シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

アトミック・キングダム

まずは、以下の記事をご覧あれ。

地震で被災の中国四川省が初の原発建設を計画、早ければ5年以内に

ことし5月の大地震で被災した中国四川省は、早ければ5年以内に同省で初めてとなる原子力発電所建設を計画している。23日付の国営英字紙チャイナ・デーリーが報じた。
 同地を建設地とすることについて、当局は地質学的に健全であるためと説明している。
 予定地はSanbaという地区で、同省の省都である成都四川大地震で特に大きな被害が出た地域の東方に位置する。
 記事は同省幹部の話として、総工費250億元(約3900億円)の同プロジェクトの予備調査報告書が、近く中央政府に提出される見通しと伝えている。
 中国核動力研究設計院(NPIC)のZhao Hua院長は「発電所の建設は(当局の)承認が降りてから開始し、完成までには5年かかる」とコメント。また、四川大地震後に専門家チームが建設予定地を訪れ、地盤に問題がないことを確認したとしている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080723-00000709-reu-int

四川省で初の原発計画、専門家「地震の影響なし」

地震のあった中国四川省で、同省初となる原子力発電所の建設計画が進んでいることがわかった。地震後に専門家が調査を行い、予定地の地盤への影響はなく、建設に耐えうるとの報告書をまとめた。近く中央政府に提出する方針で、承認が得られれば5年後の運転開始を目指すとしている。現地紙「成都商報」が報じた。

 建設計画があるのは、成都市の東に約200キロ離れた南充市蓬安県。予定地は長江の支流にあたる嘉陵江の川岸にあり、専門家によると、土砂崩れや地盤沈下など自然災害の危険が少なく、水流が豊富で冷却水の確保にも困らないとされる。

 全体の設備容量は100万キロワット超級の原発なら4〜5基分にあたる400万〜600万キロワットを想定。建設費は250億元(約4千億円)を見込む。すでに地元幹部を対象に専門家による安全面の説明会などが始まっている。

 中国では、急激な経済発展に電源開発が追いつかず、電力不足が各地で深刻化している。すでに原発のある沿海部だけでなく、湖南省重慶市など内陸でも原発建設の動きが相次いでいる。四川省では、水力発電の占める割合が6割を超え、新たな電源確保が課題になっていた。

http://www.asahi.com/business/update/0723/TKY200807230172.html


どうでしょう?ヘタすればギョーザどころじゃなくなるほどの問題だと私は思いますがね。
以前、私は中国における原子力問題について載せました。

えー。産経的には「中国が100基や200基の原発保有する」状況は、許容出来るんですかね。
さんざん、中国脅威論を説き続ける連中のセリフとは思えん。
中国製品の品質の悪さを宣伝し、中国人のモラルの悪さを嘆く産経にとってどうなの?
自分としては、中国が200基以上の原発を稼働させる状況は、アブナイとしか思えないんですけど。

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20070824/1187943437

現在、最も原子力を積極的に推進しようとしている国は中国とインドだ。中国は云うまでもなく、一党独裁ファシズム国家だ*1。原子力導入で地域住民の意見が正当に反映される可能性は限りなく少ない。日本よりよほど簡単に原発建設は進められるだろう。原発で働かせる労働者にも事欠かない。中国における労働格差は日本の比では無いからだ。彼らが健康を損なったとしても、口封じは容易である。

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071203/1196674922

ちょっと考えてほしい。日本における原子力発電は総発電量の3割を占め、現在55基の原発が存在している。

隣の中国が「地球温暖化防止」のために原子力導入を熱心に進め、日本並みの生活を享受する事を目指したら、500基以上の原発が必要、ということになる。これはインドも同じ。単純に人口割りしてやれば、中国にもインドにも500基以上の原発が必要なのだ。

自分にとってはこれは悪夢でしかないが、皆にはそうではないのだろうか。他国に自国と違う基準を押しつける事はできない。日本が原子力を強力に推し進めるなら、中国はそんなに原子力に頼って欲しくはない、そんなに電力需要を伸ばして欲しくはない、と述べる事はできないはずだ。

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071207/1197018397


先日の洞爺湖サミット(G8)や政府の「地球温暖化問題に関する懇談会」では、しきりに原子力推進が唱われた。つまり、温暖化防止には原子力が有効だ、という話だ。
しかし、中国やインドにおいて、日本などの先進国レベルまで原子力依存度を高めるとすれば、各数百基の原発が必要である。ウラン埋蔵量からすれば、それだけの需要は賄うことは出来ない。だから原子力が温暖化対策に有効というのはまやかしにすぎない。なぜなら、今後導入すべきエネルギー源は世界全体で利用可能なものでなければならないからだ。そうでなければ、導入できない国に不公平感を与え温暖化対策に踏み切らせることが出来なくなる。アメリ*1の態度こそが好例だ。中国やインドなど途上国を含めなければ対策に意味はない、として自国の温暖化対策に後ろ向きであれば、アメリカのツケを自分たちが払うのか、と途上国側は感じるだろう。
どの国、地域においても導入可能で、先進国が自らを棚に上げて我慢を強いる形ではないエネルギー源でなければ対策は進まない。だからこそ、まず何より「エネルギー需要総量削減」こそが重要で、それを可能とする社会構造やライフスタイルを確立し、見合う形での持続可能性のあるエネルギー源、つまり、自然エネルギーを導入する必要があるのだ。
「自分たちが進んできた方向は間違っていた。回り道をしたが、エネルギーも資源も浪費せず、持続可能な形でのスタイルこそが目指すべきところなのだ」、と途上国に示すことが出来なければ、途上国にとって温暖化対策は、一方的にツケを廻されたとしか感じられなくなる。


今回の中国の原発建設は、原子力推進に邁進してきた日本を鏡に映したようなものだ。彼らの態度を不安に思うのなら、彼らの「絶対安心」が信用できないなら、それは日本においても同じなのである。


ついでに。
原子力が将来への繋ぎである、という意見はあちこちで見掛ける。ラブロックあたりもそんなことを云っていた。しかし、原子力を許容する社会は、持続可能性のある自然(フロー)資源を生かすスタイルと相反する。つまり、繋ぎになどならないのである。フロー資源だけでは、現在のエネルギー需要量は賄うことは出来ないのだから。繋ぎに多額の資金と労力を注ぎ込むなら、自然エネルギー利用と社会構造見直しにリソースを注ぎ込むべきだ。


何度でも繰り返す。原子力は止めるべきである。