ばない遅れたものになるでしょう*4


このあたりは日本電気自動車日産リーフ三菱のiMIEVを見ても判りません。あれらはエンジンモーターに置き換えた自動車に過ぎないからです。

EVという新しいもの、その片鱗を伺わせるのが、BMW社のi3とi8、そしてテスラ社の各モデルです。

これらは極めて単純な構造を取っており、使う素材まで変わってきています*5


BMW i3

http://www.bmw-i.jp/BMW-i3/


テスラ社のイーロン・マスクは再三HVFCV否定するような主張を行っていますが、それは、EVがどのような存在になるか明確なビジョンを持っているからでしょう。


マスクCEOは先月米ミシガン州デトロイトのオートモーティブ・ニュースワールド・コングレスで、水素を車に使用しても未来はないと考る理由を詳細に説明した。

電気分解エネルギープロセスとして非常に効率が悪い。例えば、太陽電池パネルを使えば、そこから電気を作り出して直接バッテリーパックに充電できる。これに比べて電気分解は、水を分解して水素を取り出し、酸素を放り出し、水素を非常に高い圧力圧縮し(またはそれを液化して)、その後、車に取り込んで燃料電池として使用する。これは効率としては半分以下であり実にひどい。どうしてそんなことをするのか? 意味がない」と同氏は語った。

テスラモーターズマスクCEOトヨタ水素燃料電池車ミライ生産開始を批判

http://jp.ibtimes.com/articles/1426733


現状の技術トレンドを考えた場合FCVは確実にEVに敗北します。

少ない部品点数、構造単純化製造工程簡素化、自動運転ネット接続の容易さ、どれを取ってもFCVに勝ち目はありません。

日本の「水素社会」はFCVが鍵になっています。FCV必要無ければ、わざわざエネルギー媒体水素にする必要がない。電気電気のままの方が扱いは容易です。燃料電池SOFCなら水素でなくても大丈夫です。再生可能エネルギー不安定さを制御するために「Power to Gas」ということは考えられますが、その場合水素社会というようなレベルのもの必要ありません。


そもそも、EVへの変化、自動化の進展が進むと、いわゆる「シェアリング・エコノミー」の代表格であるカーシェアリング一般的になる、という意見もあります。このような進歩は、自動車製品として販売する自動車会社存在から、社会インフラとしての交通サービス提供、というものへ主体変化を促すことになるでしょう。


uber

https://www.uber.com/


若者の「モノ離れ」……独身年収1000万円でもマイカー興味なし 「買わずに済ます」生活加速 (1/3)

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1608/19/news061.html


この変化は、いわばパソコンからスマホ(つまり、インターネット端末)への変化と重なるものです。パソコンというものに拘って、追いつけなくなった日本家電メーカー自動車会社は相似形です。

原子力政策でもそうなのですが、日本技術開発方針はあまりにビジョンが無いか、そのビジョンを適切に考慮する努力を怠っており、さらに多様な技術社会条件を適切に結び付けてモデル構築することが出来ません。

私には、将来に渡って水素社会が来るとは思えません*6。考え直すべき時では無いでしょうか。

では。


追記


私自身は、飯のタネである研究開発の観点を除けば、そもそもクルマ*7という存在自体否定的なので、ここからも「水素社会」にはカラくなってしまいます。

前々から「自滅する地方シリーズで述べているように、


・街をコンパクトにして、クルマを使わないようにする

・移動は徒歩を基準に、コミューターとしては自転車、長距離公共交通機関が担う


のが良いのでは、と考えております。

例えば、自転車なら電動アシスト自転車という進化形もありでしょう。電池や電力制御技術、素材開発の進展は、EVよりも電動アシスト自転車の方に恩恵があります。また、EV自動化バスの方が容易に実用化できるでしょう。

二重の意味で「水素社会」は的外れだろう、と思います。

*1:この分野は重点政策として研究助成が充実しているので、共同研究を求める企業が増えている

*2エコファームでもSOFC(固体酸化物型燃料電池)の方が発電効率が高く、熱も高温のため利用効率が高い

*3:現段階で、自動車部品点数が約3万点、EVは約2万点になるといわれます。おそらく、部品点数はもっと減る事になるでしょう

*4:こうした製品は、如何に可動部品を減らすかで勝敗が決まります。古くは携帯プレーヤー歴史で、DATMD、さらにHD利用のMP3プレーヤーとなり、メモリー利用、現在では、記録媒体内臓からネットストレージへの移行を考えれば判ります。

*5BMWのi3はCFRP製。製造チェコ工場で行っているが、その製造電力の大半が再生可能エネルギーである。これは、EV本体シンプルさだけでなく、製造プロセス簡素化出来ることを示している

*6燃料電池技術進歩という点ではFCVの開発はインセンティブになったと考えられる。しかし、インフラ等への展開は問題がある

*7:ここでいうクルマとは、自動車全般意味では無く、交通個人ベースに委ねる自家用車のこと